第1章 21_純白の無間
それは、見るからに異様な光景だった。
「なあ、アンジェル! どうしたんだよっ……!!」
完全にシナリオからフリーになった俺は、ぺちぺちと、まるで動かない花嫁の頬を軽くタッチする。だが、アンジェルは、やっぱり微動だにしない。
動きを止めたヒロイン以外、何も存在しない。
白の虚無世界に、ただ独り取り残されて、ヒーローは一体どうしたら良いワケ!?
「嘘だろ……っ! これがエンディングの向こう側っ!? ここはゲーム世界だから、リアル地球なら在るはずの【未来】の時間軸がないってコト?? つーか、こんなんで独りだけ自由になっても、どうしようもねーわっ。これなら、まだ、シナリオに操られてでも、みんながいる世界に居た方が、マシ――」
「――本当ニ?」
不意に、俺の背後で、甲高い声が響いた。
明らかに小さい女の子の声だ。
けど、あのリングガールとかじゃない。
俺は慌てて声の主を振り返ると、そこには、漆黒の日傘をさして、喪服姿の、白髪紅眼の少女が立っていた。
(……このコ! 悪役令嬢が殺された時、この大聖堂の屋根に居た……っっっ!?)
一気に、俺の背筋がゾワワッと、得体の知れない恐怖に駆られた。
「本当に、ソウ――」
焦点の合わない無機質な瞳で、小首を傾げ、喪服の少女は問う。
「……思ってル?」
なんだか、未知との遭遇をした気分だ。
未確認生物や、宇宙人に出くわしたくらいの――。
喪服の少女は、まったく癖のないまっすぐな髪で、腰ほどまで長いソレは真白だったが、その肌も、その髪に負けず劣らず、雪のように――ってか、もはや病的なくらい、生白かった。
俺より30cm以上も背が低くて、年齢は12歳くらいに見える。
その完璧な美貌は、俺がこれまで出会ったことのある人間の中で、最も美しくて、けれど、血が通っていないみたいで、すこぶる恐かった。
そう。その容姿、佇まいの印象は、どうにも、生身の「人間の美少女」ってよりは、完全に、陶器人形みたいだったんだ。
これぞ、まさしく、動く人形――。
言葉もたどたどしいし、幼児語というよりは、AI音声的な片言。
ただ、発音の合間に微細な息遣いや音声のブレは感じるので、機械ではない。
だから、たぶん、ロボットとか、ヒューマノイドとか、そんな近未来SFな感じとも少し違う。
そして、言い表せない、この不安感。
とかく、綺麗で、可愛くて、人間であるはずなのに、まるで人間味がないんだ。
「キミは、このセカイから――逃ゲタカッタ」
まっすぐ射抜いてくるかの瞳は、明らかに子供のソレでない何かだったので、俺は、ごくりと喉を鳴らして、つい気後れしてしまう。
でも、実体があるから幽霊ではないし、魔物の気配でもなく、かといって、エルフや魔族みたいな人外の感じでもない。
「……チガう?」
また、小首を傾げ、訊いてくる。
いや、この世界っていうか、俺は、ただ、シナリオから解放されたいだけなんだけど――。
「あ……っ。あああああっ……あのっ……、き、君は…………?」
冷や汗たらたらに怯えながら、俺が尋ねても、喪服の少女は、沈んだ顔でうつむいたまま、答えなかった。
「――ここハ……、【純白の無間】。すべてノ回帰カラ、切り離されタ……、神秘の亜空」
「あ……あえてるなむ……、あるびおん……??」
なんかラテン語(?)っぽい響き。
俺の知る限り、この世界に、ラテン語を公用語としている国は無いし。そもそも、こんな真白な、何もない世界で、国もへったくれもない。
喪服の少女は、スッと、俺の顔めがけて指差した。
「キミは……、今、岐路に、立ってル……」
「き、きろ、って?」
この状況で、流石に、長さとか重さとかの単位の、あの「キロ」じゃないよな?
まごつく俺をよそに、喪服の少女は淡々と言う。
「キミは、【フォルトゥモルス】に、魅入られタ……。今、抗うコトをやめタラ、きっとモウ、戻ッテ来れナイ……」
「えっ」
ふぉるとぅもるす、って何だ?
困惑のまま、俺がたじたじしていると、喪服の少女は、一瞬だけムッとしたような顔になって、何故か、ずいっと俺に漆黒の日傘を手渡してくる。
俺もついつい受け取ると、彼女は、すぐに、
パンッ!
と、1つ、大きな柏手を打った。
途端に、ドックンッッッ! と、真白な世界が鳴動し、俺の胸を押さえつけていた、言い知れぬ閉塞感が払拭される。
直後、俺は、ハッと、異常なくらいクリアな爽快感を覚えた。
(え……。あれあれっ? この感じ――)
振り返ると、依然、アンジェルは、恥じらいながら目を閉じて、キス待つ姿勢のままだった。そして、やっぱり、まったくピクリともせず、目覚める気配もまるでなかった。
だが、驚いたのは、そんな異様な姿のヒロインでなく、むしろ、俺の心境の変化の方だった。
辺り一帯がこの白の世界に閉ざされた時、俺は、ヒロインだけが唯一の拠り所で、それとの関係まで断ち切られたことに、血の池地獄で蜘蛛の糸を切られた罪人のように、途方もない絶望感を植え付けられた気がした。
にも関わらず、現在の俺は、何かマネキンでも見てるみたいに、このヒロインを見ても、さほど心揺さぶられるようなモノもない。
さっきは、あんなに、ものすごく魅力的に見えたのに――。
(嘘だろ……!? 俺、思わず、流されそうになってた??)
シナリオ・リシャールでなく、転生者の精神持つ、サンクレール王太子リシャールとして。あたかも洗脳されたみたいに、ヒロインに対して、激しく恋焦がれるような感情が沸き上がった、――いや、湧き上がらされたんだ。
言うなれば、【誓いの接吻】という名の――、魔性の束縛。
自覚するや、俺は、ゾクッと怖くなった。
俺は、サッとヒロインから目をそむけるように背を向け、無意識に自分で自分を抱き締める。ガクガクと、歯の根も合わないまま、微かに身震いしていた。
そうして、ふと、バチリと喪服の少女と目が合った。
頓に、喪服の少女は、スッと俺に手を伸ばしてくる。
その視線は日傘に一点集中していて、無言ながら怒った顔で、明らかに「早く返せ」と催促されているようだった。
「……コ、コレ? 返せばいいの??」
尋ねると、喪服の少女は、コクリと頷いた。
俺が日傘を差し出すなり、彼女は、バッと、ひったくるように、俺の手からソレをもぎ取った。その小さい爪が掠り、俺の手から、じわと血が出る。
コワッ! まるで、獣じゃん。
その俊敏さと鋭さといったら、猫パンチも真青な、大型肉食獣並みのガチ狩猟スタイル。俺は引っ掻き傷を反射的に押さえる。
直後、ビビッた俺に向かって、喪服の少女は、ちょいちょい、と手招きした。
「えっと……? 寄る? いや――、か、屈め、ってコト??」
俺が尋ねると、喪服の少女は、また、無言でコクリと頷く。
促されるままに膝をつくと、むしろ、俺の方が低い位置になって、ちょっと見上げる感じになった。
けれども、喪服の少女は、気にせず、ぱちりと漆黒の日傘を閉じる。
それをそのままブンブンと、思いっきり大車輪のように肩全体を使って振り回し、その尖端で、
トンッ!
と、俺の心臓付近を小突いた。
「ぐっふぉッウっッッ!!」
あろうことか、俺は、数メートルくらい後方にフッ飛ばされた。
つーか、小さな女の子の割に刺突感が強すぎる。
これが真剣とか、槍の類だったら、完全に致命傷だ。
しかして、そのあまりの痛さに、俺は涙目になって、激しく悶絶していると、なんと、俺の口から、ワケワカランちっちゃい蟲(どギツい金ラメピンクな芋虫?)みたいなのが、スポンッ! と飛び出した。
(……はっ? 何なんっ?? これっ)
平安時代の迷信(?)にあった「三尸の虫」的な??
紛れもなく超常現象的なソレに理解を巡らせるより早く、
「やット、出タ――」
と、喪服の少女は、シュバッと追いかけて、突然、殺気鋭く、
「消ス」
と、一言、
ゴッすぅッ!!
と、拳撃で謎の蟲を粉砕した。
「えええっ!?」
俺はアホみたいな素頓狂な悲鳴を上げた。
つーか、よく分からないながら、蟲を潰した瞬間、あのコの拳の周りに、歪んだ時計の針やら変な星屑っぽい光やらが閃いた気がするんだけど??
なんだか、ヒロインが使う【銀河】の力に似ているけれど、むしろ、魔王並みに禍々しい。
粉と散った謎の蟲は、しゅうしゅうと、硫酸ぶっかけました的な、見るからにヤバそうな煙を一瞬湧き上がらせ、空気に溶けるように、ザザァッと消滅した。
喪服の少女は、西部劇でガンマンが「決まったゼ」と発砲直後の銃口を吹くかの仕草で、同じく煙立ち昇らせる自分の拳を、ふうっと吹く。
え。ソコ、格好つけるトコ!?
「あ、あの……、今のって……?」
俺は訊いたが、やっぱり、喪服の少女は答えてくれない。
それどころか、すんげーばっちいモノでも触ったか、とツッコみたくなるほど、不機嫌そうな顰め面で、グーパン解いた掌を、ブンブン振り揺らして、残った煙を霧散させていた。
喪服の少女は、再び、人形のように、ちょいと首を傾げた。
「――スッキリ、しタ?」
「え? う、うん……」
「ユノの、てガら?」
え? 「ユノ」って? それ君の名前??
そう俺は訊き返そうとしたけれども、その柘榴石みたいな眼光の圧が強すぎて、なんか尋ねる雰囲気じゃなかった。
それどころか、彼女は、何故か「むふぅ」とやりきった風のドヤ顔をしていた。
俺は、若干、ヒイた。
「……た、たぶん……」
遠慮がちに俺が答えると、喪服の少女は、無表情っぽい印象ながら、一瞬、パアッと喜んだ雰囲気を醸し出した。
そして、「エッヘン」といった感じで、さらに胸を張る。
なんだか素直に褒めたいような、褒めたくないような……。
――が、マイペースな彼女は、全然気にしない。
「キミ、見ドこロ、あル。ユノ、ココに来テ、正解だッタ」
「そ、それはどうも――」
反射的に、へらっと照れ笑いして、俺は、ちょっと頭を掻きそうになったものの、ハッとして、ピタ、と止まる。
(――じゃなくて! 何なん?? このコ……)
俺は、理解が追いつかないまま、無意識に下ろした右手にグッと力を込め、ギリ、と固く拳を握り締める。
だって、何だか無性に腹が立って仕方がなかったから。
それは、このコに初対面でフッ飛ばされた所為も少なからずあったけど、それ以上に、こんな奇妙な状況に置かれても、何もできずにいる自分にものすごく苛立ってしまったというか――。
それでも、ひとまず落ち着こうと、俺は、一旦、すうと深呼吸した。
その際、何気なく、空いた左手で胸を押さえていたところ、
喪服の少女は、ふと何か気が付いたように、ギラリと目を光らせた。
まもなく、じっと俺の左手を凝視する。
(え……こ、今度は何?)
喪服の少女は、紅い眼を爛々と燃え立たせ、どこか気に食わないような、凄まじい怒りと敵視の感情が籠ったまま、俺の左手を見続けていた。
(いったい何が気になるって――??)
つられて、俺もその視線を追ってみると、
「あ」
と、図らずも間の抜けた声が出た。
そこには、さっき花嫁と交わした神秘の指輪――【星の結婚指輪】が、キラキラと銀砂の光を放ちながら、力強く輝いていた。
「……ほ、欲しいの? これ……」
おずおずと俺が訊くと、喪服の少女は、ふるふると首を横に振った。
「イラナイ。そンナ、ごみ」
バッサリ拒否された。
しかも、伝説の至宝が「ゴミ」って!?
(え。何か、地味に傷つくんですケド)
これでも、俺、メインヒーローとして、必死こいてヒロインと協力して、満身創痍になりながら、魔物の大群と戦い抜いて、死闘の末に魔王を倒したおかげで、この指輪ゲットしたんだけど!?
俺は思わず、ガンッとショックを受けて蒼褪めてしまう。
けれども、喪服の少女は、まったくフザケている訳でなく、沈鬱な顔で言った。
「ソレ……、とても、キケン。ユノは……、縛られタくナイ」
(……どういう意味だ?)
俺は、なんとなく不穏な感じを受けたものの、どう尋ねれば正解なのか分からなかった。
しかして、その暗く沈んだ面持ちは、少し怨念の籠った姿に映ってしまって、俺には、この喪服の少女が、ますます人ならざる者に見えた。
俺は甚だ不安になった。
(てか、このコ……、なんか、ヤバくない?)
果たして、喪服の少女は、そんな俺の視線に気がついて、「……」と、じとっとした半眼で俺を睨み返してきた。
「キミ……、イラナイもの、まダ、残ッてル」
途端に、閉じた日傘を凶器に、どげしっ! と俺の両膝の裏側をスマッシュヒットする。ヒザカックンされた俺は、「ギャッ!」と無様にすっ転んだ。
そのまま、喪服の少女は、きょとんとする俺に、
「――ヤッぱリ、消ス」
と、びよ~んっ! と飛び掛かって、ヌッと俺の顔前に近寄って来るなり、矢庭に、チュッとキスをした。
しかも、ガッツリ唇に――。
俺は、一瞬、固まった。




