絶望の覚醒
「あ…」
冷たい、寒い。凍える、凍える、凍える、凍える、凍える。
今の今まで火照っていた。焼けるような興奮があった。煮え繰り返るように、血は揺らめいていた。噴き出したアドレナリンに確かに体は熱かった。震えるぐらい、溢れ出すほど熱かった。
なのに、なんだこれは。血が凍てつく。ぴしりぴしりぴしり。とめどなく、しまいに凝固してしまった。血液だったものはそのまま体を流れてしまう。感じたことの無い疼き。臍を転がる剣山の痛み。いたい。世界に摩擦が存在することを嘲笑うかのように、凍りついた赤は滑らかにその道を八つ裂きにして駆ける。五体が形を奪われる。肉が凍る、骨が凍る、臓腑が凍る。寒い、寒い。熱は何処へ行った。柱状の氷がばらばらに変えて笑う。凶器が爆笑を上げて走り回っている。声に成らない嬌声。擦り合わすような、掻き毟るような必死の叫びは悲鳴にはどうしても聞こえない。違和感を叫ぶ理性もすでに今跡形もない。どうしてか切り裂かれているこの肉体からすら、歓喜が込み上げてくる。歓喜、あり得ないはずの色に染め上げられる。マゾヒズムともつかない説明不可能な感情の振動が刃にも伝わる。心と刃、切り裂かれるものと切り裂くものが仲良く共鳴する。おぞましくスピードが上がる。氷の薄刃は肉を壊すうちに、鋼をねじ切る剛刃となった。為す術もないままに、暫くして心全てが切り刻まれた。凶器はひとかけらだろうと見逃しはしない。最早なにも残らない。見当たらない。目を背けたくなるほど虚ろになった。不可逆の喪失感が最後の熱を掠めとる。
今のこの肉体は何なのか。まるで虫だ。寒さを感じ取るだけの、身じろぎすら取れない、冷感の芋虫。冬の夜の肉芋虫。眠りを忘れた狂乱の冬夜。霜つく芋虫。生と死に身離され、忘れ去られた、無力な虫肉。
がらり粉々に壊された俺のような物は、文字通り粉になった。かつて俺だった物は、何一つこの存在を支えてくれない。あの愉快な凍気の刃もいつの間にかいない。血は失われた。寒さすら立ち去って行ってしまった。主体でいる事を喪失した俺は、ある場所へ流れ着く。
異形の怪人「blood」。今は虚ろな、俺であって俺で無い、小さな異形のもぬけの殻。かつて俺だった木っ端微塵が、虚ろの中にしんしんと満ちてゆく。果たしてここが行き着く場所なのか。なすすべもなく、しんしんと。
虚ろな異形に満ちる、乾ききった、血液の戦士—
とろり。ごぼりごぼぼぼ。
ガチャリ。
重たく、確実な、体の芯から響く音。
「blood」が動き出す。
地上50メートルから地面に打ち出された、デブリと『名もなき異形』。せわしなく暴れるデブリと対照的に異形は死んだようにピクリともしない。空気の抜けた風船のように、動き出す姿が想像出来ない程に異形は脱力しきっている。その肉体はそのうちに、落下の最中にもぞりもぞりと脈打ち出す。萎れた肉体に似つかわしくない力強さで、拍動は次第に勢いを増していく。これを生物の挙動として受け取るのは難しい。むき出しになった心臓のような動きと言えるだろうか。目に触れるべきではない部分である心臓は見るものに無条件の不快感を引き起こす。命の中心にありながらも信じられない程無機的に不気味。異形の肉体もそうして生物としての感触を喪失した。
そのうちに拍動の強さに耐えかねたかのごとく、異形は大地との激突を待たずに骨格を無くし崩れ落ちた。完全に肉体を無くした異形はびちりびちりと、スープの形で赤く醜く降り注ぐ。
為すすべもなく墜落したデブリは、先ほどまでの異形の奮闘もあり重傷ではあるが、致命ではなく、異形の死を確信しているかのように、ゆっくりと頭を振って立ち上がり、体を引きずりながら歩き出した。戦いの終わりに安堵するかのように、少しずつ着実に。
空中で壊れ、地上にできた異形の血だまりに、波紋が渡る。正円ではない、歪な波紋。不快を引き出す、違和感の液体。
血だまりがおもむろに隆起する。溶ける氷の逆再生のように、波紋はあぶくを吹きだしながら、立体的に紋様を巡らす。砕けたパズルが組み上がる。
赤の中からぬらり立ち上がる。
デブリの絶望、厄災の支配人。
血の戦士は殺し去るため、その行き先へ歩き出す。




