15 迷宮へ挑む仲間
迷宮帰りの冒険者たちが受付へ向かっていく。革鎧には無数の傷が刻まれ、盾の縁は欠けていた。荷車に積まれたゴブリンの耳からはまだ生臭い血の匂いが漂っている。それでも彼らの表情は明るく、危険な仕事を終えて生還した者だけが持つ独特の自信があった。
ギルド内の空気もそれに引きずられるように少し変わる。新人たちは憧れの目でその姿を見つめ、同業者たちは成果を測るように視線を向け、受付嬢たちも慣れた様子で解体場への案内を始めていた。そんな中、受付の一角では二人組の新人冒険者が職員へ何かを報告していた。片方は長槍を背負った少年で、額には汗が滲んでいる。それでも表情は明るく、身振り手振りを交えながら今日の出来事を話していた。もう一人は神官服を纏った少女だった。少年の話を補足するように口を開きながらも、時折困ったような視線を向けている。
「だから大丈夫だったって」
「結果的に、です。もう少し慎重に行動してください」
「でもちゃんと倒せただろ?」
「それとこれとは別です」
周囲の冒険者たちが苦笑する。どうやら迷宮から戻ってきたばかりらしい。革鎧には泥汚れが付き、槍の穂先にも戦闘の痕跡が残っていた。それでも二人の表情に暗さはない。危険な場所へ足を踏み入れ、それでも自分の足で帰ってきた者だけが浮かべる安堵と達成感がそこにはあった。
レインはその様子を黙って見つめていた。自分と同じ新人なのだろう。誰もがそれぞれの場所で前へ進んでいる。そう考えると、不思議と焦りよりも勇気のようなものが湧いてきた。自分とは違う世界だと、かつてはそう思っていた場所だった。だが最近は少しずつ考えが変わっている。いつまでも薬草採取だけでは先へ進めない。その現実を嫌というほど理解し始めていた。
隣ではリリアも同じ方向を見ていた。青い瞳にはわずかな緊張が浮かんでおり、おそらく彼女もまた同じことを考えているのだろう。迷宮、その言葉が持つ重みについて。やがて冒険者たちが解体場へ消えると、ギルド内の喧騒も徐々に元へ戻っていった。先ほどの二人組も受付での手続きを終え、次の依頼札を眺めながら何やら相談を始めている。
レインは小さく息を吐いた。
「帰りますか」
「はい」
リリアも頷く。二人は連れ立ってギルドを出る。外に出ると夕暮れの空気が肌を撫で、昼間の熱気はすでに薄れ始めていた。石畳の通りには長い影が伸び、市場からは夕食の準備を始めた屋台の香りが流れてくる。焼いた肉の匂い、煮込み料理の匂い、香辛料の刺激的な香りが混ざり合い、空腹を静かに刺激していた。
人通りはまだ多い。仕事帰りの職人、買い物袋を抱えた主婦、酒場へ向かう冒険者たちがそれぞれの目的を持って行き交っている。その中を二人は自然に市場へと抜けながら歩いた。
「迷宮って行ったことありますか?」
とリリアが尋ねる。
「ありません」
とレインは首を振る。
「入口の近くまでならありますけど、それだけです」
憧れの迷宮を自分の目で見たくてチビと歩いて行ったことがある程度で、中へ踏み入れた経験は一度もなかった。
「私もです」
リリアは少し苦笑する。
「だから余計に怖いんですよね」
その感覚はレインにも理解できた。知らない場所ほど恐ろしいものはないし、相手は魔物だ。失敗すれば怪我では済まず、命に関わる可能性もある。二人の足音だけがしばらく石畳に響き続けた。空はすっかり赤く染まり、遠くでは教会の鐘が鳴り始めている。夕刻を告げるその音が街全体へゆっくりと広がっていった。
その音を聞きながら、レインは思う。迷宮へ行くなら準備が必要だ。短剣、保存食、予備の松明、包帯。考えるべきことは多いが、不思議と気持ちは前向きだった。一歩先へ進もうとしている実感がある。それは薬草採取だけを繰り返していた頃にはなかった感覚だった。
気付けば、リリアも同じように空を見上げている。不安はある。怖さもある。それでも二人とも、心のどこかでは前へ進みたいと思っていた。しばらく沈黙が続いた後、リリアがおずおずと口を開いた。
「レイン君」
「はい?」
「もしよかったら……その」
少し言い淀みながら、リリアは指先をもじもじと動かした。
「迷宮へ行く時、一緒に行きませんか?」
レインは目を瞬かせた。
「一緒に?」
「はい。私、一人だと不安で……でも、レイン君とチビちゃんがいるなら頑張れそうな気がするんです」
リリアは恥ずかしそうに笑った。
「もちろん、無理にとは言いません。ただ、お互い初めてですし、一緒に準備をして、一緒に挑戦できたらって」
レインは少し考えた。迷宮は危険な場所だ。一人より二人の方がいいという単純な話ではない。命を預け合う相手になるということだ。だが、これまでの薬草採取を思い返せば、リリアは真面目で、無責任な行動をする人ではなかった。何より「一人じゃない」ということに、心強さを感じている自分がいた。
レインは小さく笑った。
「こちらこそ、お願いします」
「本当ですか?」
「はい。一緒に頑張りましょう」
リリアの表情がぱっと明るくなる。
「よろしくお願いします、レイン君」
「よろしくお願いします、リリアさん」
二人は立ち止まり、改めて向き合った。そして、ぎこちなくも互いに手を差し出す。
「キュッ」
その間にチビが飛び込み、小さな前足をレインの手へ乗せた。
「……チビもですか」
「仲間外れは嫌みたいですね」
リリアがくすりと笑いレインも思わず吹き出した。こうして薬草採取仲間だった二人は、迷宮へ挑む仲間になった。迷宮の恐ろしさも、そこで待つ困難も、まだ何一つ知らない。それでも夕焼けに染まる帰り道を歩きながら、二人の足取りは不思議と軽かった。明日も薬草採取は続く。迷宮へ挑むための準備もしなければならない。やるべきことは山ほどあるが、それでも今だけは新しい一歩を踏み出せたことが、少しだけ嬉しかった。




