49_ある家族の終焉
「やっとここに来れたな」
一流ホテルの一室で梨田は呟く。
取引している会社にオミヤゲを増額させ、会員クラスをゴールドに上げることが出来た。
とりあえずの目標だった、ゴールドクラスへのランクアップができた事に、梨田はご機嫌だった。
これで再来月の長期休暇に間に合わせる事ができた
「なかなか増額に応じないのには困ったものだ。・・・いきなり一桁増額はやり過ぎだったか?いいや。私との繋がりを強くすることは自社の利益に直結する。思い切った先行投資も出来ないのであれば、現在の熾烈な経済戦争に生き残れないという事を理解させる必要もあったのだから問題は無い筈だ」
部屋に備え付けられている豪華なソファに腰かけ、梨田の独り言は続く。
「まあいい。増額には応じたのだから相応の利益は確保してやるべきだろう。資金がないと言うのであれば投資先に指定する手もある。役員になればそれぐらいは難しくはない。非常に友好的で有能な協力会社への支援という形を取れば問題ないはずだ」
テーブルに置いたお茶で喉を潤す。
これから母や友人に会うので酒は控えている。
ここのマネージャーからも、あれと酒の併用は避けるよう言われている。
「友好的な相手にはそれだけの利益を与えるべきだ。そんなところをケチった所で私には利益がないのだから。そもそも私には。そこまでの金も必要はない。そう、ここのプラチナクラスを維持できる利益を確保できればそれでいい」
梨田の独り言は子供の頃から母親から注意されていた悪癖だが、最近はその癖の頻度が高くなっている。
あの薬を使うようになってからなのだが、その事に梨田は気が付いていない。
「しかし・・・」
梨田の顔が敵意に歪む。
「最近の常務からの風当たりが強くなってきている。自身の派閥に所属している私を攻撃しても仕方なかろうに。それとも私が独立を考えていることがばれたのか?いや、それは無いはずだ。まだだれにも言っていないし行動も起こしていない。ならばなぜ・・・?」
梨田の義理の父にあたる常務は、梨田がなかなか家に帰ってこないことを梨田の嫁の娘から愚痴られており、また夫を叱ってほしいとも頼まれていたのだ。
しかし娘たちも子供がいる、いい年をした大人であり、安易に娘達の家庭に口出しすることも憚られた。
その為常務は義父の立場から梨田に注意しているのだが、梨田はそれにも気が付いていない。
「まあいい。最後の手段だが・・・。常務をママに叱ってもらおう」
梨田の表情は安心感に満ちたものへ変わる。
元々このクスリを梨田に紹介した協力会社の社長はこのクスリについて、大麻ぐらいの依存度しかなくタバコよりよほど安全であると説明していた。
しかし自身の過去を元にした現実としか思えないような体験ができる"魔法"のクスリに、本当に副作用は無いのだろうか?
実際には梨田の理性や判断力等の一部は非常に落ちている。
そう小学生のレベルまでだ。
現在の彼は、一部がエリートサラリーマンであり、残りが小学生ぐらいの子供になっていて、人格にも歪みが出始めている。
その上クスリで体験している内容と現実の区別もつかなくなり始めているのだが、それらにも梨田は気が付いていない。気付けないといったほうが正しいのかも知れない。
部屋の扉をノックする音が聞こえた。
梨田は「どうぞ」と声を掛けるとホテルの従業員がいつも注射器とクスリを持って部屋に入ってくる。
いそいそとリラックスできる服に着替えた梨田はベッドに寝ころび、従業員が手際よく点滴をセットしていくのを見つめる。
そして従業員がクスリの入った注射器を自身の腕に刺しクスリを注入する。
梨田は目を閉じて最高の時間が訪れるのを待っていたが、なんだか部屋の外が騒がしい。
怒鳴っている男がいるようだ。
全く、せっかくのゴールドランクのホテルだというのに。
帰り際にホテルへクレームを入れよう。
そんなことを考えていると部屋の扉が荒々しく開かれた。
Side:谷口 元也
目の前で被疑者達が刑事に連れられて行く。
そのすべてが高級なスーツに身を包んだサラリーマンばかりだ。
「辻さん、いきなり呼び出されて参加してますけど俺達が首を突っ込んでもいいんですか?」
俺は上司である辻警視に質問をする。
辻警視は銀縁の眼鏡を上げながら、困ったようにため息を吐く。
「それは問題ない。本来ならこれはソタイ(組織犯罪対策部)5課かマトリ(麻薬取締部)のヤマだ。私達が首を突っ込むことは無い。だがどうもブツがこちら側のもので扱いに困っているらしくてな。急遽、本庁の私達が呼び出されたのだ」
「こちら側のブツ?よくわかりませんが・・・」
「私もブツについてはまだ説明を受けていないのでよくわからん。こちら側の物と言えば特殊対象の死骸が主だが、それとソタイが扱うクスリとどう関係するのか不明だ。だがかなり持て余しているようでな」
本来警察というのは縄張り意識が非常に強い組織だ。
そんな組織で全く関係のない自分たちが駆り出されるという事は、ソタイやマトリもよほど困り果てているのだろう。
今俺の眼の前で連行されていく被疑者たちは通常の薬物事件で挙げられるジャンキーや若者、有名芸能人などと違い社会的地位もある中年以上のサラリーマンばかりだ。
その上薬物売買の現場と思しき場所がそれなりのホテルのフロアを貸し切っているときている。
それらの事がこの事件を通常の薬物が絡む事件とは異質であることを表している。
「被疑者も多いから聴取にも時間が掛かるだろう。その間にソタイの班長と打ち合わせだな」
辻さんは眼鏡を拭きながら、連行されて行く被疑者の列を見つめていた。
「梨田さん、あんた、その若さで一流企業の部長さんでしょう?正にエリートだ。なのに何でこんな馬鹿な真似したの?」
聴取中の刑事が被疑者である一流企業の部長に問いかける。
ソタイの班長から取り調べの様子を一緒に見て欲しいと言われた俺と辻さんは、隣の部屋から取調室を眺めている。
今まで刑事の質問に対しても黙り込んで一言も話さなかった男が神経質そうな顔を上げ、刑事の顔を睨みつける。
「馬鹿な真似?どこが馬鹿なんですか?自分の家族や親友に会うことが馬鹿な事なんですか?」
「家族?いったい何の話を・・・」
刑事が話しかけるの遮るように部長さんは言葉を続ける。
「僕にとってあの時間は何よりも大事な時間なんです。こんな所であなたに構っている暇はないんですよ。それに家に帰るのが遅くなると母が心配するんです。早く・・・、早くあの部屋に帰してよ」
「あんたの家は西区だろう。ホテルは中央区で全然違う。なあ真面目に質問に答えてくれよ」
「早くお家に帰してよう・・・。早く帰らないとお母さんに怒られちゃうよ・・・」
部長さんはもう目の前の刑事を無視をして下を向きながら何かをぼそぼそと呟いている。
そんな彼をマジックミラー越しに眺めながら、ソタイ班長がぼやくように話し始める。
「はあ、このヤマの被疑者はいつもこんな感じですわ。元々ジャンキーは何言ってるかわからんことが多いですが、こいつはちょっと違っていてね。言う事が全員同じなんですよ。「早く部屋に帰してくれ。家に帰りたい」ってね」
「家に・・・ですか?」
「ええ。しかもその家っているは挙げられたホテルの部屋の事で自宅の事じゃあないんです。大体そのホテルも今回のクスリをやり始めるまでは利用した事もない場合が大半なんですよ。これじゃあ売人組織につながる情報も出て来やしない。もうお手上げですわ」
「今回のヤマだとホテル側に売人の主犯がいるはずです。身柄は確保しているのでしょうか?」
辻警視が銀縁眼鏡を押し上げながら確認する。
ソタイの班長は「失礼」と言いながら煙草に火をつけて一服する。
「現場を仕切っていた奴は確保しました。飯田市の歓楽街でホストをやってたチンピラです。気の弱い奴なんでちょっと絞れば色々と吐いてくれるでしょう。ただねえ。こちらも変な所がありまして・・・。本人が言うにはスカウトされたと」
「スカウト?」
その男曰く、ホストになったものの思うように稼げず、闇金からは借金してしまい首が回らなくなっていた。
そんな所に男が声を掛けてきたらしい。
その男は40代の中年で少し小太りの特徴のない顔立ちだったらしい。
ただずっと笑顔を崩さなかったのを不気味に思ったとのこと。
「その男が言うには、ホテルで開かれるパーティーの仕切りをして欲しいと。そして謝礼は十分に出すと」
その男の言う額は借金で首の回らない男にとって非常に魅力的だった。
仕事の内容もクスリの乱用パーティーだと理解した男は、殺し等の本当にヤバい仕事ではないと知りその男の誘いに乗った。
仕切りと言っても、クスリ自体は事務所代わりに使っていたホテルの一室にいつの間にか補充されており調達の必要がなく、客に注射する女達(元看護師ばかりだったらしい)のスケジュール管理ぐらいで、客自体も暴れたりするような筋の悪い客はいないので仕事は楽だったらしい。
「なるほど。では確保した奴は身代わりだったと言う事ですね」
「ええ、そうなんです。まあこの手のヤマではよくある話です」
「しかしこの事件で私共がお手伝いするような要素は無いように思えますが?」
辻警視の言葉を聞いてソタイの班長は苦笑を浮かべながら煙草をもみ消す。
「ええ、ここまでは異常って事はないんですけどね。実はこのクスリのガサ入れをするのはここで3件目なんです。で先の2件でも仕切りをしていた奴は確保していましてね。同じくスカウトされたと言ってる。だからスカウトに来た男の似顔絵を描かせたんですが・・・」
班長は困ったように髪を掻き上げる。
「変わるんですわ」
「変わる?」
班長曰く、一回目のガサ入れの後、確保した男(この男をAとする)に協力させて男の似顔絵を描かせた。
その似顔絵を元に捜査していたのだが、2回目のガサ入れの後に確保した男(この男をBとする)にも似顔絵を描かせたらしい。
するとAの作った似顔絵と全く違う顔が出てきた。
スカウトしている男が複数いるのかと思ったが、念のためAを呼び出して似顔絵を見せて詰問した。
するとAは自分が作成したはずの似顔絵を見て全く似ていないと言い、もう一度似顔絵を作らせてくれと言い始めた。
仕方なく班長はもう一度Aに似顔絵を作らせた。
今度はきちんと作成するようにきつく釘も刺した上でだ。
Aは顔を青ざめさせながら再度似顔絵を作ったが、その似顔絵の顔は今まで作成された似顔絵のどれとも似ていなかった。
班長は嫌な予感を覚えながらBにAが作った似顔絵がBの似顔絵に全く似ていないことを詰問すると、Bも自分が作ったはずの似顔絵が間違っていると言い出した。
班長は同じくBにも釘を刺した上で再度似顔絵を描かせると、やはり今までの似顔絵の顔と全く違う顔が現れたのだ。
班長は自身の嫌な予感が的中したことを感じながらも再度Aに詰問した所、やはり自身の書いたはずの似顔絵が間違っていると言い始める。
初めは警察を馬鹿にしているのかとも思ったのだが、自身の記憶が変にいじられていることに気づき始めたのだろう、恐怖のせいで表情が歪んでいるのを見て嘘ではないとわかった。
「そちら側では見えている物をごまかしたりする方法があると聞いています。今回もそれかどうかを判断したいんですよ」
「そうですね。主に幻術と言われる技術が・・・。なんだ!?」
辻さんは机を指で叩きながら説明を始めようとしたが、取調室に女が2人飛び込んで来たのを見て表情を変える。
「あなた!地方に飛ばされたと思ったら、どうして麻薬なんて!?会社も首になるんですよ!どうやって私達を養っていくんですか?!」
「パパ!犯罪者の娘なんてもう私学校に行けないよ!」
どうも被疑者の家族のようだ。
彼女たちを連れてきたらしい新人らしい刑事が慌てて2人の女性を部屋から出そうとするが、女達は泣きわめくばかりだ。
「おい、新人!すぐにそいつらを部屋から出せ!取調中に被疑者の家族を中に入れるやつがあるか!」
「すいません!さあ、早く部屋の外に出てください!」
「ねえ」
部屋が混乱している中、被疑者は不思議そうに2人の女を眺めていたが女達に話しかける。
男の言葉をきっかけに部屋の中が被疑者の言葉を待つように静かになった。
「おばさんは誰?」
「あ、なた?何を・・・」
「お姉ちゃんも誰?」
「パパ・・・?」
女達は被疑者の言葉が信じられないようだったが、顔をみるみる真っ赤にして男に怒鳴り始める。
「あなた!妻の私を忘れたって言うんですか!?」
「そうよ!娘の私も忘れたって言うの!?」
男は彼女たちの剣幕に驚いたようだが、子供のように笑っている。
「いやだなあ、おばさん。僕はまだ子供だから結婚できないよ。結婚していないんだから当然子供もいないよ?お姉ちゃん」
その言葉に呆然としている彼女達から視線を外し、彼は聴取していた刑事に向かって話しかける。子供のような純粋な笑い顔で。
「ねえ、おじさん。もう帰ってもいいでしょ?明日は朝からあっくんと釣りに行くから早く寝なきゃ。それに家でお母さんが心配しているはずだから」




