第3章 ファンダラの遺跡4
その時、イアンの後方で何かが動いたのが見えて、咄嗟に声を上げた。
「イアン後ろ!」
僕の声に遅れて振り返った時、樹の陰から何かが飛び出してきた。
「イアン、私を掴め!」
ベリトルの声に反応して反射的に柄を握ったイアンは、驚いた表情をした。
イアンが鞘から剣を引き抜く。一度も引っ掛かる事もなく。表現するのなら、まるで流れるように。鞘が剣から滑り落ちるように。
イアンがベリトルを振ったように見えた時には、もう耳を貫くような音と共に宙で火花が散っていた。反射的に目を瞑っていた僕は、再びイアンの姿を捉え、ようやく目が追いついていなかったということに気がついた。ぶつかる瞬間が見えない。見えるのは飛び散る火花とベリトルの残像ばかり。
「ど、どういうこと?」
理解が及ばず混乱したようにイアンが声を上げた。
「言っただろう。私は大戦前に作られた模範剣術装置。持った者は初心者経験者問わず剣の達人となる、と。だが、長年放置された今の私にできるのはあくまで剣の扱いのみ。イアンが私と息を合わせてくれなければ私もうまく力を発揮できない。それに、向こうは剣ではなく、刀だ。斬ることに特化している。気を抜くな!」
「息を合わせるって、どうやってすれば――」
イアンがベリトルに問うより早く、追撃してきた人間の動きにイアンの体が反応する。何度防がれようが構わずに突進してくるもの、それは紺色の軍服に身を包んだ女の軍人だった。イアンを捉えて外さないその目つきは氷の刃の様に冷たく鋭い。女の軍人が使っている刀はまるで直線でも引いているかのように一切ぶれることなく振られ、何も斬っていないのに高い音が鳴ってる。風を、空気を斬っているのか。
その動きには無駄がなく流れるようで、速すぎて目が追いつけない。イアンはその動きに反応して戦っているが、イアン自身ついていけていないのか、表情は驚きに満ちていた。達人のように強くなっているはずなのに、引けを取るどころか、着実に追い詰めようとしてくるその軍人は鬼のように見えた。
「イアン! 早く逃げよう!」
緊張感に耐えかねてそう言った直後、物陰から男が飛び出してきた。人間にしてはかなり大きなその男が持つ刀はベリトルよりも長く、僕は慌てて退いた。刃が目の前、数センチというところを通り、鼻先を微かに風が撫でる。長身の男の刃が次々僕に襲いかかり、みるみるうちにイアンの姿が小さくなる。刀が容赦なく振られ、間一髪で避けるのが精いっぱいだった。
一分も経たないうちに視界からイアンの姿が消えた。後退しながらなんとか避けるが、刀は何度も当たりそうになる。男の速さについていけず、痛みが襲ってくるのではと行く度となく覚悟したが、刀は一度も当たらなかった。斬ろうと思えば斬れたはずなのに。
僕が避けているから? いや、違う。こんなに追いこんでおいて斬れないはずがない。イアンが戦っている女の軍人と同じ服を身につけているし、恐らくこの人間は仲間なのだろう。それなら、尚更僕に一度も刀を当てられないはずがない。それに、この人間の動きについていけてない僕が、ベリトルの助けも無しに避け続けられるはずがない。この人間はそもそも僕を斬る気が無いとしか考えられない。じゃあ、どうして? どうして斬る気が無いのに僕に向かってくるんだ? 邪魔なだけなら放っておけばいいのに。考えろ。考えるんだカラミーユ。何かきっと理由があるはずだ。
僕は必死に頭を働かせた。この人間は一体何がしたいのか。何の目的があって刀を振るってきているのか。一度も当ててこないというのに。
不意にその事が気になった。イアンには刀をぶつけても、僕にはぶつけない。イアンと僕の違い。それはたった一つ。「種族」だ。
そうか! 僕は目を見開いた。イアンは僕と会話をしたり、背中に乗せたり、一緒に行動したりして互いの生きている世界に干渉し合ったからこそ麒法違反になった。今、この人間がしているのは麒法違反のギリギリのライン。この刀が僕に当たった時点で干渉し合った時点でこの人も麒法違反になるのだから、この人間は絶対に僕を斬らない。いや、斬れないんだ。斬る気が無いのに僕に向かってくる理由はこの状況なら一つしかない。
それは、僕をイアンから離す事。
本当にそうなら、僕はあの人達にとって都合が悪いに違いない。そうだ。イアンを背中に乗せて走ればこの状況から簡単に脱出できるんだ。人間が僕の足に追いつけるはずがないのだから。それなら僕は避けるのを止めてやる。お前達の思い通りにさせるもんか!
僕の考えは間違っているかもしれない。それでも自分を信じるんだ。この人間は僕を絶対に斬らない。そう、絶対に!
刀は音を立てながら向かってきた。僕は動きを止めた。逃げたい。避けたい。そんな生物の本能さえも理性で無理矢理抑え込んで。
お前は斬れない! 絶対に、僕を斬れやしないんだ!
それは自分に言い聞かせるようで、祈りにも似たものだったかもしれない。一か八か。命を賭けた大勝負。
体が石のように固くなり、もはや避けようと思ってもピクリとも動かない。まるで時間の流れが急に遅くなったかのように思えた。
刃が振り下ろされる。
息が詰まる。
心臓が凍りつく。
ダメだ。斬られる!
目を瞑りかけたその時、刃は僕の額に当たる寸前の所で、まるで時間が止まったかのようにピタリと止まった。遅れて風が軽く当たる。間近で見る刀はベリトルとは違い、片方にしか刃がなく、日光を反射してきらめいていた。何も斬ったことが無いほどに、刃こぼれどころか、濁りも無かった。滑らかで、触れただけで切れてしまうような鋭さを持つもの。これが刀なのか。
「あれ? 斬る気が無いのがばれちゃったのかな?」
刀を目の前にして圧倒されて動けずにいた僕とは裏腹に、男は刀を止めたまま余裕そうに笑った。それを見てはっと我に返る。
斬られてないんだ! 固まってる場合じゃない。イアンの元へ行かなければ!
首を横に振って怖じ気づきかけた自分自身を奮い立たせる。人間の言葉は僕ら幻属に対しては一方通行。僕の言葉は聞こえないだろうけど、それでも言わずにはいられなかった。
「どいてよ!」
まるでその意味が分かったように、人間はそっと刀を下ろした。
「これは俺の独り言。行くなら行け。手遅れになってしまう前に……」
長い髪で隠れて見えにくかったが、その顔はどこか悲しげだった。さっきまでとは全く違う雰囲気に一瞬驚いたが、僕は構わずイアンの元へと駆け出した。




