02 届き始めた目標
都市へ戻った後も、しばらくの間は大きな変化のない日々が続いていた。朝になれば家を出て、外郭区の隠し場所から装備を回収し、その足でギルドへ向かう。依頼を受けて森へ入り、夕方には街へ戻って報酬を受け取る。冒険者になってから繰り返してきた生活だったが、レインにとっては不思議と心地の良い時間だった。
ただ、その日常の見え方は以前とは少し変わっていた。薬草採取ばかりしていた頃は、どこに薬草が生えているのか、どの種類が高く売れるのかばかりを考えていた。しかし今のレインは、木々の間に残された足跡や折れた枝にも自然と目を向けている。獣や魔物が残した痕跡を探りながら森を歩く自分に気付き、いつの間にか冒険者らしい視点が身についていたのだと実感していた。
ある日、森へ入って間もない場所でチビが足を止めた。黒い鼻をひくひくと動かしながら耳を立てる様子を見た瞬間、レインも近くに何かが潜んでいることを察する。少し離れた茂みが揺れ、その奥から姿を現したのは一体のゴブリンだった。
以前の自分であれば、突然の遭遇に慌てて短剣を抜いていただろう。しかし今は違う。レインは落ち着いて構えを取り、リリアも冷静に支援魔法の準備を整える。互いに慌てることなく動けるようになったことが、何よりの成長の証だった。
ゴブリンがこちらへ気付くよりも早く、地面を滑るような黒い影が駆け抜けた。シャドーラットへ進化したチビは、一瞬で魔物の背後へ回り込み、その首筋へ鋭い牙を突き立てる。体勢を崩したゴブリンへレインが踏み込み、急所を狙った短剣の一撃で戦闘は決着した。
「本当に強くなりましたね」
リリアの感心したような声に、レインは小さく頷く。強くなったのはチビだけではなかった。少し前まで苦戦していた相手を冷静に対処できるようになり、互いの動きを読みながら連携も取れるようになっている。日々の積み重ねは目に見えにくいものだったが、確かに自分たちを前へ進ませていた。
討伐証明としてゴブリンの右耳を回収した後、レインは報酬袋の中身を思い浮かべた。決して大金ではないものの、薬草採取だけをしていた頃と比べれば収入は着実に増えている。討伐依頼による報酬に加え、魔物の素材やドロップ品もあるため、少しずつではあるが懐事情にも余裕が生まれ始めていた。
もっとも、鍛冶屋で見た鉄剣を買うにはまだ足りない。何度も研ぎ直した短剣は刃こぼれが目立ち、柄の擦り切れも隠せなくなっていた。迷宮へ潜り続ける以上、いずれ武器を新調しなければならないことは分かっている。それでも以前のような焦りはなかった。手の届かない夢ではなく、頑張れば実現できる目標へ変わっていたからだ。
ギルドへ戻る頃には、ホールの中は依頼帰りの冒険者たちで賑わい始めていた。報酬を受け取る者、仲間と酒を酌み交わす者、次の依頼を探す者。それぞれの喧騒の中で、レインはふと依頼掲示板へ目を向ける。
そこには、以前なら最初から諦めていた依頼が並んでいた。森での討伐依頼や迷宮での素材回収、簡単な護衛補助など、まだ手の届かないものも多い。それでも、薬草採取しか選べなかった頃と比べれば、選択肢は明らかに増えていた。
冒険者になったばかりの頃は、何もかもが遠かった。レベルも低く、金もなく、実績もない。だからこそ薬草採取しかできなかったのだ。しかし今は違う場所に立っている。ほんの少しの変化かもしれないが、それでも確かな前進だった。
「レイン君」
依頼書を眺めていたリリアが、隣から声を掛けてくる。
「あとどれくらいで買えそうですか?」
何を指しているのかはすぐに分かった。次の目標として掲げている鉄剣のことだろう。レインは掲示板の依頼内容と頭の中の所持金を照らし合わせ、苦笑しながら答えた。
「まだ結構掛かりそうですね」
「ですよね」
現実は甘くない。それでも、先の見えない状態ではなかった。どうすれば届くのかが分かっている以上、焦る必要はない。少しずつ積み重ねていけば、いつか必ず辿り着ける。
革袋の中から顔を覗かせたチビが、赤い瞳でレインを見上げていた。進化しても見慣れた顔立ちは変わらず、小さなネズミにしか見えない。レインが指先で頭を撫でると、チビは気持ち良さそうに目を細めた。
そんな何気ない仕草を眺めていると、不思議と笑みが零れる。強敵と戦った日も、融合を果たした日も、今では少し遠い出来事のように感じられた。しかし、その一つひとつの積み重ねがあったからこそ、今の自分たちがここにいる。
次の目標は鉄剣だ。その先には、より強い魔物やさらに深い迷宮が待っているだろう。けれど今は、その途中にいることが嬉しかった。急いで駆け上がるだけが成長ではない。少しずつ前へ進む時間にも確かな価値があるのだと、レインはようやく思えるようになっていた。




