16 一晩の代償
冒険者たちが活動を始めるより早い時間帯だったため、街の門を抜けた頃の街道にはほとんど人影がなかった。薄暗い空の下を歩きながら、レインとリリアは昨日フォレストディアを仕留めた場所を目指して森へ入っていく。革袋から顔を覗かせたチビも当然のように後をついてきており、慣れた足取りで二人の少し前を進んでいた。
「残っているといいですね」
リリアが期待と不安の入り混じった声で呟くと、レインも複雑な表情を浮かべる。昨日の時点で枝肉をすべて持ち帰る余裕はなく、回収できなかった分はその場へ残して帰るしかなかった。森の中で一晩も放置すれば、野生動物に食い荒らされる可能性が高いことは二人とも理解していた。
森へ足を踏み入れた途端、空気の質が街道とは明らかに変わった。湿った土の匂いが鼻をくすぐり、木々の隙間からは小動物の気配や鳥の羽音が聞こえてくる。チビも周囲へ注意を払いながら進んでおり、時折立ち止まっては鼻をひくつかせていた。
やがて目的の場所へ辿り着いた瞬間、レインは小さく息を吐いた。最初に目へ飛び込んできたのは、地面へ散らばった白い骨と引き裂かれた肉片だったからだ。周囲には獣の足跡や鋭い爪痕も残されており、昨夜のうちに何かが群がっていたことは一目で分かった。
「やっぱり……」
想定していた光景ではあったものの、実際に目の当たりにすると胸の奥が少し重くなる。昨日まで確かに生きていた大きな獣の姿は失われ、森の循環へ組み込まれていく途中だった。それでも完全に食べ尽くされたわけではなく、骨の隙間や倒木の陰にはまだ肉の残った部分も見受けられた。
「全部は無理そうですね」
しゃがみ込んだリリアが静かに呟き、レインも周囲を見渡しながら頷いた。フォレストディアほどの大きさになると、一晩だけでは食べ切れない部分も出てくるのだろう。しかし土や血だけでなく、他の獣が口を付けた痕跡も混じっているため、ギルドへ持ち込めるような状態ではなかった。
昨日、帰る途中でバルトに教わったことを思い出す。
『今日のは少しもったいなかったな、全部持って帰れねえなら最初から諦める場所を決めとけ。獣に食われたからって全部駄目になるわけじゃねえ。次からは持ち帰れねえ分は隠しとけ。明日も残ってりゃ回収できるし、それで何日か食いつなぐ奴だっている』
ぶっきらぼうな口調だったが、森で生きるための知恵だった。筋や骨の位置を見極めれば、汚染の少ない部分だけを切り分けられること。食べ残された獲物でも、状態次第では自分たちの食料として利用できること。そして何より、持ち帰れない獲物をそのまま放置するのではなく、土を被せたり枝葉で覆ったりして目立たなくしておけば、他の魔物を必要以上に引き寄せずに済むことも教わっていた。
「バルトのおっさんが言ってたように今度からは、持ち帰れない時のことも考えておかないとですね」
「隠しておく方法、でしたっけ?」
「はい。次はそうします。全部を無駄にするのは、もったいないですから」
今回は経験不足だった。しかし、次は違う。少しずつでも覚えていけばいい。必要以上に欲張らないことも大切だと理解していた二人は、状態の良い部分だけを慎重に切り分けていく。売り物にはならなくても、自分たちで食べる分としてなら十分だった。チビはその間も少し離れた場所から周囲を警戒しており、赤い瞳で森の奥へ注意を向け続けていた。
回収を終えた後、二人は近くを流れる川辺へ場所を移した。水辺の開けた場所で小さな火を起こし、切り分けた肉を串へ刺して焼き始める。豪華な調味料があるわけではなく、料理と呼ぶには簡素なものだったが、昨日の慌ただしい解体作業を思えばずっと落ち着いて味わえる食事だった。
焼き上がった肉へ手を伸ばしたレインは、途中でわずかに顔をしかめた。腹部に残る傷が熱を持ち始めており、身体を動かすたびに鈍い痛みがじわじわと主張してくる。フォレストディアとの戦いで受けた傷は、まだ完全に塞がってはいなかった。
「少し傷口が開いてきていますね」
リリアは心配そうな表情を浮かべながら、杖を握り直した。無理をしている自覚はレインにもあり、苦笑しながら小さく肩を竦める。
「思ったより動き回ってしまったかもしれません」
「少しだけ我慢してください」
リリアの声と共に、淡い光がレインの腹部を優しく包み込んだ。じんわりとした温かさが傷の周囲へ広がり、張り付くような痛みが少しずつ和らいでいく。完全に消え去るわけではないものの、先ほどまでよりはずっと楽になっていた。
「これで多少は動きやすくなると思います」
申し訳なさそうに視線を伏せるリリアへ、レインは静かに首を振る。回復魔法にも限界があることは理解しており、今の状態でも十分ありがたかった。
「ありがとうございます。これだけでもかなり違います」
傷はまだ残っている。それでも、仲間の支えがあるだけで前へ進む余裕は生まれる。レインは川のせせらぎへ耳を傾けながら、無理をし過ぎないことの大切さを改めて噛み締めていた。




