オフェリエのために1
風によって茶葉が吹き飛ばされないように窓も扉も閉じられていた。そのため、ふわりとまろやかなレモンの香りが作業する手元に留まる。以前使用した細長い茶葉もレモンの香りがしたものの強く鋭い風味だった。潔冬の厳しい寒さゆえに香辛料と合わせるには相互に引き立て合うことができる強い特徴を有する種類のほうが相性は良いと理解しているものの、少女は今回使用する丸く縮こまった茶葉の香りのほうが好きだった。
指示されたとおりの操作を完了して試飲用の小さな陶器に液体を適量だけ注ぐ。
香りも色合いも満足いくものにできたと自信を抱けた少女は窓辺に佇む女性へ「主人様」と呼びかけた。
窓辺の花瓶。生けられていた植物の傍、書面を見つめていた蒼穹の瞳が少女へゆっくり向けられた。陶器を差し出しながら「若宮様へお届けする茶葉の用意が整いました。ご確認お願いいたします」と告げると、礼とともに陶器が取り上げられた。
穏やかで誰にでも優しい自慢の主人を、ただまっすぐ見上げる。窓越しの陽光が首元で切りそろえられた金髪を静かに照らして睫毛に遮られた分はわずかに影を落とすが、双眸は気にする素振りなく陶器内の液体を見つめていた。傾けられた陶器に薄紅の唇が触れ、まもなく離された。いつの間にか閉じられていた瞳がそっと開かれると、
「ありがとう。本日も良いお茶を淹れてあげてくださいね」
「はい、主人様。かしこまりました」
少女は安堵して頬を緩めた。
主人の優しさは、他者の甘さを見逃す類のものでは無い。悪いときは何度でもやり直しが繰り返される。その間、笑顔も穏やかな声色も、決して崩れない。主人の娘のためのお茶淹れを務めるようになってから毎朝、少女は緊張していた。それでも頑張れていたのは、主人や彼女の娘が見せてくれる笑顔があったからだった。優しく美しい笑顔を守るためであれば何度でも諦めずに最善を探し続けることができる。単純に、華やかな一輪花ごとく凛と咲き誇る姿が憧れの女性像ということもあるが、とにかく少女は毎朝の試練が苦痛ではなかった。
茶葉を容器に収めると、前掛けに皴が寄らないよう気をつけながら辞儀を残して退室した。
その足で当主の娘――若宮様のもとへお茶の道具を運んだ。
母親譲りの温かい微笑みに見守られる中、順調かつ静かに手順を進めていく。爽やかな薄黄緑を注いだティーカップを捧げるように差し出して、
「失礼いたします、若宮様。本日のお茶でございます」
「ありがとう。素敵な香りね」
邪魔しないよう、少女は微笑みだけを残して後ろに下がった。
湯気の立ち上り具合も問題ない、大丈夫……声には出さないで自分に言い聞かせながらティーカップが傾けられる瞬間を、固唾を飲んで見守った。隣の先輩侍女に表情が強張っていることを注意され、笑みを浮かべ直す。
すると不意に、手元の湖面をみつめていた妙齢の女性は
「これは……今日もお母様がお選びになられたのかしら」
呆然と疑問を呈した。澄んだ冬の晴れ空ごとく双眸から涙が零れて頬を流れる。すぐに居合わせた侍女らが対応する中、少女は顔を青くして
「はい、若宮様。おっしゃるとおりでございます。主人様がお選びになりました。あ、あの……お気に召しませんでしたでしょうか?」
震える声で早口に言う。
「いいえ、違うの。心配しないで。いつもどおり、とても上手……貴女に責任は無いわ」
それでも恐慌を期した少女は今にも泣き出してしまいそうな表情のまま身体を震わせていた。女性はそっと少女の頬に触れる。ほんのり温かい掌が冷え切った皮膚にわずかな温度を与えながら
「本当よ。爽やかなレモンの香りに誘われて安心を齎してくれるもの」
父親譲りの瞳を細めて美しい微笑みを浮かべ、母親譲りの穏やかな声色で少女に安堵を齎そうとした。
しかしながら仕えている主人らの気分を害したとなれば一大事だと子どもですらわかる。なかなか調子を取り戻せなかった少女を、先輩侍女らは機転を利かせて早めにその場を上がらせた。
お茶を淹れる道具を台車に乗せて運ぶ少女は、しおしおと歩みを進めていると
「やあ」
「若旦那様……」
「すまないね、頼みがあるんだ」
規則として必要があるとき以外は主家の人間に姿を見せるのは好ましくない。とはいえ突然大きな木の幹の影から姿を現されては行儀見習いを始めてから日が浅い彼女には対応できない。「侍女長には露見しないよう取り計らうから」とまで言われれば断る理由が見つけられず結局「……はい。承ります」と応えた。
「それらはオフェリエにお茶を淹れた道具一式だよね? 確認させてほしいのだけれど、良いかな?」
「はい?」
「5分も掛けないから。頼む、重要なことなんだ」
「は、はい。どうぞ、ご確認くださいませ」
少女は台車から数歩ほど後退った。
若旦那様と呼ばれた青年は手際よく容器や道具の内外を調べながら、少女にいくつか質問をしていく。
「これらの茶器に彼女は一度でも触れたかい?」
「いいえ、若宮様は……ティーカップとソーサーの他には何も」
「食べものは口にしたかな? あー、お茶請けというのかな、そういった菓子類は」
「いいえ、一切召し上がられておりません」
「ここにある砂糖やレモンは使った?」
「いいえ。若宮様のお好みは何も混ぜずに茶葉を楽しまれることですので、念のためお持ちしますが使われているところは私は拝見したことがございません」
「そうだよね」
ひと通り調べ終えると青年は再び「……そうだよね」苦し気に独りごちた。
「ご不安なのですか?」
「……心当たりがあるのかな?」
「若宮様もご不安でいらっしゃるのだと思います。2度のご懐妊が悲しいことになり、此度も同じことにならないか……先日、お腹の御子様のお姿を確認される機会がありましたが、それでも、どうしてもご出産までは……主人様も若宮様の心労を和らげようと祈りをこめて茶葉を自らお選びになり続けていらっしゃいますが避けられない感情ではないかと存じます」
「彼女が、そう言ったのかい?」
「……心配しないようにとお言葉をいただきましたが、涙される若宮様がどうか癒されることを願わずにはいられません」
少女の答えに、青年は微笑んだ。
「邪魔をしたね。本当に申し訳ないことをした」
少女の双眸は、穏やかな表情が歪む瞬間を捉える――唇を引き結び眉をひそめた表情に苦しさを覚えた。しかし声をかける隙を与えられず、そのまま背を向けて歩き出した。少女の脳裏には強く握りしめられた両手が印象に残った。




