学園の講演会前に
1683年6の月29日。日が高く昇る時分から王立学園525期生の卒業式はそれぞれ12の学舎で執り行われた。
厳粛な雰囲気とともに国歌斉唱、卒業証書授与、式辞、送辞答辞などが恙無く式が進められた。ひと通り式典が完了すると、ついに今年の卒業生から9名の優秀者〝九瑞星〟が発表される……第一王立学園では新生徒会長であるエミリオス・ハロ・セーラス第二王子が直々に9名の名前を呼び、他学舎では事前に郵送された書状に綴られた名前を上級監督生が読み上げた。
今年は学術院から5名、芸術院から1名、武術院から3名がそれぞれ選ばれた。学術院と武術院からは起伏がありつつも例年4名前後が選出されるが、芸術院からの選出は512期生カリオフィリス・デメテール伯爵令息以来13年ぶりの快挙だった。
第3学園から学術院1名、第5学園から武術院1名、第7学園から武術院1名、第8学園から芸術院1名、第11学園から武術院1名、第12学園から学術院2名――第1学園の2名と合わせた計9名に対して新生徒会長から星が授与される。が、当然ながら新生徒会長はひとりだけ。他学舎、特に国境付近の学舎から赴く武術院の卒業生が第一王立学園に到着するまで相応に時間が掛かる。
卒業式後は毎年、名残惜しむように集会や夜会が催されるわけだが、それまでの時間を繋ぐ役割として、学術院では講演会、芸術院では評論会、武術院では練武会が催される。各分野活躍する精鋭が呼ばれる各会は本来であれば第3学年のカルディア選択や今後の学生生活に大きな影響をもたらす内容だが、在校生ひいては卒業生らが参加してはならない法は無い。
なお、精鋭は生徒会や各学舎の監督生らが直接声をかける。王城からほど近い第一王立学園に呼ばれる精鋭が王城勤務であることは想像に易しい。
「他の講演者が見当たらないってことは早く着いたってことですかね。少し歩かれてきますか?」
「なぜ?」
「そのために署名したようなもんじゃないんすか」
「……。講演が終わったら、どれくらい時間を取って問題ない?」
「わかりませんけど、まあ、終業時間までには調査室に戻りたいですね。えっと、まずどこ行けばいいんですかね。なんて書かれていましたっけ? 持ってますよね、招待状」
「ええ。本館の第7講堂へ行きたい」
「場所わかります?」
「いいえ、知らない」
「でしたら、とりあえず本館の3階をウロつきましょうか。そうすれば誰かいらっしゃるんじゃあ」
「おや。見慣れぬ姿だな」
不意に聞こえてきた声の主は、肩ほどの長さはありそうな淡い金髪を緩く後ろに撫で付けた少年だ。素早く周囲を見渡して他に人がいないことを確認したメロディは、この少年が青い双眸を向けている先にいるのは自分だろうと認識した。
学生の知り合いは数えるほどしかいないメロディだが、制服の上着もブローチも身に着けていない彼の正体を推測するには情報があまりにも不足していた。社交は疎かだが新聞を飾る機会は少なくない一方、相互に顔見知りではないにもかかわらず声を掛けられた理由もわからない。わずかに頬を強張らせた部下の表情から察するに、傲慢な態度を崩さない理由は無知ではなく地位ゆえだろうかと思考が至った。下手な対応をしないよう、少年の不躾な視線を我慢してメロディは微笑み返す。
すると、少年は不敵な笑みと尊大な態度とともに言う。
「感謝するが良い、私に同席する栄誉を遣ろうではないか」
「生憎ではございますが、わたくしはこれから講演会の予定がございます」
「講演会?」
「はい。これから控室に向かうところです」
「それが何だ?」
「……何というのは」
「ふっ……面白い女だな。よもや私の誘いを断ろうと言うのか?」
少年はメロディが持っていた荷物を奪い取るとローガニスに押し付ける。怪訝な眼差しの少女の手首を掴もうと手を伸ばす。
そのときだった。
「ごきげんよう、みなさん」
温かい少女の挨拶は、件の少年の背後数メートルほど離れた場所から聞こえた。味のある白金色のバレッタで柔らかな金髪を纏めている彼女は学術院の5年生だ。彼女へ先に反応したのは少年だった。
「シプリアナ姫ではないか。都合が良い。生徒会のほうに伝えておいてくれないか? 少々この女を借りるから」
「まあ。それは困りますわ」
「講演会だというのだろう? それほど準備が必要にはなるまい。ただ話すだけではないか」
「どうぞ後日に。本日の講演が後輩の大切な将来へどれほど影響を与えることになるか、お分かりになりませんか?」
「いや何、講演会の開始までには返すさ」
少年はシプリアナの諫言を意に介さず、再びメロディに手を伸ばす。
すると、
「あら……彼女の色彩がお分かりになりませんのかしら」
シプリアナは冷笑するような口調とともに少年とメロディの間に割り込むように自らの身体を滑り込ませた。気を使って数歩ほど後退ろうとした真紅の制服の少女の左手にそっと指を絡める。真意を探るような紫水晶を正面から見つめ返して妖艶な笑みを浮かべると、白皙の頬に指を滑らせる。
メロディはどうにか視線を逸らして唇を引き結ぶ。視線の先――白い制服の袖口には、学術院の鮮やかな赤い帯状の刺繍が映えていた。ほとんど身長差がないため、首筋に息遣いが伝わってきた。上半身を逸らそうとしたメロディだが、いつの間にか背に手を回されて優しく抱き寄せられる。決して強引ではないのに華奢な腕から抜け出せずにいると
「お可愛らしいですこと」
耳元の艶やかな声。ほのかに甘い香りのする金髪。服越しに伝わる体温。
自覚させられた途端に頭部へ熱が集まる――高い位置で銀髪をまとめてしまっていることを後悔しながら、メロディはその場の誰にも表情を見られないよう控えめにシプリアナの胸に縋った。
「秘めたる花園を覗かれるようなことはなさらないと信じておりますわ、ユーリィ皇子」
「……あ、ああ。もちろんだ、シプリアナ姫」
まもなく革靴が床を鳴らす音が十分遠ざかる。
不意に両肩を掴まれて身体が離された。驚いたメロディがシプリアナを見上げると、
「突然ごめんなさい、驚かせてしまったわね」
先ほどの表情から一転、気遣わしげなものだった。メロディはどうにか「…………はい」消え入りそうな返事をした。
「彼がよく令嬢を誘っているのは学園内では有名な話なの。駐車場へ迎えに行くべきでしたね」
「え。いえっ、そのようなことは」
「貴女ならもうすぐ到着してしまうと思って、足を運んだの。フラナリー伯やメテオロス公が相手なら私もこのようなことしないわよ。
実は、卒業生がいくつか講堂や部屋を使いはじめてしまったの。彼らを移動させるよりも講演場所を変更するほうが楽だから」
シプリアナは申し訳なさそうに補足説明すると、続いて補佐官に微笑みかけた。その隙に一歩後退ったメロディは制服の釦を緩めて両手で首筋を包んで体温の下降を試みた。
「面倒に巻き込んでしまって悪かったわ。お前では対応できない事案だった。気にしないで」
「はい、王女殿下。過分なる労りのお言葉に痛み入ります」
改めて微笑みを深めたシプリアナは「講演で必要な資料はそちらですべてかしら?」補佐官の抱える荷物を一瞥した。
「御手を煩わせるほどのことではございません。我々で運べます」と伝えたメロディだったが「お願い。迎えに行った理由が欲しいの。重いものは選ばないわ」シプリアナは補佐官の腕にかかっていた上着を手に取った。
「さあ。行きましょう?」
メロディは礼を告げて補佐官から鞄を受け取り、シプリアナの後に続いた。道中、いくつか言葉を交わしたが、メロディはどことなく不自然が拭えなかった。
一行は、まもなく講演会場である第2分館副講堂へ到着した。
その扉近くの壁に背を預けている少女が顔をあげると、彼女の鮮やかな赤髪が揺れた。メロディは思わず「イリス」と呼びかけた。
シプリアナは「用意を進めておくわ、大丈夫よ」それだけ告げて補佐官とともに入室した。メロディは彼女の背に礼を告げると、友人に向き直った。
「えへへっ、少し早めに来たら会えるかなって」
「待たせてごめんなさい、来てくれてありがとう。ふふっ、嬉しい」
「メルが学園いるの、なんだか不思議だね」
「そう? そうね」
微笑んでみると、イリスはメロディの表情を注意深く観察するように覗き込んだ。何も言われないことにしびれを切らして「学園にはいつもこのように人が多いの?」視線をわずかに彷徨わせ誤魔化した。
しかし、いりすにはお見通しだったらしく
「にゃははっ、やっぱり怖いんだー?」
「こ、怖くなんて……」からかうように笑うイリスに瞳をのぞき込まれ、メロディは隠しきれないと降参して「少しだけよ」と目を逸らした。
「がんばれそう? もう疲れているみたいだけど」
「あのね!」
曖昧に微笑み返されるだけだろうと油断していたイリスは思わず後退ろうとしたが、背後はすぐ壁だった。それでもメロディが掴んできた両手を受け止めて、引きつりそうになる頬を口角で上手く調整してみせた。おかげでメロディは気づかず言葉を続ける。
「イリス、聞いて。驚かないでね、いいえ、驚いても構わないわ。構わないのですけれどね」
「んー、にゃーに?」
「対象は異性である必要は無いのかもしれない」
「んぇ?」
「もう仮説を撤回したほうが良いのかしら。固執するつもりはないのだからそうしたほうが良いのではないかと思うの。けれど、次に何をしたらいいのか、わたくしにはまだ見当すついていないものだから」
「にゃー? ああ、前に、年齢差がおよそ5歳以内の異性に触れられたら緊張する、って言ってたやつ?」
「そう、その後、年齢差を10歳に修正したの。そうしたら」
「ねえねえ! 論点、いくつあったか覚えてるー?」
「え……ええ」珍しく話を遮られてわずかに狼狽するメロディを軽く押し返してイリスは壁から背を離した。そのまま大きく数歩ほど後ろに進み、メロディの手を引きながら
「現状はぁ……年齢差がおよそ10歳以内であること、対象が人間であること、触れられたという事実――触れられて緊張したの?」
「そう、そうなの。わたくし、驚いてしまって」
「そっかぁ、びっくりしたねぇ。大変だった――」
イリスは領手を繋いだまま左足を軸として回転、メロディ遠心力の要領で移動させて講堂内へ足を踏み入れさせた。
「――ねぇ」
「っ……ええ」
「帰ったら、詳しく聞かせてほしいなーぁ。資料はもうある程度は読めたかにゃ?」
「ええ、用語確認も進められているわ」
「にゃったら焦らなくて良いよ、お仕事も大変でしょ? もうそろそろ先に進めたいなってことなら、夜、こっち来て! 今日は疲れちゃったってことにゃりゃあ、明日でもその後でも、いつでも良いよ。ずーっと待ってる!」
「わかったわ、ありがとう」
笑顔を見せてくれた友人から両手を放して「じゃあね、メル」イリスも笑ってみせる。するとメロディは不安そうに「どちらへ?」と尋ねる。
「んー、あたしはとりあえず機械工学のほう行こっかな」
「……」
「ローガニスさんに代わってもらえないの?」
「断られたのよ」
メロディが肩をすくめて答えると、その背後で「招待を受けたのは貴女でしょ」名前が挙げられた補佐官は容易を進めながら端的に指摘した。「ありゃりゃ、試行済みだったの」イリスが軽く手を振ると一瞬だけ目を向けて片手をあげて応え、ふたたび準備に戻っていった。
「……イリスは居てくれないの?」
やや不貞腐れたようなメロディの様子はどこか出会ったころの少女の面影があり、イリスは苦笑を零した。
「メルの欲しいものはあたしが作れる。ちゃんとメルがあたしに教えてくれるからだよ」
ポケットにしまっていた白いハンカチを頭に被り目立つ赤髪を隠すと素早く講堂内を確認した。講演までまだ時間はあるが、用意された椅子は埋まりつつあった。
「ここにいるみーんな、メルのことが知りたいんだよ。だから、ここにいる」
廊下で頭部からハンカチを外すと、イリスは自分のポケットに手を入れていくらかの金属片を握る。そして広げられたハンカチの下、優しく両手を触れさせ合う。
「だから、教えてあげたら? そうしたら、一緒に頑張ってくれる人がいるかもしれない」
左手でハンカチを引いた瞬間、右手で何かを弾いた。放物線を描いたそれはメロディの両手に収まる。それを確認するなり、
「がんばれっ、ヒストリア伯爵閣下!」
窓の鍵を開けて枠に足を掛ける。メロディが急いで礼を告げると、イリスは笑顔とともに窓の外に姿を消した。
仕方ない友人に苦笑してから、改めてメロディは自らの手の中に在るものを確認した。テントウムシに象られた金属片は窓から入ってくる陽光に照らされて輝いた。




