45_郷愁
終業のチャイムが鳴ると、既に帰り支度を整えていた中年の男が部下達に声をかける。
「私はもう帰るよ。今日は金曜だし、皆も早く帰るんだぞ。お疲れ様!」
「部長!お疲れさまでした!」
中年の男は梨田といい、40代半ばにして一部上場企業の部長職に就いているエリートだ。
神経質そうな顔立ちだが、そこに浮かんでいるにこやかな表情がその印象を打ち消している。
まるでステップを踏むかのように帰社する梨田の後姿を、部下達が挨拶を返しながら見送っている。
部下の一人が梨田の机を見ながら隣の席の同僚に話しかけた。
「いや~。梨田部長、最近ずっと機嫌がよくて助かるよ」
「そうよね。部長に昇進したのはいいけど、本社からここに飛ばされて来た当時はすっごいピリピリしていて、一緒の部屋にいるだけで疲れたけど」
「そうだったよな。あの時は部長に名前を呼ばれる度に、生きた心地がしなかったよ」
戯けたような表情だが、目は笑っていないことから本音なのだろうことが解る。
「でも半年ぐらい前から今みたいにニコニコするようになったよね」
「ああ、急にだったよな。でもキツく詰められる事が無くなったし、残業もほとんど無くなったし部内の空気もよくなって万々歳だぜ」
「うん。今は部長がすぐに帰るようになったから本当に楽だわ。特に金曜は絶対残業しないようにしてるみたいだから、私も仕事上がりに遊びやすくなったし」
女はそう言って笑う。
すると向かい座っている同僚が会話に参加する。
「余裕ができたせいなのか仕事も絶好調だしな。たしか今度の北京礦產貿易公司との大口取引も再来週には契約締結の予定だろう?」
「いいえ、正式な契約は半年後になるかしら。契約式を大々的にするでしょうから、時間が掛かるわ。再来週はあくまで実務者同士の合意ってところね。でも相手もお上に話を通しているらしいからもう大丈夫よ。でもあの難物で有名な先方を説得してここまでまで話を持ってきたんだからすごいわよ。役員たちも目を白黒させていたみたい」
「ああ、無理を承知で割り振った仕事だったのは誰もが知っていたからな。若くして部長職に就いた梨田部長への嫌がらせの一つだった訳だし。だけど今回の契約で最年少役員誕生は確実になったから嵌めようとした役員達は臍を噛んでいるんじゃないかな」
「あーあ、俺も梨田部長みたく出世してみたいぜ」
「あれ?あんたって今月の目標達成してた?」
「それは言わないでくれ・・・」
部下達が自分について噂している事などつゆ知らず、梨田は家路を急ぐ。
長い一週間が終わり、やっと家族や親友に会える。
平日は業務が終わった後の少ししか会うことができないので、妻や子供がいる家に帰らなければならないけど、休日はゆっくりできるのだ。
ママは今日の晩御飯はハンバーグだと言っていたし、土曜日にはあっくんと遊ぶ約束をしている。
週末は忙しくもあるが、幸せな時間が待っている。
梨田は自身が飲むときには利用する事など無い、安っぽい飲み屋が立ち並ぶ繁華街の裏路地に入り、いつもの店を目指して足を速める。
“レンタルビデオショップ 少年期”のネオン看板の下にある狭い入口から店に入ると、カウンターが一つだけありいつものように老人が座っている。
「日曜の晩まで」
いつものオーダーを伝え、財布から出した会員カードを老人に渡す。
この店は会員制で、登録料によってランクが決められる。
会員ランクが最高ランクのプラチナであれば、こんな場末の汚い場所ではなく都心の高級ホテルでこのサービスを毎日利用することも出来るが、残念ながら梨田のランクはシルバーだ。
シルバーは週に60時間ほどここを利用する事ができる。
本当であればホテルが利用でき、かつ毎日ではないが長時間利用ができるゴールドランクにしたかったのだが、入り婿である自分は小遣い制なので高額の料金は支払えなかった。
自身の給料を自由に使えない事がもどかしいが、役員になり地盤を固められれば、常務の娘である妻との離婚も怖がる必要は無いだろう。
それまでの我慢だと梨田は考えている。
それに今度の契約が取れれば、長期休暇を予定していて、その間ずっとこのサービスを利用する計画だ。
その為には長期利用が可能なゴールドランク以上に上がっておきたい。
仕方がない。下請けに要求するバックマージンを多くしてもらおう。
どうせ他の役員や役職付きもやっている事なのだからバレなければ問題はない。
いや、例えバレても勝手にもみ消してくれるかもしれない。
とばっちりは誰もが御免だろうから。
店の老人が会員証を確認し終わると「14番だよ」と部屋番号を教えてくれる。
梨田は慣れた店内を足早に歩き14番の部屋に入る。
部屋の中には大きな革張りの椅子が設置されており、その側には点滴用の台がある。
いつもの様にリラックスできる部屋着に着替え、部屋の中央に据えられた大きな椅子に座ってその時を待つ。
すると10分のしないうちに女が点滴のパックと注射器を持って入って来て、手慣れた手つきで点滴をセットする。
そして梨田の右腕に注射をして中に入っている黄色の液体を注入する。
眼をつぶると彼は子供の頃に住んでいた家の前に立っていた。
自身の姿も小学生低学年の頃に戻っている。
「ただいま!」
「おかえりなさい。今日はハンバーグよ。早く手を洗ってらっしゃい」
元気な声を上げながら家の中に入り台所に向かうと、母が台所に立っており彼に優しく微笑みかける。
ああ、やっと帰ってこれた。
Side:斎藤 実紀夫
俺は“美味しい仕事”にありつく為におっさんに頼み込んだ。
おっさんの嘘っぱちかもしれない。
外国に売り払われるのかもしれない。
そんなことを考えなかったとは言わないが、俺自身の借金を返す方法が他に考えられない今、家族と元の生活を取り戻すためには、例えどんなに怪しい“美味しい仕事”であっても飛びつくしかなかったのだ。
おっさんは勿体ぶる事もなく、あっさりと繋ぎを取ってくれた。
その“美味しい仕事”を主催している“会社“はいつでも人を募集しているので応募者は大歓迎らしい。
俺はおっさんに教えてもらった集合場所である、都心から少し離れた港にある倉庫に向かった。
指定の場所に着くと、倉庫の入口に体格のいい男が二人立っていて、他に人影は見当たらない。
俺はおっさんに指示された通り、男達に紹介者である西村のおっさんの名前と自分の名前を告げる。
男はメンバーリストらしき資料を見ていたが、俺達の名前が見つかったらしく中に入るよう言われた。
倉庫の中に入ると、すでに参加者らしき奴らがかなりいた。
ほとんどが俺と同じホームレスのようで、身綺麗な格好をしている奴もいるが極少数だ。
倉庫の中で適当な場所に座り込むと、説明が始まるのを待つ。
周りにいる男達の一部は既にグループを作っているようで、手持ちの情報を交換し合っているようだ。
座って待っていると、倉庫の奥にある台にスーツ姿の中年男性が立ち、挨拶もそこそこに早速説明を始める。
そこで説明された内容は、おっさんに聞いていた内容とほとんど同じだった。
仕事はかなりきつい労働であること。仕事の内容には命の危険がある事。仕事の期間は個人の借金が返済されるまでで、それ以前に辞めることは許されない事。期間は個人の抱えた借金の額に比例する事。そして仕事に従事している間は、“会社“が用意した敷地から出ることは許されない事。
これだけ聞くと刑務所での労働を連想する。
だがムショでいくら働いても借金は減らないのだから、破格の仕事なんだ、きっと。
男の話は続く。
仕事の報酬は借金の減額であり、金銭の報酬は基本的に無い事。ただし仕事に従事している間の衣食住に関しては“会社”が提供する事(多くはないが酒、または甘味も出ることがあるらしい)。そして仕事の期間が満了した際、勤務した年月によって少額ではあるがボーナスが出る事。
なるほど仕事が終わっても無一文で放り出されることは無いってことか。
そして最後に罰則の説明があり、“会社“の指示している仕事に対して結果が著しく悪い場合や、会社の命令に対し不服従や抵抗をした場合には借金取りに身柄を渡されることになること。
この条件に納得できない者は倉庫から出ていくよう言われ、ここに残るという事はすべて承諾したと判断するという言葉で説明が終わった。
周りを見渡すも帰る者はほとんどいないようだ。
俺も帰るつもりはない。
命の危険があろうとも、借金取りに捕まろうともこのチャンスを逃せば、もう借金を返す機会など無いから。
このか細い藁に縋りつくしかないのだ。
黙って座っていると条件を承諾したと判断されたのだろう、倉庫の表に止まっていた大型の観光バスに乗り込むように言われる。
バスの窓にはすべて黒いシールドが張られており、外が見えないようになっていて、後部にはトイレまで付いていた。。
俺達がバスに乗り込む為に並んでいると、一杯になったバスから順次発車していくが見える。
俺もバスに乗り込み適当な席に座って出発を待っていると、車内の席が一杯になった所でバスが走り始める。
運転手から走行中、私語は禁止であるアナウンスがあったため車内は静かだ。
かなりの時間バスに揺られていたが、途中一度も降りることは許されなかった。
その為、目的地に着いてバスから降りるよう言われたときには疲れ切っていた。
ふらふらとバスから降りると周囲がフェンスに囲まれた広い運動場のような場所にバスが止まっており、フェンスの向こう側には森が広がっている。
そして標高が高いのだろうか、かなり肌寒い。
俺達が降りた場所には“会社”の社員が待っていた。
その男は30代ぐらいでがっしりとした体格をしていて、底の抜けたような笑顔で俺達を出迎える。
「皆さん、よく来てくれました!これからあなた方には借財の返済が適うという、とても素晴らしい仕事が待っています。その為に粉骨砕身で頑張ってください。私共はあなた方を応援し支援いたします!」
やたらとデカい声で俺達に挨拶をした男は話を続ける。
「それではこれから皆さんが生活をする場所へ案内します」
そう言うと男はすぐ近くにあったコンクリート製の5階建てビルに向かって歩き出す。
あそこがこれからの住まいか。
5,6年は居ることになるだろう住処だが、想像していたあばら家のような建物でなかったことに安心した。
思っていたよりは住居はまともかも知れない。
俺達は男の後について、歩き始めた。




