はじめての講演会
幼いころ邸宅の庭園で見たことのある虫にどのような思いが込められているか分からなかったがイリスのことだから良い意味なのだろうと結論付けると、メロディは金属片だったそれをポケットに滑りこませる。
ちょうど戻ってきたアカキーア嬢はシプリアナに何か相談すると、再び退室した。
シプリアナは振り向いて歩み寄り、メロディに微笑みかけると
「新3年生は揃ったわ。アカキーア嬢は希望する卒業生を案内してきてくれるの。心の準備はよろしくて?」
「はい」
「緊張しているのかしら」
「……はい。少し」
「人数が多いものね。あまり無い機会でしょうけれど、貴女が貴女らしくいれば心配いらないわ。生徒たちは粗探しのためではなく、貴女の講談を楽しみにしているだけですもの」
「はい、殿下。ありがとうございます」
「はじめに、私があなたの来歴について話します。あとは好きにして問題ないわ。何かあれば、後方に控えているアカキーア嬢へ伝えて頂戴。私はこの講堂から離れるけれど、連絡があればすぐに対応するわ」
「好きにとおっしゃいますと……」
「言葉のとおりよ。基本的に講演者の自由にしてもらっているの。依頼状の内容のとおり講演だけでも構わないけれど、建物を破損させたり生徒に怪我をさせたりしなければ何をしても良いわよ。もちろん、貴女も怪我には気を付けてほしい」
「はい、殿下。承知いたしました」
シプリアナは微笑むと傍の直方体型の音響装置にふれて何か調整を施し始めた。
その隙にメロディは傍らの補佐官を見上げて、
「怪我をしかねない要素は」
「ありませんよ、ご安心ください。強いて言えば教壇の段差には気を付けていただきたいところです」
「他には」
「思いつきませんね」
端的に返答しつつも、不安を隠しきれていない上司に対して
「あの子からも何か御守り受け取っていらしたでしょ? どうにかなりますよ」
ローガニスは発破をかけた。手元に置いておく資料をメロディに手渡すと教壇から降りて講堂の後方へ下がった。
直後、
「よろしいかしら」
「は、はいっ」
シプリアナはメロディの様子に笑みをこぼすと、改めて聴衆に向き直った。右手に持った黒い機材を口元に寄せて
「こちらの第2分館副講堂は、法務省情報調査室室長を務める情報官メロディ・ヒストリア伯爵の講演会場です」
講堂後方からもシプリアナの声が響いた。補佐官の視線を追うとその先にはアップライトピアノのような機材が配置されていた。メロディはそれぞれの機材を見比べてどのように音が伝わっているのか予想を試みる。
「事前の告知とは異なる場所に移動してくださり、ありがとうございます。第3学年への進級を数か月後に控える皆さんが、カルディア選択に限らずこれからの勉学や卒業後の進路を考える良い機会になるよう願っています。まもなく卒業生が乱入して騒がしくなるかとは思いますが、臆せず楽しんでくださいね」
シプリアナのその言葉のとおり、数分もしないうちにクロエ・アカキーアが20名ほどの男女を連れて入室した。その後、メロディが王城勤務であることやいままでの実績などを軽く述べると、手にしていた小型の何かをメロディの制服の襟もとに装着した。
「何か話してみて?」
「何かというのは」
講堂内に響いたのはシプリアナの声ではなくメロディの声だった。シプリアナは「ありがとう、問題ないわ。貴女も楽しんで」とだけ言い残すと微笑みとともに講堂を後にした。自然と微笑み返していたことを自覚したメロディは聴衆へ向き直った。
「ご紹介に預かりました、わたくしはメロディ・ヒストリアといいます。多くの方々に足を運んでいただき、大変嬉しく思います。本日は、わたくしが所属する法務省情報調査室について話してから、現状の抱える課題を軽く話して、最後には皆さんにも事件考察を実践をしてもらおうと考えています。よろしくお願いいたします」
メロディは年相応に見えるような愛想の良い笑顔とともに告げた。表情を崩さず、いくつもの双眸を素早く見渡してそっと瞳を閉じる。まずはひと言、彼らの関心を惹きつけるための言葉を……今このときまで決められずにいた科白を……瞼を上げてから明瞭に発声した。
「意思は事件よりも謎めいています」
多くは14歳前後。卒業生ら18歳前後を含めても、王城勤務経験がある者は他にひとりもいない。
威圧にはならないように、誠実さは伝わるように、聴衆の様子を観察し続けて声や仕草の調整を試みていく。
「法務省情報調査室における本来の職務は、裁判で判決が下される前後の事件について保管目的の資料を作成することです。事実を記録して将来へ繋ぐ書類を最終的に犯罪資料館・通称〝白亜の殿堂〟へ収めます。
わたくしは情報官着任する以前には軍務省憲兵局に所属しており、城下をはじめとした市井の安全を守る前線に立ちました。そのとき痛感したのは、悪意はやがて犯罪という形を得るということです。もちろん、人の思考は罪には問えません。考えるだけであれば他者にも社会にも損害はありません。実行されてはじめて、それが罪かどうか、第三者の客観的視点により判断が下されます。しかし、12世紀にヨウシア・ルースアによってマルクス・Δ・リョンロートが創造されたころから変わらず、犯罪の成否の影には何者かの意図が存在しています」
聞き馴染みのある名前があるだけで反応が見られる――メロディは室員の意見を反映させて良かったと安堵する。そのまま言葉を続けようとした、そのとき。
講堂後方の扉がそっと開いた。
入ってきた人物……エミリオス第2王子はアカキーア嬢と言葉を交わすと、腕を組んで講堂後方に居座る。
メロディは聴衆に悟られない範囲で表情を引きつらせたが、腹をくくり両手を握りしめた。
「あらゆる技術や道具が生まれて豊かになり生きやすい環境が発展している時代だからこそ、人を守るために勘や運に頼るのは非合理的であり不条理です。悪意とともにある犯罪について、事件の解明は理解を妨げる謎が存在するかぎり適いません。
したがって、過去の事例を改めて考察し、今後の事件の解決に生かせるならば、既存の情報を一般化して活用することで犯罪捜査に役立てること、ひいては犯罪を未然に防ぐことも可能ではないかと考えています。
また、これは、根底では要点の周知を目的としているため不注意や不理解から生じた事件や事故に対しても有効な手段となり得ます。
この仮定を検証するため憲兵局に協力してもらっています。具体的には、憲兵局時代の繋がりで要請があったときのみ事件発生からまもなく暗礁に乗り上げた本部の補佐として捜査に関わらせていただいています。
さて。この時点で何か気になることはありますか?」
恐る恐る数名ほどが挙手した。メロディは、「では、わたくしから数えて3列目、窓側から8人目の方」と、金の癖毛を桃色のリボンで纏めた少女を指名した。アカキーア嬢から小型機材が渡されて、少女は口元に手を遣り紺碧の瞳を輝かせていた。
「あ、あの……え? あっ――だ、第一王立学園学術院所属第2学年、マリア・トゥリエナと申します!」
卒業生と思しき女子生徒による耳打ちに促され、焦って名乗った少女に「はい、トゥリエナ男爵令嬢。どうぞ」メロディは優しく微笑んだ。
「はい! 伯爵様にとって事件解決の原動力となるものは何でしょうか?」
「そうですね、まず、犯人を逮捕して事件を解決しているのは憲兵局の捜査陣です。わたくしたち情報調査室では、事件解決のための最善策を見つけようと奮闘しています。
ただ、わたくしにとって事件に関わる上で原動力となるのは知りたい気持ちです」
「知りたいというのは、どのようなことを知りたいのでしょうか?」
「例えば……3階の窓辺に置かれていた植木鉢が何かの拍子に落下したとき、地上を歩いていた人物に直撃して亡くなったとします。植木鉢を窓辺に置いた人物をα、亡くなった方をβと仮定して、αはβを殺害したと断言できると思いますか?」
「え……いえ、αさんが殴ったわけではなくて植木鉢が落ちてしまっただけなら、βさんにとって不運な事故……ではないかと、思います」
「そうですよね。では、αさんがβさんに対して何らかの強い感情を抱えていて殺そうと決意した、あるいは、死んでも構わない、と思っているのではないかと第三者であるδさんから証言が得られたとします。どのように思いますか?」
「それ、は……しかし、証拠がなければ断言はできないと思います」
「確かに、証拠は大切です。βさんがαさんを罵倒していたとしても事故当日が強風の日だったとしても落下した植木が枯れかけていても、αさんがβさんを殺害した根拠にはなり得ませんからね。でしたら……偶然γさんが、事件直前に3階の窓辺で懐中時計をじっと見つめていたαさんを目撃したと証言したとしたら? あるいは、βさんに植木鉢が直撃してすぐ現場に駆け寄ったのはαさんであり窓辺に細い糸状のもので引っ掻いたような痕跡が見受けられて尚且つγさんがその様子を目撃していた、ということでも構いません」
「……αさんはβさんが死ぬように仕向けていたように思います」
「では、それらの証言や証拠はγさんによって作られたものだと判明したらどう思いますか?」
「え?」
「言い換えると――本当は、δさんが植木鉢を用いてβさんを殺害してγさんはδさんを庇うために、悪意なく窓辺に植木鉢を置いたαさんを悪い人に仕立て上げようとした――ということであれば、どう思いますか?」
呆然としてしまった少女に「困らせてしまいましたね、すみません」メロディは苦笑とともに謝罪すると
「事実に基づいて事件を解明するためには理解を阻害する謎を解消する必要があり、ひいては、事件の謎を成す意思を解する必要があります。何があったのか正しく認識できても事件が解明されるわけではありません。ゆえに、意思は事件よりも謎めいています。
どのようにして事件に至ってしまったのか――新たな悲劇を防ぐ一歩を踏み出すため知らなければならないことだと、わたくしは信じています」
トゥリエナ男爵令嬢が礼を告げて着席して拍手が落ち着いてから、メロディは挙手している茶褐色の髪の少年を指名した。
「はいっ、第2学年のクセノフォン・エイトスと申しますっ! あの、伯爵様が独自に憲兵局と協力体制を築かれたということでしたら、仮に伯爵様が異動などで情報室を離れることになられたら……どうなるのでしょうか?」
「そうですね。後任の方が引き継いでくだされば嬉しく思いますが、現状わたくしは断言しかねます。そもそも仮説ですから、過去の事件を一般化して活用できる保証はありません。まずは検証を進めて有効性の高さを示さねばなりません」
「ユウコウセイ……ですか?」
「目的を達成しているかどうか、成果が上げられているかどうか……要するに、第三者にどれほど結果を認めてもらえるのかという指標です。例えば、100点満点の試験で40点を取れたときと80点を取れたときでは、80点を取れたときの対策のほうが有効性が高いと表現できます」
「お仕事でも試験があるのでしょうか?」
「勤務評定はありますが、このときは無関係ですね。仮説の有効性を示すには、事件解決の実績はもちろん、介入から解決までの期間の長さや人員配置の工夫などを数値化する必要がありますし発生する事件すべてに介入するわけではありませんから少々複雑な分析が求められます。また、犯罪捜査は学問として未熟なので体系化までの道のりも長いと思われます。ただ、やりたいことは試験勉強と大差ありません。ある期間内に、目指している成果を掴むため何が足りないのか、どうすれば手が届くのか考えて、ひとつずつ必要な努力を積み重ねていく必要があります」
「困難な道のりを前にそのように考えられることに感銘を受けました。ありがとうございます」
「こちらこそありがとうございます、エイトス殿」
花曇りの瞳の少年が着席するまで待っていると、拍手の中、後方の座席から挙手が見えた。卒業生のひとりらしく、どこか老成した雰囲気がある少年だ。友人らしい隣の少年のほうがむしろ慌てている様子だった。件の小型機器が手元に届けられると「第一王立学園学術院第525期生、ダスティン・フェンツと申します」わずかな青さが残る落ち着き払った口調で述べた。メロディが「はい。フェンツ殿、どうぞ」と先を促すと、
「今のお話を伺いまして、伯爵閣下は相当に現実主義者でいらっしゃるようにお見受けいたします。犯罪捜査を学問するということは、既存の捜査で用いられる個人の勘や経験をひとつずつ分析や考察を重ねていく必要があり、先のふたりの質疑応答の内容からも察せられるように現実主義者の観察と工夫が求められるのではないかと想像します。犯罪捜査という学問を有効に扱うことができれば、要するに、最高の犯罪抑止方法を確立するとともに科学は悪意を切り裂けるということをおっしゃいたいのだと理解しました。しかしながら、統計学、まあ、数学や物理学にも当てはまることですが、
なんでしょう……そうですね、厳密な議論は可能なのか? 私の疑問はこれに収束します。要領を得ない質問となり申し訳ありませんが、後学のために御教示いただけますと幸いです」
「フェンツ殿の言葉は、要するに、定義と前提を明確化させたうえで論理的推論を重ねることは可能か、ということでしょうか?」
「はい。もちろん、証明に足る論理を綴るためには直感によって発見された灯火が不可欠であることは自明ですが、たいてい理論値と実測値には乖離が見られます。定義はともかく推測や考察の前提となる情報をすべて真だと仮定するのは危険ではないでしょうか」
思わずメロディは後方のローガニスと視線を交え、すぐにフェンツ少年に答える。
「失礼しました、あまりにも鋭い質疑でしたので驚きを隠せませんでした! 実は、これからお話ししようとしていた課題というのは、まさにご質問いただいた内容に深く関連しています。鋭い視点の質問をありがとうございます! 今のところ、完璧な答えはありません。現状わたくしたちは〝φ〟という手法を用いて見えていない秩序を可視化できないか模索しているところです」
「黄金比ですか。不完全を認めていらっしゃいますよね?」
「ええ、ご明察です」
「非常に詩的な命名ですね」
「やはり事件ごとに適した柔軟な対応をするには――」
ふと、比較的前方に座っている呆気にとられた14歳たちが視界の端に入ってきた。
「――適しているのではないかと愚考いたします。女王に仕えるフェンツ殿が認められる日が来ることを望みます。ありがとうございました」
「とんでもございません。光栄に存じます」
フェンツ少年が爽やかな笑顔とともに着席したのを確認して、拍手の中に咳ばらいを混ぜた。「言葉だけではわかりにくいと思います。いくつか例を挙げてみましょう」メロディは事前に知り合いの記者から借り受けていた上着を手に取り広げて見せながら、
「さて、こちらの上着に関して推測を立ててみましょう。この上着の持ち主は、右利きか左利きか、どちらでしょう?」
上着の型崩れ、その原因である偏った左右ポケットの使いかたを指摘しつつ、持ち主は右利きであると結論付けた。そこからいくつか小物を例示して左右のポケットに割り振り、入れたのは持ち主か第三者か考察するよう誘導した。
「犯罪捜査の視点から見る違和感の正体は、大抵、明かされると拍子抜けしてしまうような事実です。魔法でも呪いでもなく人の意図が謎に宿るだけです。ゆえに、犯罪捜査において謎と意思は切り離せません」
ローガニスはアカキーア嬢に手伝ってもらいながら、6名程度で12班を作らせてそれぞれ資料を配布していく。
「〝φ〟は、短時間で最大の効力を上げられるように考案した手法です。今回は演習ですから情報を単純化してありますが、内容としては大きく変わりません。
この事件の発覚は、3年前――10の月21日23時過ぎ。建国祭を経た頃合い、一般的な秋芸の気候で、新月の夜でした。街灯のおかげで真っ暗ではありませんでしたが、ひとり外に出るには心細くなるような夜です。自宅から10歳の少年が姿をくらませ、彼の姉が拳銃で殺害されました」
犯行に使用されたとされる拳銃の資料を張る瞬間に合わせて言ってみると、何人かが息をのんだとわかった。
「彼らの両親は結婚記念日で子どもたちを残して外出中、現場の近隣住民は3人……右隣には同棲する若い男女、左隣には近くの保養施設で働く女性が住んでいました。特に近所トラブルはなく、むしろ良好でした」
並べられた7枚の似顔絵――10歳の少年オリヴェル、15歳の少女フレドリカ、彼らの両親ヒューティア夫妻アンスガル、ヴェロニカ、右隣に住む19歳モーナ・オークランス、21歳トシュテン・ヴァレニウス、左隣に住む33歳アマンダ・リリェストレーム女史――参考にした事件の、彼らの実際の名前ではない。むやみに個人情報を拡散するわけにはいかないため、本来は名無しのまま「少年」「女性」と呼んでもらうつもりだった。わざわざ名前を付けたのは、呼称としてだけではなく身近なものだと感じてもらいやすいだろうという室員の提案を採用したからだ。生徒らの表情を見ると、あらためて妙案だと納得した。被害者の年代を演習者らと近くするよりも、さらに有効だといえるだろう。
ローガニスがオリヴェルの下に行方不明、フレドリカの下に死亡と記した。
――パンッ!
手を叩いて作られた静寂の中……メロディは敢えて挑戦的に告げる。
「目的は、ふたつ――犯人を指名すること、現場に残されたリンゴについて考察することです。これで情報共有に過不足はありません。さあ、こちらの事件解決にあたってください」
「何か気づいたことがあれば挙手してくださーい」とローガニスが補足すると生徒たちは顔を見合わせたり遠慮がちに話し合ったりし始めた。
ちょうど近くにいた補佐官を呼びよせたメロディは
「わたくしの話に問題なかったか?」
「はい、そのように思いますが……気になることでもありました?」
「殿下がいらしていることには気づいているでしょう?」
「それがどうされました?」
「不機嫌なのは明らかだわ……!」
「伯父君からのご薫陶では?」
失礼に失礼を重ねた主張に言葉を詰まらせた上司を放置して、補佐官は挙手した生徒を見つけて駆け寄っていった。




