うまくいかないときもある
学園の卒業式の日から連日、メロディは帰宅後に離れを訪れて思索や考察に耽る時間を確保していた。当初は適宜「もうそろそろお休みになる時間です」と声を掛けていたフィリーだが、もはや穏やかに主人の銀髪を梳かすだけだ。
「にゃーい、まとまってきたねーぇ」
「あとは対照実験を整理すれば良いのよねっ?」
「うんっ! 書くとこ無さそうだから新しい紙に」
イリスはメロディと話しながら机の端に置いていた未使用の紙束に手を伸ばしたが、オルトに遠ざけられた分、届かなかった。
少女たちが真意を確かめるように彼を見上げると、
「…………あ、した……に、しよ……う……?」
「えー、今、良いとこなのにーぃ」
「お願い、もう少しだけ」
「……じゃ、あ……明後日……」
「にゃー! あと30分で終わりにするから! 3枚だけ!」
「……明々後日」
「なんでどんどん遅くするのーっ?!」
オルトが高く掲げてしまった紙束に手を伸ばすイリスだが、そのままでは身長差ゆえ届きそうにない。他方、〈ウル〉を起動して浮遊したところで上手く躱されてしまい苦戦した。
メロディは、その隙に幾つかだけでも余白に書けることを書いてしまおうとペン先をインクに伸ばすが、インクの蓋を閉められて取り上げられてしまった。
「……最後に一言だけ、忘れないようにしておきたいの」
「心配、い……らな、い…………君な、ら……覚え、ていられ、る……」
「明日のことなんてわからないわ」
オルトは何か答える代わりに仮面の付属照明を点滅させた。
すると、このままでは膠着状態に陥ると判断したのか、打開策としてオルトはメロディを抱えた。抵抗するも適わず、結局、廊下でそっと降ろされた。
不満を隠さずオルトを見上げるメロディに対してフィリーは「彼のいうとおりです。明日にしましょう」と窘める。
たとえここで粘りを見せてもふたりは室内へ足を踏み入れさせてはくれないだろう……オルトにしがみつきながら頬を膨らませてるイリスも、それは理解していた。理解しているからこそ、メロディと視線を交えても文句こそ言わなかった。
「本当に明日なら良いの?」
「……そのまま、に……してお、く……から……それな、ら、良いでしょ……?」
不本意ながらも、メロディはフィリーとともに離れを後にして就寝準備に取り掛かった。
******
7の月、初日。
円卓議会の会場前の円盤に署名を記してメロディは議場に足を踏み入れた。
到着している面々は平常どおりだが、珍しくソフォクレス公爵とデメテール伯爵が話しかけたところだった。甥と叔父の関係である両者は険悪では無いながらも、視線で意見を交わすほうがよく見かける。
「こちらは」
「父に言ってもどうせ無駄だとか」
「そうでしたか、かわいそうに……」
ソフォクレス公爵はデメテール伯爵から差し出された書類を受けとるなり、破って机上に乗せた。流れるような動作で破棄されて制止できなかったデメテール伯爵は苦笑とともに「ソフォクレス公」諌めるように呼び掛けた。
「ここで話すほどの内容ではありませんよ。悲しいものです、話してから無駄だと判断すれば良いものを」
「そう言ってなさるな、デメテールの末子のように話しても無駄になることすらありますからね」
ペークシス伯爵がデメテール伯爵の隣に腰かけながら意見する。デメテール伯爵は「否定はできない」とだけ言った。
「あと数年でも私の爵位継承が早ければ件の議会を体験できたのに、残念でなりません」
「止してもらえますかな、あれは決して見せ物ではありません」
さすがに軽く睨まれてソフォクレス公爵が肩をすくめたところを見計らって「あの……」メロディは彼らに声をかけた。
「お話ししているところすみません。シモン殿が何かお困りでいらっしゃるのでしょうか?」
視線を集めたソフォクレス公は「心当たりはあるかい?」メロディに尋ねる。
「いえ……」
「ならば気にすることはない。息子は帰国して間もないから不慣れなことも少なくないのだろう」
「配慮が行き届かず、申し訳ないことをしました」
「当人が油断した結果さ。君に責任は無いよ、メロディ」
そう言われたものの、釈然としたわけでは無かった。
着々と参加者が集合していき国王が入室する前に、メテオロス公爵、フラナリー伯爵の順で11名が揃った。
フラナリー伯爵は入室するなり、弾む足取りとともにメロディに声をかけた。
「やあっ! 【ユビキタス理論の前提とする仮説:生来性不活性動力の再活性化効力に関する仮説】、どこまで読んだ?」
「ひと通りは拝読しましたが、まだいくつか理解が及ばないところがあります」
「そうかそうか、それは良い! 実はですね、立証実験第17班がやってくれましたよ、ついに。どうぞ、こちらを。まあ、要するに未詳物質〝ロア・ゥル〟の再活性化が成功したという内容です」
「本当ですか、おめでとうございます」
「いやぁ、本当に! 本当にめでたいことだ!」
「うるさい、学会でやれ」スパティエ伯爵が注意した直後、レオニダス国王が議場に姿を現した。
「そうか、そうだな、学会だ! 新理論の提唱には良い機会になる! いやぁ、イアニス、君はたまに良いことを言う」
スパティエ伯爵に襟首を掴まれて回収されながら気にせず気が高ぶっているフラナリー伯爵は構わず話続ける。
「ヒストリア、どうする? 会場は大きいから数人増えたところで何も問題ない」
「わたくしは招かれておりません」
「問題ありませんよ、私の客人として連れていけば良い」
「しかし」
「最前線に触れる機会は多くないだろう? 遊学前に我が国の技術や知識を獲得しておいて不自由など無い! そうではありませんか、ペークシス閣下? 違います?」
急に話題を振られながらも「まあ、考慮には値するが……」ペークシス伯爵は冷静に言葉を濁した。
それを踏まえて、メロディは「でしたら、第二王子殿下とスパティエ令息もご一緒するのでしょうか?」と疑問を呈した。
「は?」
直後、声を上げたのはスパティエ伯爵だった。メロディがフラナリー伯からスパティエ伯へ視線を移すと、
「いや、あの子は武術院の人間だから」
「カリス貴公子から伺いましたが、先日フラナリー邸で行われた学期末試験のための勉強会では勉学が不得手のようには見えなかったそうです」
メロディは無垢に答えた。
他方、彼女の言葉に「優秀な令息ではないか」「武術に精通する人間の思考が鈍いと思われているのは心外だな、スパティエ殿」グレイス・スパティエ伯爵令嬢を〝福音の舞〟演者候補から外したい派閥が乗った。結託する者たちに第二王子の遊学関連を取り仕切る総務のペークシス伯爵が含まれていたため、瞬く間に話がまとまろうとする。
「内容に異論無いが事務を進めるのは待ってくれ。
ひとつ確認させてくれないかな、メロディ?」
ソフォクレス公の声に一瞬期待したスパティエ伯爵だったが、諦めて腕を組み軽く天井を見上げた。
一方、名前で呼びかけたということは伯爵としてではなく姪として答えるべき内容だろうと判断したメロディは少し気軽に「はい、伯父様」と応える。
「君が、最後に殿下や令息と談笑したのは果たしていつのことだろう?」
「……」
「どうしたのかな、聞こえているよね? 覚えていないという答えは無しだ。君のことだから覚えているだろう?」
「今年の春麗祭です」
「うん、社交としての挨拶は除こうか。談笑という言葉の意味はわかるよね?」
「…………園遊会だと記憶しております」
「昨年の園遊会は体調不良で欠席したよね。一昨年は継承裁判のためそれどころでは無かったのかな、欠席だったね。果たして、いつの園遊会のことだろう?」
どうにか流れを変えられないかと笑顔を浮かべたメロディは「しかし、お忙しい方々でしたらお時間がなかなか取れないように思います」話題転換を図った。
「ふむ。なるほど、言い訳はそれだけで良いのかい?」
「あとは、あの……同年代の男女ですから、婚約者の在不在に関わらず」
「おや? 君はカリス貴公子が気に入らないのかい?」
「そ、そのようなことは決してございません」
「ならば心配いらないね」
ソフォクレス公爵は「そうでしょう?」陛下とスパティエ伯爵に同意を求めると、両者は肯定するように肩をすくめた。
メロディはソフォクレス公爵とは反対の隣に座るイオエル・メテオロス公爵を無言で見つめる。
「代弁すると、やりたくない、とのことらしいのですが」
「おやぁ、どうしてこの流れで私が許可すると考えられるのだろう?」
ついに黙り込んで机上を見つめるメロディから離れた席にて、誰かが「長くなるのか?」と疑問を呈すると、ソフォクレス公爵は「雑談していて構いませんよ」とにこやかに答えた。隣の席のペークシス伯爵から「よろしいのですか?」と尋ねられても「覚悟が決まればやりますよ。希に決心するまでが異様に長いだけです」平然と答える。
この時点では、7の月における円卓議会そのものは開幕する前だった。
******
学園が長期休暇に入ると、生徒たちは行動の融通が利く。
ザハリアスは父スパティエ伯爵に連れられて王城に到着するとそのまま医務局に預けられて足を診てもらうことになった。自己申告はしていなかったため、痛みがあることに気づかれているとは思っていなかったザハリアスは改めて父親の慧眼に驚いた。
スパティエ伯爵は診察が終わり次第、自分の執務室へ来るようザハリアスに言いつけると職務のため席を外した。
言われたとおりザハリアスが診察を終えて筋トレしながら待っていると、スパティエ伯爵が戻ってきた。
「足の痛みは?」
「はい、父上。もう問題ありません」
ザハリアスは王宮医師から受け取った診断書を父に差し出した。スパティエ伯爵は診断書を確認すると、
「今月は様子を見る。狩猟祭りは後方支援に徹するように」
「しかし、医師はもう普段どおりで問題ないと言っていました」
「炎症が落ち着いたから痛みが落ち着いただけだ。完治したわけでは無いのだから無理を繰り返せば悪化しかねない」
「……」
「8の月にも狩猟会はある。本当に問題なければ、そちらは好きにして構わない」
「……はい。わかりました」
「よし、ヒストリア。次は君の番だ。ハル、帰るな。座りなさい」
ザハリアスは何度かめを瞬かせると、スパティエ伯爵とメロディ・ヒストリア伯爵を見比べた。
かつてヒストリア伯爵がスパティエ伯爵の下で勤務していたのを知っていたため、その縁で何か話すべきことがあるのだろうと判断したのだが……ザハリアスは困惑しつつもソファーに腰を下ろした。
「あいにく子どもの世話は職務外だ。早くしてくれるかい?」
扉付近で足踏みしている少女を促す。
メロディはソファーの近くまで歩み寄ると、資料をザハリアスに差し出しながら
「学会にご興味はありますか?」
「失礼、どのような意図でしょう?」
「フラナリー閣下からのご提案です。第二王子殿下の御遊学に際しまして、国内最前線の技術を実際に確認してみるのはどうか、と」
ザハリアスはうけとった資料を確認しながら、
「この日は開いているので参加可能です。しかし、まったくの門外漢が参加しても問題ありませんか?」
「フラナリー殿いわく客人として招待してくださるそうなので問題ないかと思われます。殿下がどのようにお考えになるか判断はつきませんが……」
「貴女は参加されるのですか?」
「え? ええ、はい。わたくしは興味がありますので」
「……。これから殿下にご提案なさるのですか?」
「は、はい。その所存です」
「よろしければ同行しましょうか?」
「よろしいのですか?!」
ザハリアスは、想像よりも前のめりなメロディの反応に瞠目した。
「ハル。グレイスよりも年下を相手にすると思っておくように」
「はい。具体的には」
「5歳前後」
すかさずメロディが不満そうに「閣下」視線を向けるが、スパティエ伯爵は「不満なら自分の言葉を違わないことだ」と応えた。




