第2話 忘却
アルトは落ちていた木を杖代わりにして、ゆっくりと歩いていく。だがその足取りはおぼつかない。今のアルトは身にまとっている防具すらも、重くて仕方ないのだ。
「危なくて見てられねえよ。ほら」
ガタイの良いカイは、アルトの剣と荷物をひょいと背負う。
「なんだ? 俺はまだ、元気だ! はあっ、はあっ」
「杖つきながら何言ってんだよ。いいから、任せとけって」
少し歩いただけで息が上がるアルトをみかねて、カイは手助けをする。
鋭い目つきと大きな体格で、どこか近づきにくい雰囲気を漂わせるカイだが、実際はとても世話焼きで、困っている人を見過ごせない性格だ。
老人扱いされアルトはムッとしたが、体はずいぶんと軽くなった。
「アルトさま、試しに治癒魔法をかけているのですが、申し訳ごさいません。一向に効く気配がないのです」
マナは唇を噛み締める。
マナは一流の魔法使いだ。上品で柔らかな佇まいは、どこからどうみてもいいところのお嬢様だ。こんな可憐な彼女が魔王討伐を目標としていると聞けば、きっと誰もが驚くだろう。
「これは、代償だ。治癒魔法じゃ、どうにもできない」
きっとどんな優秀な魔法使いでも、治すことはできない。
なんと恐ろしい魔導書だ。
これほどの魔導書を作れるのなら、自分で魔王を倒せばよかったのにと、アルトは製作者に文句を言いたくなった。
岩石地帯をしばらく歩いていると、突然魔物が現れた。
魔王が生み出した黒い生き物たちは、アルトめがけて襲いかかってきた。
「うん? 目の調子が悪いな……。モヤがみえる」
「魔物だよ! アルト、下がってろ!」
目をこすり前をよく見ようとするアルトを、カイは後方へと下がらせる。
カイは斧を振り回し、次々と魔物を倒していく。マナは万が一のために、アルトを球体の防御魔法で守った。
二人のおかげで、なんとかアルトは魔王への道を最小限の消耗で進んでいった。
だが次第に魔物のレベルが高くなっていき、二人だけでは苦戦する場面もでてきた。
「くそっ! マナ! アルトを連れて引き返せ!」
「駄目です! 後ろからも魔物が!」
薄暗い洞窟の中。四方八方を魔物の軍勢に囲まれ、絶体絶命のピンチに陥る一行。
「おお。これは、出番だな」
アルトはそう呟くと、カイの背中をポンポンと叩く。
「あぶねえから、下がってろ!」
「俺の剣を、おろせ」
アルトはカイに背負ってもらっている剣を触る。
「はあ? どうすんだよ」
「いいから、いいから」
カイは怪訝そうな顔をするも、魔物たちはすぐそこまで迫っている。
「ほら! しっかり持てよ! 重てえから、両手でしっかりだぞ! ぎゅっと握るんだ」
「わかった、わかったから」
カイから渡された聖剣は、以前とは比べものにならないほど重かった。アルトは自身の衰えを感じ、時間がないことを悟る。
だが今は、この戦況を打開せねばならない。
「カイ、マナ。壁ぎわに寄れ」
アルトは「よっこいせ」と剣を持ち上げると、よろけて転びそうになった。
カイとマナはいつ剣の重みでアルトが倒れるかと気が気でない。
「あぶないっ……。しっかり…しっかり……」
「人の戦闘でこんな緊張すんの初めてだ。心臓にわりい……」
心配する二人をよそに、アルトは震える腕に力をこめる。すると、剣が光を放ち始めた。
神々しい光に、魔物たちの動きが止まる。
アルトは渾身の力で剣を振り上げ、何やらぼそっと呪文を呟くと、光が辺り全体を包んだ。
そして光にあてられた魔物たちは一瞬にして消え去った。
「すげえ……」
「これが、勇者の力なのですね」
カイとマナは唖然とした。
出会ったときから弱々しかったアルト。だが彼は、老いてはいても正真正銘の勇者なのだと、改めて理解した。
衰弱していて、なおこの威力。その力は本物で、彼こそが、魔王を倒す人物なのだ。
二人はアルトを尊敬の眼差しで見た。
だが直後アルトがよろけて膝をついたので、慌てて駆け寄った。
「アルト!? 大丈夫か!?」
「アルトさま! どこかお怪我を!?」
「うっ……」
アルトの顔が苦痛で歪む。
「ぎ、ぎっくり腰、かも……」
そう言うアルトの顔は、さらに老けていた。
「アルト。おまえ、また!」
「アルトさまの消耗が激しいです。どこかで休みましょう!」
二人の声は、アルトには届いていない。
「いかん、このままでは……」
アルトはぼそぼそと呟く。
「アルトさま? 痛むのですか?」
マナが背中をさするも、アルトの頭はそれどころではなかった。
「このままでは、忘れてしまう……」
大切なことを。
いや、もうすでに、何か大切なことを忘れているのかもしれない。
「三つ……、いや、ちがう? 二つの……?」
だが、それがなんだったのか、彼は思い出せない。
アルトは消耗を覚悟し、かすれた声で伝えはじめた。
「二つって、何のことだ?」
「あれだけは…何があっても…」
「あれ? なんだ、なんの話だ?」
「魔王の倒し方に関する話かもしれません!」
カイは目を見開く。
「アルト! 言ってもいいのか? 体力もつか?!」
「忘れる、まえに……。ほん……、ほんを……」
「本? 魔導書のことか?」
カイは急いで荷物のなかから魔導書を取り出し、アルトに見せる。
「ああ……。それを、なくすな……」
「魔導書そのものが、魔王を倒す鍵なのですか!?」
「持っとくだけでいいのか!?」
二人は懸命にアルトに尋ねるも、アルトはそれについてはもう話さなかった。
「おねがいだ……。ふたりとも、いっしょに、いてくれ……」
「ここにおりますわ。大丈夫です。魔王を倒すそのときまで、一緒です」
マナは震えるアルトの手を優しく握る。
「アルト、もう少しなにか情報を」
とカイが言いかけた途端、アルトの老いが急激に進行した。
髪は色をなくし、腰は曲がったままもとに戻らず、もはや自力では歩行困難となってしまった。




