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手紙

 翌日再訪したサニエさんに言った。


「アンジュ公爵家の主になれといきなり言われても困ります。私は両親とされるエリック様、セリーヌ様の事も何も覚えてないのですから」


「ですが、臣下の者はミシェル様にはもはやついて行けないのです」


「今は無理です。もう少し様子を知らないと」


「ではいずれはアンジュ公爵領にお戻り頂けるのでしょうか?」


「それも分かりません。兎に角今直ぐ決めるのは無理です」


「分かりました。エミール・クロー様にはそのようにお伝えします。お早いご決断を願っております」


 サニエさんは今日説得する事を諦めて帰った。


『何やら険悪なご様子でしたが、どのようなお話でしたか?』


『それがアンジュ公爵領に帰って来いと言うのです』


『アンジュ公爵様のご使者ですか?とてもそんな風には見えませんでしたが』


『前公爵のエリック様の時家宰だったエミール・クローと言うお方からのお手紙をお持ちでした。その手紙によるとクロー様はもはやミシェル様に従えないので、わたくしにアンジュ公爵家を継いでほしいそうです』


『ミシェル様がご健在なのにアネット様がお継になるのですか?』


『私にも良く分からないのですが、彼らは王家との争いを収めるために、国王陛下の姪である私が公爵家の主になるべきだと言うのです』



『でも、アンジュ公爵は帝国と同盟するおつもりでアネット様をヨハン様の花嫁として送りだしたのですよね。アンジュ公爵家と王家が和解したら帝国との関係はどうなるのでしょう?』


『私がヨハン様との結婚を拒否したため、公爵家と帝国は戦争寸前だったのですから、もはや同盟を結ぶ事は不可能でしょう』


『そんな事は御座いません。現にアンジュ公爵家と帝国は和解し、アネット様は帝国内でお暮しではありませんか?全てはアネット様の御心一つでしょう』


『ナタリーは何を言ってるのですか?』


『ヨハン様が気に入らなければ、ハンス様かランベルト様とご結婚されれば、それで万事上手くいきます』


『あのね、ナタリー。ハンス様とは一度もお会いした事はないのですよ』


『貴族の方のご結婚はそのような物だと思っておりますが。ヨハン様とマリー様もお会いになった事は無かったのですよね』


『私は生い立ちが生い立ちですから、貴族の生き方には馴染みません』


『ではランベルト様はどうですか?ランベルト様はアネット様を殊の外大切にされていると思いますし、離宮から出奔される前はお二人は結婚のお約束をされていたとお聞きしてます』


 ランベルトはナタリーにまで、一体何を吹き込んでいるのかな?


『ランベルトが私を大切にしているのですか?』


『アネット様が出奔されてから、ランベルト様は何度かアネット様とお話になろうとしてその度にアネット様に逃げられたとお聞きしています。それでランベルト様は無理にお会いになる事無くアネット様が安寧に生活できるようされています。その証拠に私がアネット様のお世話を致しているではありませんか』


 まあ公爵家と帝国は和解したし、帝国は私を道具として扱う事もないんだから、以前とは状況が変わってるわね。でもランベルトが肝心な時に裏切ったのは事実だし。


『ランベルトから何を聞いているのか知りませんが、彼は私が本物だと知った時その事を本人には告げず、皇帝陛下に急使を出そうとしたのですよ。つまり本人に知らせずうまく利用しようとしたのではありませんか』


『でもアネット様はその事をお知りになったのでしょう?』


『それは私が密かに帝国語を学んでいて、ランベルトとアメリの会話の内容が理解出来たからです』


『アネット様が御自分の本当の身分をお知りになればランベルト様との関係が壊れる事を恐れたのではありませんか』


『どっちにしても皇帝陛下に知らせれば同じではありませんか?自分の事を自分だけが知らないと言うのはとても危険です』


『ランベルト様とアネット様が御結婚されていれば、ランベルト様は皇帝陛下からアネット様をお守りできるのではないですか?皇帝陛下もランベルト様の奥様に害を加えたりはしないでしょう。何と言っても、ランベルト様も皇帝陛下のお子様ですから』


 害を加えないのと利用するのは両立するとは思うけど、ランベルトにはヨハン様のように乱暴な事をされた事は無いよね。


 確かに状況は変わってるし、ランベルトも反省したかもしれないけど、だからと言って今ランベルトと結婚したいとは思わないよ。何と言っても私、今の生活結構気に入ってるんだよね。


『兎に角その話はここまでにしましょう。私は今公爵家の主になるつもりも誰かと結婚するつもりもございません。それはそうと私は一度公爵領に行きたいと思います。エリック様とセザール様がお亡くなりになった状況を確かめたいと思います』


『ご両親の最後をお知りになりたいのは当然だと思いますが、お二人とも随分前にお亡くなりになっているのですよね。公爵家で既に十分調査がされているのではないですか?』


『それが最近になって疑義が生まれているのです』


『調査をされると言われるのですが、どうされるのですか?』


『まず養父母の家に帰り、養母に話を聞いてみようと思っております』


『アネット様は庶民の家でお育ちと聞いていたのですが、アネット様の養父母様が前公爵夫妻が亡くなった時の様子を知っておられるのですか?』


『それがコンツ男爵が言うには、養父が私を拾ったのはセリーヌ様が襲撃された現場ではないかと』


『それはそうかも知れませんね。だから御養父にお聞きになりたいと』


『養父は既に亡くなっております』


『現場にいなかった御養母がその時の事を聞いておられるのですか?』


『それもありますが、セリーヌ様を襲撃したのは養父ではないかとコンツ男爵様は言うのです。それで養父が本当は何者だったかを確かめようと思っています』


『それは危険ではありませんか?私共が調べます』


 ナタリーさんが言う私共って何だろう?


『ナタリーさんが言われる私共ってどういう意味でしょう?』


 ナタリーさんはしまったと言う顔をしている。


『怒らないで聞いていただけませんか?』


『まず話を聞かせて下さい』


『ランベルト様は帝国の公式の組織とは別にランベルト様を慕う庶民を集めた組織をお持ちです。それで帝国各地や周辺の国の情報を集めておられます。ランベルト様はその情報を元に庶民の事を考慮した政策を立案され皇帝陛下に上奏されているのです』


『ナタリーさんもその組織の一員と言う事?』


 やっぱり監視役じゃないの。


『それはそうですが、私はアネット様を監視するためにここにいるわけではありません。ランベルト様の大切な方をお守りするためにここに居るのです』


 なんですって?ランベルトの何?


 ナタリーさんが私の世話をしてくれるのはありがたいけど、結局この人はランベルトの側なんだよね、当たり前だけど。さっきの話も要はランベルトと寄りを戻せって事じゃない。


 そりゃ言ってる事一つ一つは正しく思えるけど、でも結局あの時の事を取り消すことはできない。


 その時の話はそれで終わりになった。


 アンジュ公爵領へ潜入する準備をしていたある日、とんでもない事が起こったよ。


 その日の午前に、立派な服装をした背の高い男性が私の家を訪問した。


『こちらにアネット・ロンさんがお住まいですね』


『アネット・ロンは私ですが』


『重大な要件があります。市参事会(ラート)はアネット・ロンさんに市庁舎(ラートハウス)までお越し下さるよう要請します』


『市参事会がですって?』


 市参事会に呼ばれるような重大な案件は思いつかなかったけど、ケルンに住む以上市参事会の要請を無視する事は出来ない。仕方なく男性について市庁舎に向かうと、応接室で待ってたのは二人の男性。一人がいきなり声を荒げた。


『私はアネット・ド・アンジュ様と面会したいと言ったのだぞ』


 何?この失礼な人は。


 もう一人が言った。


『私が聞いたのはアネット・ロンさんと面会したいという事でアネット・ド・アンジュ様と言うお方は市当局では把握しておりません』


『そのアネット・ド・アンジュ様がアネット・ロンを名乗られておられると言う情報を得たのだ。だが、なんと言うかこの娘はとても陛下の姪には見えない』


『人違いでしたら帰っても良いですか』


 私は市の役人らしい人に聞いた。


『少し待ってください、アネット・ロンさん。今帰られては困ります。この方は王国からアネット・ロンさんに会いに来たそうなんです』


 アネット・ド・アンジュにでしょ。アネット・ド・アンジュに会いたいなんて言う人に碌な人はいない。


『私は国王陛下の命でアネット・ド・アンジュ様にお会いするよう言われたのだ。陛下の姪に当たられるアネット・ド・アンジュ様がこのような貧相な服装を……』


 貧相な服装で悪かったわね。


「なんと言う事だ。帝国はわが国王陛下の姪を遇するのにこのような待遇をもってするのか?」


 この服は皇帝家から頂いたものじゃなくて、自前ですけど。


「お話はそれだけですか?」


「このような場所におられてはいけません。ぜひ国にお帰り下さい。陛下も姪であるあなたの事を心配しておられます」


「帰る?モンスにですか?」


「いえ、陛下が宮廷でお待ちです」


 なんかこの人変な事言ってるよ。


「国王陛下の宮廷にですか?何故?」


「あなたのお母様は陛下のお妹君。すなわちあなたは陛下の姪ではありませんか?宮廷で王族として処遇されるのは当然です」


「私はアンジュ公爵家のものだと思っておりましたが」


「現アンジュ公爵はあなたの叔父、陛下はあなたの伯父ではありませんか」


「兎に角国王陛下の宮廷に行く気は全くありません」


 そう言うと私は扉から出て行った。ほんと、訳が分からない話だったよ。家に帰るとナタリーさんが昼食の準備をしていた。


『お帰りなさいませ。市参事会の重大な要件って何でした?』


『それが変な話でしたよ。王国から来た人が国王陛下の宮廷に来いって言うからお断りしました』


『国王の使者という事ですか?』


 そう言えば王国の方から来たとは聞いたけど、国王の宮廷から来たかどうか聞いてなかったな。


『多分そうじゃないですか?私が陛下の姪だから王族だとかなんとか』


 ナタリーさん顔色悪いよ。


『それで如何されたのですか?』


『それが最初は私を見てアネット・ド・アンジュがこんな貧相な服を着てる訳ないとか言うのですよ、失礼な。挙句に帝国の私に対する処遇が悪いとか言い出したんですよ。この服は自前なのに』


『そんな事より国王の下に行かれるのですか?』


『だから断わりましたよ』


 大きなため息。ナタリーさん何がそんなに心配だったのかな?私が国王陛下の宮廷に行くわけないじゃん。


 ところが数日してまた変な事になった。


 服も準備出来て、アンジュ公爵領への出発準備が整った日の昼過ぎ、我が家にまたまた変な人が来た。ピカピカの甲冑を着たどこからどう見ても騎士。重武装のまま家の前まで来るとまた変な事を言い出した。


『アネット・ド・アンジュ様にお会いしたい』


 何、この馬鹿。そんな名前を公言してどういうつもりなの?


『大声でその名を口にしないで下さい。兎に角入って』


 家に入るとその男に言い渡した。


『私はアネット・ロンです。先ほどの名を大っぴらに口にする事は決して許しません』


『申し訳ございません。私はヨハン様の使いです』


 ヨハン様の使い?


『どういう事でしょう?』


『ヨハン様は改めてアネット・ド・アンジュ様に結婚を申し込まれたいとの事です』


 恥知らず!


『ヨハン様は私の事をどこの馬の骨とも分からん娘と言われ、結婚を拒否されましたよ。そう言われるのを確かにこの耳で聞きましたから』


『それはあなたが身分を隠されたからとの事でしたが』


『私はその時自分の出自が分かってなかったのですよ。ヨハン様にとっては相手がどのような人間かより、どのような肩書かが重要なようですから、肩書とご結婚されてはどうでしょう?』


『そのような事』


『ヨハン様に釣り合われる肩書をお持ちのお嬢様方はこの世界には多くおられるでしょうから、どこの馬の骨とも分からないこの私と結婚される事は決してないと信じております。お分かりいただいたらお帰り下さい』


 扉を閉じて振り返るとナタリーさんがニコニコして言った。


『帝国人としてはどうかと思いますが、胸がすく思いです。アネット様のお世話係になれて幸運でした』


『でも何故ヨハン様は今更あのような使者を送られたのでしょう』


『今更ではないかと思います』


『どういう事です?』


『アンジュ公爵家、王家からアネット様を誘う使者が来たのです。帝国としてもアネット様を手放したくないと言う事ではないですか?』


『国王陛下からのご使者はつい先日の事ではありませんか?』


『実は今フランクフルトで帝国議会が開催されております。それで皇帝陛下やヨハン様、ランベルト様などがフランクフルトに滞在してるそうです』


『それにしても早すぎますよ』


『ランベルト様の例の組織には、手紙を素早く輸送する手段があるのです。それで至急便で連絡を受けたヨハン様が至急便で指示を出されたのでしょう』


 どう考えてもケルン側から連絡したのはナタリーさんだよね。


『ではもし私がランベルト様に手紙を書いたらランベルト様に直ぐ届きますか?』


『お書きになるのですか?』


『書きます』


 そう言ってから自室に戻ると2通の手紙を書いて、居間に戻って言った。


『ランベルト様宛の手紙はこれです。これを貴方達の手段でランベルト様に届けてもらえませんか?』


『分かりました。大切なお手紙、間違い無くお届けします。少し出かけてきますね』


 ナタリーさんが出かけるのを見届けると、直ぐ出発の用意をする。テーブルの上にもう一通の手紙を置いてから外に出た。ヤンさんに鍵を託けて城門に向かう。


 空は晴れ、夏の日の光が目を刺すかの様に強い。旅立ちには良い日。




『親愛なるランベルト様へ


 あれから9カ月になりますが元気にしておられますでしょうか。


 離宮での日々が遠い昔見た夢の様に思われます。


 あの頃とは違い、私も自己の責任に縛られて自由に生きられない事があり


 ランベルト様のお心遣いを少しは理解出来る様になりました。


 私はこれからアンジュ公爵領に向かい、両親の死の原因を確かめて参ります。


 その上で私の責任が許すならランベルト様に今一度お会いしたく思います。


 ご機嫌よう。


 アネット・ロン』

帝国議会:(神聖ローマ)帝国の帝国議会、選帝侯部会、諸侯部会、都市部会の身分制議会。

神聖ローマ帝国に関しては

菊池良生 神聖ローマ帝国 ISBN978-4061496736


手紙を素早く輸送する手段:(神聖ローマ)帝国の帝国郵便の事。「ニセ公女」ではランベルトの組織が帝国郵便の元になったと言う設定。帝国郵便はヨーロッパで初のリレー方式の近代郵便でブリュッセル(作中はモンス)ーインスブルック(作中は帝都)間を5日で伝達出来た。

ヴォルフガング・ベリーンガー著 トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史 三公社 39P


帝国自由都市と市参事会:

ケルンの市参事会については

渋谷 聡 帝国都市と帝国裁判所 ―18世紀帝国最高法院におけるケルン上層市民間の裁判 社会文化論集 : 島根大学法文学部紀要. 社会文化学科編 2011


高津 秀之 ドイツ近世都市ケルンの共和主義 : ヘルマン・ヴァインスベルクの回想録にみる参事会と市民の政治的対話 早稲田大学 2012

21P

>市長は、参事会の会議の議長をつとめたばかりでなく、穀物市場と肉市場での商取引を監督し、

>そこでの裁判を担当した他、都市の不動産記録簿(いわゆる「シュライン文書」)を

>管理する街区長(Amtmann)とともに、不動産取引に関わる裁判を行った23。


アネット・ロンは市内の不動産を購入し、地主となる事で市民権を得た。

この取引は不動産記録簿に登録され、

市当局はアネット・ロンが市民である事を把握していた。


>「同盟文書」の第1 項によれば、ケルン市民は「ケルン市のその時々の参事会に協力し、

>誠実であり、それに権力と権威を与え(mogich und mechtig laissen blijven)、

>それにあらゆる事柄にかんして協議させること」を義務付けられた25


アネット・ロンはケルン市民として市参事会の要請に答える義務があった。


ドイツの都市の発展については

瀬原義生訳 ドイツ中世都市の成立とツンフト闘争 未来社 1975年 


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