彼女だけは
次の日は朝遅くに起きた。十分寝たはずなのに疲れが取れない。
ナミュールまでは馬の背に揺られてゆっくり行っても半日の距離。約束の日まではまだ2日ある。
そもそも何でアンジュ公爵領に戻ってきたんだっけ?ああ義父さんが私の本当のお母さんを殺したってコンツ男爵が言うから確かめに来たんだっけ。
コンツ男爵、正解。その通りだったよ。義父さんはお母さんを殺した敵だったよ。でも義父さんはもう死んでるし、そもそも私を育ててくれた義父さんを敵としてどうこうするなんて出来るわけないじゃん。
義父さんは雇われて仕事としてやっただけなんだよ。私がマリー様の振りをしてヨハン様を騙したのと一緒。
じゃあ義父さんの雇い主が敵?なんとお母さんと私を殺すよう言ったのはお父さんでした。
お父さんは叔父さんが殺しちゃったみたい。
何故お父さんはお母さんと私を殺そうとして、何故叔父さんはお父さんを殺したの?
分かんないよ。全然分かんない。
ねえ、私どうしたらいいの?
義父さんの遺言に書いてあった。
「ただ一つ言える事はお前の正体を公爵家の連中に知らせる事は危険だって事だけだ」
本当だね。義父さんの言う通りだよ。アネット・ド・アンジュなんて名前は厄介事しかもたらさない。なんで誰も彼も私の名前を見抜くんだろう。モンスになんか行かなきゃ良かった。
いっそ帝国に帰ってランベルトと結婚しちゃおうか?ランベルトは信用出来ないって言うけど、信用出来る人なんている?
……いるわ。いる。確かにいる。アメリさん。従姉妹の、そして私の忠臣。
あの時何も言わず私を送り出してくれた。残った自分がどうなるか分からなかったのに。
彼女は信用できる。彼女だけは私を裏切らない。
それにアメリさんならアンジュ公爵家の内情も私や帝国人よりよほど知ってるはず。
ランベルトの部下にアメリさんを探させたのは無事を自分で確かめたかっただけだった。
でもアメリさんなら誰が敵で、誰が味方か教えてくれると思う。
アメリさんに事情を聞いてから悩んでも遅くない。
アメリさんに会おう。
そう考えると元気が出た。遅い朝食を食べ宿を発つ。
今日も空は晴れていた。さっきまでのうじうじしていたのが嘘のよう。
残された希望に向かって進む私の顔を撫でる様な風が心地良い。
道行く人も私の格好には目を止めても、帽子の影に隠れた私の顔には気付かない。
街道沿いに見える生命力に溢れた夏の風景が私を元気付けた。
ナミュールに着くと、指定された宿を取り、厄介事を避けて約束の時まで宿に籠った。
何て事だろう。あんなに嫌やがってたランベルトの手先を待ち望んでるなんて。
約束の日の午後、宿の部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「エレナ・フォン・コンツ様。お客様がいらっしゃいました」
「入って貰ってください」
入って来たのはアーヘンで会った男の人。ずっと私を監視してたんだろうか?
この前と違ってもう問い詰める気にならない。
「それで、どうでした?アメリさんは見つかりましたか?」
「アメリ様は侍女の役割を放棄したとして免職になり、ご実家にお帰りです」
アメリさんは役目を放棄なんかしてないけど。私がアメリさんを置き去りにしたんだよ。
「アメリさんの実家はどの辺にあるの?」
「ナミュールの南2リューほどにある村に屋敷がございます」
「案外近くて助かるわ。ここから日帰りできるわね」
「アネット様、アンジュ公爵は軍を編成し、詳細は不明ですが南に向けて進軍中との事です。今南に向かわれるのは避けられた方が良いかと」
「南に向けて進軍と言ってもモンスからでしょう?ナミュールより随分西ではありませんか」
「いえ、モンス以外にも動員が掛かってるとの事です」
「南と言ってもいくら何でも2リュー先で戦いがあるわけじゃないでしょ。アンジュ領内じゃない」
「それはそうですが」
「心配してくれるのは有難いけど、私はアメリさんに是非聞きたい事があるの。それも出来るだけ早く。明日行ってきます」
「アネット様が是非と言われるのなら護衛を付けます」
「あなた達に護衛される謂れは無いわ。ここはアンジュ公爵領で帝国じゃありませんから」
ちょっと言いすぎかな。
「分かりました。ご幸運をお祈りいたします」
「ちょっと言いすぎましたね。あなた達の働き、感謝していますよ」
彼は恭しく礼をして部屋を出て行った。
リュー:革命以前のフランスの距離単位。正確な値は地方により異なるが約4km




