第1章 13_ヒロインと俺
全身血だらけで王宮へ辿り着くと、それはもう、蜂の巣をつついたくらいの大騒ぎになった。王太子が瀕死の重傷を負って戻ってきたと思われたからだ。
けれど、ショックのあまり、魂が抜かれたようになった俺は、何も答えられなかった。だから、代わりにクロードが、皆に事情を話していって、すぐに湯浴みをするよう勧められた。
とはいえ、湯殿の準備には、それなりに時間がかかる。
支度が整うまで、俺は、一旦、私室に戻ることになった。
そこへ、ヒロインが訪ねてきた。
ちょうど同じ頃、結婚式の打ち合わせのために、彼女は、養父のボドワン=サヴァティエ伯爵と登城していたんだ。
「……リシャール様っ! お怪我はありませんかっ?」
王太子の私室に入ってくるなり、桃髪翠眼の愛らしい少女は、うるるっと目にいっぱい涙を溜めて、俺に駆け寄ってきた。
正直、俺は、この時、ヒロインに会いたくなかった。
だって、そうだろう?
あの悪役令嬢があんな風に死んだんだ。
あの可哀想な幼馴染みの血に濡れた俺には、まだ、枯れ木のようになったあの娘を抱き留めた感覚、一瞬だけ熱を持ちつつも、ゾクリと冷たくなっていく唇の感触が残っていた。
その不気味ながらも艶めかしい血の接吻痕に、アンジェルも目敏く気づく。
「ああ! なんて、お可哀想な、リシャール様!!」
アンジェルは、己の口元を両手で覆って、大仰に涙ぐむ。
「忌まわしき魔女の呪いの接吻を受けるだなんて……っ」
俺は甚だ目を剥いた。
(……は? 忌まわしき魔女!? いや、誰が??)
これまで、ヒロインはそんなあからさまに悪役令嬢を貶したりしなかったのに。
俺はついイラッとして、アンジェルの腕をぐいとつかんで、食って掛かろうとした。
しかし――。
ピキピキーンと、俺の全身に、覚えがある嫌な感覚が走る。
S・R:
「アンジェ!」
出た。シナリオ・リシャール!
リシャールは、思いのほか薄情だった聖女の胸倉をつかむどころか、そのままヒロインをすぐ懐まで引き寄せた。さもいとおしげに、ぎゅうっと抱き締める。
S・R:
「逢いたかったっ!! あの汚らわしくも悍ましい邪悪なる女め!
この期に及んで、幸福な未来待つ我々をたいそう妬んで、この私にかような屈辱を――。ここで愛しい君にまみえなければ、私は、絶望と怒りのあまり、憤死したかもしれない。君のおかげで、どれほどか安堵し、心癒されたことか!!」
地獄で仏を見たくらい、リシャールは恋人(?)に頬擦りしながら吐露する。
血だらけなのに。背中にどっさり薔薇背負ったみたいにキラキラと、碧い瞳を潤ませて、
S・R:
「ああ、アンジェ。銀河に愛されし聖なる乙女。我が愛しき女よ。
この苦しみを消せるのは、君しかいない」
と、アンジェルに熱っぽく囁いて、
S・R:
「さあ、尊い君の力で、この私を清めておくれ」
と、彼女の顎をクイと持ち上げた。
アンジェルは、うっとりとリシャールを見つめて、頬を赤く染め、「はい」と、恥じらいながらも、お祓いの祝詞を唱えて、そっと唇を寄せる。
「お救いしてみせます。わたしの愛で」
言うなり、アンジェルは、悪役令嬢の血がべっとり付いているのに、ちゅ、とリシャールにキスをした。お清めとは思えないぐらい、淫猥な水音を立てて、なんなら血の接吻を嘗めとるくらいの勢いで、おもむろに何度も何度も唇を重ねる。
(え。いやいやいや! 何? 何なの、コレ!?)
心の中で、俺は顔から火が出そうになったが、マサトじゃないリシャールは、次第に興奮高まったのか、たいそうガッついて、段々自分からリードする側にシフトしていく。そのうち、ねっとりと、呼吸も忘れるくらい、夢中でアンジェルと舌を絡めるキスをし始める。
(うわわ……コレ、ヤバい。まじキッツい……。ガチで息もたん……)
マサトは、内心、目を回す。今すぐにでもヒロインを突き放したいのに、リシャールが、もっともっと、というように離さず、したたかに求めている。
これが、例えば、ドラマや舞台の自発的な芝居とかなら、まだ、どうにか割り切れるんだけど。リアルに好きでもない女子との強制ディープ・キスって、或る意味、拷問じゃね?
「……ふ……」
ひとしきり口づけを堪能した後、とうとうアンジェルも息苦しくなったらしく、眉間に皺が寄った。
そうして、さしものリシャールも諦めた。ぷはと、糸引く唇を離す。
S・R:
「アンジェ……」
「リシャール様……」
どちらからともなく、色づいた頬を擦り寄せた。
「わたし、ご一報を聞いた時、目の前が真っ暗になって、卒倒しそうになりましたわ。まさか、貴男が、血まみれでお帰りになられるだなんて。何か、瀕死の重傷でも負ったのかと思い、それはもう、悲しくて、切なくて、苦しくて――今にも胸が張り裂けそうでしたの」
S・R:
「大事ない。これらは、すべて、あの忌まわしい魔女の血だ。じきに湯殿の支度も整う。ゆえに、今は、この所為で、愛らしくも清らかなる君を毒してしまわないかだけが心配だ」
「そんなっ……。わたしは大丈夫です!」
S・R:
「本当に? これほど、君は、なよやかで、澄み切った硝子細工のように、美しく脆く、繊細だというのに。
ああ。私の花嫁。その可愛らしい顔を、もっと私によく見せて」
「は……い。リシュ様……」
頬や唇どころか、桃髪、耳裏、首筋、鎖骨、指先まで、ありとあらゆる官能のツボを、リシャールが優しいキスで愛でると、アンジェルは、すっかりエメラルドの瞳をとろんとさせて、熟れた林檎のように頬を染めていた。
「あ……。いけませんっ……。それは……」
S・R:
「……どうして? もしかして、嫌だった??」
「嫌……じゃ、ありません……。ただただ……恥ずかしくて」
S・R:
「可愛い」
リシャールは、ますます調子こいて、唇による愛撫を続けて、全力でヒロインを口説きにかかっている。アンジェルも、終始、まんざらでもなさそうだった。
もじもじと全身を火照らせ、蕩けるように恋人に身を任せ、何故か、いつにも増してセクシーな感じになっていた。
いやいや、このコ、前は、もっと控えめじゃなかった?
そうマサトは苦言を呈するのに、シナリオ・リシャールは、
S・R:
「ああ、なんて素晴らしい。愛しい君よ。その唇も、身体もすべて、存分に味わったなら、どんなにか甘いのだろう。如何なる甘美なる菓子も果実も敵わない。君こそ、我が至高の甘味。今すぐにでも食べてしまいたいくらい」
と、よくもまあ、ペラペラと、そんなキザなセリフが次から次へと出るもんだ。
え。何なのかね、これは。リシャールのが【攻略対象】じゃなかったっけ? これじゃあ、逆じゃね?? とか思ってみるも、リシャールは、ひたすら、ウブなヒロインに、触れて、ハグして、キスをして、熱烈に愛を囁き、あの手この手で誘惑する。
S・R:
「ああ。どうして、こんなにも、もどかしいのだろう。あと3日なのに。まるで、1分、1分が1年のように思えてやりきれない。早く、君と結婚したい。君との結婚式が待ち遠しいよ」
じっと見つめる碧眼に応えるように、アンジェルは、「わたしもです……」と、リシャールの両頬を両手で優しく包み込んだ。上目遣いに紅潮してアンジェルも言う。
「早く貴男の妻になりたいです。ああ。愛しい愛しい、わたしの王子様」
直球すぎる!
なのに、リシャールは、照れるどころかフッと口元を綻ばせて、陶酔するように、骨ばった両手をアンジェルの両手の甲に重ね合わせた。
S・R:
「ならば、共に禊を。これより私と参って、この魔女の呪いに侵されし哀れなる我が身を、君の聖なる手で、隅々まで清めてくれるかい?」
そう、すっとアンジェルの手を下ろさせ、そのままキュッと固く握り締める。その頬に、ちゅ、とキスをした。
アンジェルは、かああっと湯気を噴いてうつむく。
み、禊って……。
え。まさか、これ、このコに「俺の風呂に付き合えよ」って言ってる?
いやいや、やめろよ。何言ってんのよ、リシャールッ。
古風な言い回しにしても、内容、かなりブッ飛んでんぞ。そんなん一歩間違えると、エロ展開に突っ走っちゃうじゃんかっ!
そうかと思うと、アンジェルが、ふと、俺の鳩尾辺り、衣類に穿たれた小さな破け痕と、その下の皮膚に、点のような傷があるのを見つける。
「リシュ様。これは……?」
困惑したように、アンジェルは眉をハの字に下げる。
あっ。忘れてた。
そうだ。俺も、あの復讐犯のダガーにちょこっとだけ刺されたんだわ。
そんな痛みも吹っ飛ぶくらい、悪役令嬢の死が衝撃的すぎて、俺は、自分に、まったく治癒魔法をかけていなかった。もう出血も止まっていたし、そもそも、シャツもベストもマリエッタの血液が広範囲に付着して、それに俺自身の血が紛れてしまっていたので、クロードも、つい、そのことを忘れてしまったんだろう。
S・R:
「あの魔女の所為だ」
リシャールはふんすと怒る。
もちろん、ヒロインにじゃない。死んだ悪役令嬢に対してだ。
S・R:
「ああ、まことに、思い出すだけでも腹立たしい。
あれだけのことをしておいて、あの魔女は、白々しくも、私を『愛している』とほざきおった。
私に赦しを請うために、随分と汐らしく『残りの余生、かの地で世の安寧を祈ります』などと、明らかな欺瞞を宣うた。
だが、それでも私が流刑を取り消さなかったゆえ、怨嗟の呪いで、密かに呼び寄せていた手下に、己の心の臓を突かせ、最期に私に永遠に苦しむ呪詛を掛けた。
あの醜い魔女の汚らわしい血が、今もなお、私の玉ノ緒を絶えさしめんと、じくじくと私の身体を侵し、息も絶え絶えに苛んでくるのだ」
「まあ! なんてこと」
アンジェルは、蒼褪め、よよよ、とよろけた。
(いや! 違うから!!)
もちろん、マリーが死んだのはショックだし、俺は、後悔の念で、確かに胸が押し潰されそうなほどに、苦しんでいるけれども。
(なんで、そう悪い方悪い方へと話持っていこうとするん? あの時のマリー、普通に反省してたじゃん!! 最期だって、手下じゃなく、ただ恨み買った相手に復讐されただけなのに!)
俺は、シナリオ・リシャールの曲解というか、屁理屈が怖くなった。
「わたしに、おまかせを!」
アンジェルは、バッと、リシャールの衣類の前身頃を開いて、赤い点のような刺し傷に手を重ね、治癒魔法を唱える。
あっという間に傷は消えた。――が、アンジェルは、滑らかになった俺の六ツ割れ腹直筋に、ほうと感嘆を漏らした。もう傷はなくなったのに、俺の腹筋を、淫らに撫でこ撫でこして、チュと口づけ、ポッと赤くなる。
えっと。いくら、ヒロインでも、この状況で発情して、治療と関係なく男の裸に触ってキスするって。コレって、どうなのよ!?
「あ……っ。も、申し訳ありませんっ。リシュ様が、あまりに、お素晴らしくて」
(君、しれっと照れてるけど、ガチで恥ズいの、脱がされてる俺なんですケド)
俺は心の中で呆れたものの、シナリオ・リシャールは完璧な王太子スマイルで、
S・R:
「ありがとう」
と、アンジェルの手を取った。
S・R:
「やはり、君は、私の天使だ」
リシャールは、悩ましげに瞼を伏せた後、碧い瞳にこの上ない愛を込め、
S・R:
「天に選ばれし尊き乙女。銀河の光。咲き初めの白百合の如く清らかなる君が、ずっと私の傍に居てくれたなら。私は、この先、どんな過酷な試練でも耐えられる。私は――このサンクレール王国王太子リシャールは、君のために――かけがえのない、アンジェル=サヴァティエ嬢のために。
必ずや、この死にも等しい災禍を乗り越えてみせよう!」
と、情熱的に宣言する。
いやいや! 女、口説く前に、まず、てめえが服、閉じろや!!
それなのに、アンジェルも感動したように、星の如く目を輝かせて、
「嬉しい! わたしで御力になれますなら……」
と、リシャールに秋波を送る。
これに、劣情に支配されたリシャールが反応しないはずがない。
S・R:
「可愛い可愛い、私のアンジェ。私は君のすべてが欲しい」
「はい。愛しい愛しい、リシュ様。わたしの王子様。貴男のアンジェは、もう、貴男なしでは生きられません」
ぐはっ! また直球!!
ハァー……。少女漫画のド定番、シャンデリアも真っ青なキラキラ、真赤な薔薇咲き乱れる花園みたいに? ゴージャスなドリームにトリップして、キャッキャウフフして、めくるめくお2人だけの世界へGO! ってトコか??
「この身も、心も、すべて――。わたしは、お素敵な貴男――サンクレール王太子、リシャール=ロロ=フェルディナン=ド=シュヴァリエ様、ただ、お1人だけのものです。アンジェル=ユメル、――いえ、ラヴィション伯爵令嬢、アンジェル=サヴァティエは、貴男に愛されるためだけに、この世に生まれて参りました」
S・R:
「アンジェ」
「たとえ、この世界が終わろうとも。わたし達は、何度でも廻り逢い、愛し合う。わたし達は、そういう運命の星の下で結ばれた」
アンジェルは、おずおずと、女性らしい姿態を強調するよう身をくねらせ、もじもじする。
「ゆえに、貴男が、わたしをまことに愛して下さいますなら。
わたしのすべて、何もかも。余すところなく、貴男に差し上げてみせましょう。
そうして、心ゆくまで、貴男のアンジェを、貴男色に染め上げて下さいませ」
さらには、たおやかな指先で、コルセットで盛った胸の谷間へリシャールの視線を誘導した。
え。なに? ここ、全年齢対象乙女ゲームの世界ですよね??
なのに、この娘、ホントは肉食でしたっ!?
てか、マジで公式の清純設定、どこいった??
俺は、心底ブルッて、愕然とする。
スタイルは亡き悪役令嬢の方が均整とれてたけど、B級グラビアアイドルばりのエロかわ路線にジョブ・チェンジする、乙女ゲームヒロインって、何なん?
S・R:
「本当に良いのかい? 私は本気で燃え上がると、自制が利かなくなってしまうよ??」
「ええ。だって、愛しているんですもの。わたしも、麗しい貴男を欲している。
もう、貴男しか、いらっしゃらないの。わたし、きっと、貴男となら、どこへでもゆけます。ですから、どうぞ、乞うて下さいませ。愛して下さいませ。
ただただ、わたしだけを。永遠に」
S・R:
「ああっ!! アンジェッ……」
リシャールは、ヒロインをきつく抱き締めるや、とうとう、彼女をソファに押し倒した。
えっと。何コレ? 何かの悪い冗談っ??
いよいよ劇場めいてきたセリフ回しと場面転換には、もう飽き飽きするくらい慣れていたはずなのに。
ここへ来てのコレは流石にナナメ上すぎる!
俺、血まみれなんよ?(しかも幼馴染みな悪役令嬢の血!)
人間、2人死んだんよ??
なのに、ココ、思いっきりイチャコラするトコじゃないでしょーがっ!
もはやラッキースケベ通り越して、唐突なムチャぶりエロ展開に、童貞な転生者は、脳ミソ固まって、ガッつく聖女&王太子に、救済おねがい!!
だって、この国、婚前交渉アウトやん? 王太子のクセに、今から暴走してどーすんのよ??
ああーっ。こんなはずじゃなかったのにっ!
せめて、ヤるなら、3日後の挙式が済んでからにシてくれーっ!!




