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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
可塑性のエフティヒア
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晴れの日に捧ぐ

 1683年6の月21日――夏至の日。白い装束に身を包んだムジーク伯爵家次期当主オルフェウス・ムジークを先頭にした行軍が王城を出てから数時間後、城下町を含む決められた道順を辿った一行は再び城の門をくぐった。

 天候不順問わず実施される〝風の供儀〟では20年ほど前には激しい雷雨に見舞われながら完遂した実績がある。幸い今年は快晴だ。やや日差しは強いものの巡行行列の白い衣装が太陽熱の吸収を抑えてくれることも手伝って体調を崩す者は皆無だった。


 太陽の南中に合わせた厳密な時間調整のもと、白馬は白衣の主人を乗せて王城宣誓宮に姿を現した。

 十数年来〝風の供儀〟にて始まりの射手を務めるムジーク次期伯爵は、耳を動かして少々落ち着きが無い白馬の首筋を大きな手で撫でた。普段とは大きく異なる装具に違和感を覚えるのは無理もない。

 他方、今年初めて大役に任命された若い白馬には丸い栄養斑点が刻まれている。準備に過不足は無い。御役御免まで6年ほど、年に1度の御役目に慣れるようにとまでは求められないが、風の供儀にて迎え入れた精霊や先祖の霊――〝安寧の楽園(アトラスフィア)〟におはす者たちの平穏のため、諡名を詠む儀式が控えている。失敗は許されない。どうか御務めは完遂してもらわねばならないのだ。


「御務めが終わればすぐ外してやる。信じとるからな」


 事前に選定よろしく親交を深めて非常に賢いと自ら確かめた子だ。なるべく低い声で驚かせないよう優しく声をかけると、交互に動かされていた馬の白い耳は動きを緩めてわずかに横へ倒れされた。


 〝風の供儀〟では、儀式の塔を回りながら計6射の矢を放つ。

 創星神話(コスモメトリア)において英雄に〝星遺物〟を与えたもうた風の精霊、地の精霊、火の精霊、水の精霊……そして精霊たちを育んだとされる〝原初の存在〟への感謝と祈りを込めて、儀式の塔を射抜く。


 まもなく自らの影が白馬の影に混ざり、失われる――オルフェウスは前傾姿勢で馬を走らせた。手綱を緩く持ち、3拍子の律動を刻む駈歩からさらに強く合図して4拍子の襲歩へと移行し、鞍を両脚で挟んだ体勢で安定してから天楽(フォルミンクス)を構えた。

 ムジーク家に伝わる家宝である純白の弓矢は【木ノ御成(ダクティーリ・トゥ)乃章(・ディア)】にて、〝世界の大樹〟の枝からこしらえたものだと言われている。馬上で射ることに向いた、軽量かつ小型の弓だ。令嬢ですら難なく持ち運べる体躯でありながらも、同時に、弦を張っていなければ大きく反り返ってしまう暴れん坊だ。

 弓を引いて狙いを定める際、一般的な弓術のように指先だけでは安定して構えられないため、親指の第一関節で弦を引くとき専用の保護具を嵌めた親指を人差し指と中指で握りこみ固定する。

 白馬は最高速度を維持する。弓を構えた腕が風を切る。浮遊を感じる。白衣が視界を狭めるが、ただ日輪を見つめる。

 張り詰める、空気。


 精や先祖の霊のために執り行われる新緑祭の最初式事における、嚆矢――第1射の鏃には破魔の効果がある〝リラの宿願〟が設えられ、矢羽根にはダクティーリオス王国の国花がひとつである太陽の花イーリオスティアを思わせる鳥の羽根や布地で構成された装飾が施されている――〝リラの宿願〟を青天に掲げ、空高く射る。

 創星神話(コスモメトリア)では〝天楽(フォルミンクス)〟は竪琴のこと……清く澄んだ音が響く――精や霊に場所を知らせるために捧げる祈祷が静寂を切り裂く。

 願いが描く美しい放物線を基準として、残り5射。

 白馬を疾走させたまま第2射を設え、放つ。

 儀式の塔が有する隙間を通り、矢羽根の質量に勢いが奪われて制止する。

 横目で第1射の軌道を確認しながら第3射、第4射、第5射、第6射を放ち、花のような矢羽根が軌道と回転を安定させ、同様に塔を射抜いた。


 第6射後、手綱を操り、白馬に首を左右に振らせて速度を緩める。浮かせていた腰を下ろして鞍に落ち着けた。荒い呼吸が白馬のものか射手のものか、判然としない。それでも射手は空色の双眸で儀式の塔を見つめていた。

 矢羽根のおかげで回転が制御され安定した軌道をとる第1の矢は、導かれるようにして儀式の塔を目掛けて落下していく。

 塔の上部にある穴から塔内へ進入した〝リラの宿願〟は、5射分の篦を圧し折り、塔内の最下部に辿りつき――反響も手伝って、固く引き締まった中低音が城内へ〝風の供儀〟完了を告げた。



 強度の高い運動直後は人も馬も同じように、心拍数が高く呼吸が荒い。心身の負荷を労わるため、白馬をゆっくり歩かせる。本当は宣誓宮を後にしてからでなければならないが、今は監視が無い。弓矢を背に回して素早く白馬から降りると装身具に隠れた腹帯を2段階ほど緩めてやり、鼻を鳴らすような激しい呼吸音の彼の白いたてがみをかき混ぜるように撫でた。

 寄り添うように儀式の塔を何度か周回し体温や呼吸を落ち着いたころ、再び白馬の背に乗ったオルフェウスは宣誓宮を後にした。


 白馬を預け、白衣から着替えた。

 天楽から弦を外して布巾で手入れしているとき、扉が叩かれ長男(プロソディアス)が名乗ったため入室を許可した。


「御務めご苦労様でした、父上」


 オルフェウスは、生意気にも濃紺の制服に袖を通したプロソディアスに「おう」とだけ答えた。


「これは母上からなのですが……供儀の後に腹帯を緩めてからまた乗るのは控えるように、とのことです」


「全力疾走直後に息苦しいままなのは可哀そうじゃあないか」


「お優しいことで何よりです。俺がうまく誤魔化しておいたのでご安心ください。あの子も、緊張は緩んだようで、あくびも前掻きもしていましたよ」


 家宝を鞄に収めてから、改めて息子に視線で問うと


「心拍も呼吸も正常値に戻りました。冷却も水分補給も済ませました。歩様や呼吸音に異変は見られませんでした」


 軽く肩をすくめながらプロソディアスは端的に告げた。オルフェウスはようやく安堵して息をつき肩を下ろした。若かりし日のこと、御務め後に急激に体調を崩して翌日に急死した優秀な白馬のことを忘れられずにいる。王宮獣医が手を尽くしても儀式に関係した動物が死亡することは少なくないとはいえ、騎乗で弓矢を射る式事の性質のため心を通わせた相棒を亡くす辛さを時間は癒してくれない。


「手入れは完了しましたか? 持ちますよ」


「持てるのか?」


「ヴィヴィではありませんからね。実は入団試験も合格しているのです」


「それはそれは……後継者が優秀で嬉しいかぎりだね」


 オルフェウスは鞄をプロソディアスに手渡した。難なく受け取ったプロソディアスは苦も無く父の背に続き、代わりに何も言わずに簡易書留を差し出した。オルフェウスは内容を確認する――第1射はまずまずだが、第4射と第5射が乱れていた――という旨がムジーク伯爵の筆跡でしたためられていた。初老に足を踏み入れてしばらくするはずの伯爵だが聴力に衰えた様子が伺えない。思わず渋い表情になった。


「ああ、そうでした。ヴィヴィが父上に紅茶を淹れていましたよ」


「それを早く言いなさい」と指摘したが、「白馬とムジーク伯爵閣下のご感想のほうが優先でしたでしょう?」悪びれる様子もなかった。


「朱夏にヒストリア伯爵が好んでいらした、冷たい紅茶だそうです。閣下は蜂蜜もご一緒にしていらしたけれどお父様は不要かしら、と悩んでいましたのでとりあえず入れとけって言っておきましたよ。それとも、入れないほうがお好みですか?」


 溺愛する娘が用意してくれた飲みものであることが最重要事項だ。オルフェウスは問題ないの意で「いや。構わない」と、伝えた。

 窓の外に広がる青天を眩しそうに眺める息子の横顔を盗み見る。つい最近も悪ふざけで母親から鉄槌が下されていたはずだが、なんとなくあどけなさが抜けて凛々しく壮健に成長している。


 王家主催の式典において新緑祭はとくに〝創星神話〟に擬えられている――〝天楽(フォルミンクス)〟の演奏を契機として〝星鏡(カプトロン)〟湖のほとりにて英雄は与えられた何代に見事応え、降りてきた精や霊を守るためとして風の精霊から〝宝盾(イーギス)〟を授けられる――〝風の供儀〟で降りてきた精や霊に見守られる中〝系譜の儀〟にて見事な成績を収めたものには第3星章のうちいずれかが、あるいは功績次第では第2星章が与えられる。


 おそらく息子の成績では〝九瑞星〟には選ばれないだろうと、オルフェウスには予想がついていた。そして、当人はそれに対して悔しさを抱いていない……卒業時、武術院・学術院・芸術院の3つの院に所属する同期生の中で9名だけに与えられる栄光に憧憬を抱けなかった我が子の将来に心配がないとは言い切れない。


 不意に視線を向けてきたプロソディアスと視線が交わる前に目を逸らし、次女(ヴァシレイア)が用意してくれた紅茶を目指して歩速が上がった。

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