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星と波とエレアの子守唄  作者: 視葭よみ
可塑性のエフティヒア
152/164

類似と相違

 のどかな空気が陽光を受けて温まる。ふんわりと柔らかく甘い香りは、町のいたるところに飾られた旗や飾り布の天然染料由来のものだという。建物の壁や塀が白を基調として統一されているため、穏やかな色合いの布地が良く映える。

 遠くに丘の城塞が臨める店で領地視察の休憩を取りながら、コニーは窓の外を眺めていた。

 海辺や国境から離れて製紙や紡績が発展したヒストリア伯爵領では広く見られる光景らしいが、海辺のカリス領では退色が激しいため同じことをしても褪せた布がはためくだけになるだろう。その分、面白い光景として映った。

 飾り留めを贈るためにリボンを選んだのではなく、リボンのために飾り留めを添えたのだろうか。

 菓子と紅茶を楽しむ少女を眺めながら、コニーはティーカップを傾けた。

 4の月半ばから始まったこの関係は、早2ヵ月を経た。ひとまず、それなりの信頼は得られているだろうか……幼少期からの顔馴染みであれば為人がわかりやすいものだが、十代半ばにもなると貴族家の子女は演じることを覚えてしまっている。

 デビュタント前でも園遊会に参加していれば関係値は自然と築かれていくものだが、王妃による守りが堅かったため城下だけではなく同年代の間でもメロディ・ヒストリアは妖精のような存在と化していた。〝理詰め令嬢〟〝氷柱の白百合〟という彼女を示す言葉が独り歩きしている中、実際に関わらなければこのように菓子を頬張る年相応な可愛らしさを拝むことはできない。

 当代カリス公の領地視察に同行した経験を持つコニーだが、その際は街を散策などできなかったし休憩らしい休憩も無かった。反面、当主のことを考慮すればのんびり甘味を楽しむ時間が確保されているくらいが健全のようにも感じた。




 先日、カリス家の別宅にフラナリー伯爵家3姉弟に加えてスタシアの婚約者であるザハリアス・スパティエ伯爵令息を招待し、夏季休暇前の試験対策のため勉強会が開かれた。

 ドルシアとスティファノスは互いに教え合いながら演習を進め、スタシアは握った鉛筆の先を紙面に擦らせて何枚も絵を描いていた。

 ザハリアスは自身の数学演習のかたわら、慣れた様子でネストル・フラナリー令息に基礎教養科目の復習を手伝っている。


「白い子犬、白頭の鷲、青い花――いずれかが共に描かれていればこの女性はネフェルティア皇妃だと判断できます。そのような、人物を特定することが可能なものを表す単語は?」


「……象徴(シンボル)ですか?」


「思い浮かんでいる、もうひとつのほうは?」


「アトリビュート……?」


「そう、今回はそちらです。あっているよ。皇妃が美しすぎるからなんてふざけた理由でよく顔を隠している作品が多く見られるゆえに彼女が愛した動植物を共に描いておくという方法が用いられている」


「はい。犬、鷲、花ならネフェルティア皇妃ですね」


「色も重要だよ。ちなみに、11世紀末の絵画はオヴィも有名だけれど、彼の個人技だから試験問題で問われることはほとんど無いよ。当て推量で解答するにしても別のことを書いたほうが正答率は上がる。教科書の210ページ辺りに美術様式のまとめなどが記載されているはずだから、丸暗記してしまってから理解を進めるのもひとつの手ではないかな」


「丸暗記ですか……」


「俺も得意では無いが、最低限の単語を押さえておけば知識問題は戦える。記述問題は知識の体系化についてくるから焦る必要は無い。ネスの進度で良いから、またわからないところがあったら手伝うよ」


 ネストルは礼を告げると、改めて問題演習の解きなおしに取り組む。

 歴史関連の知識や洞察は教諭ですら目を見張るものらしいが、黒の癖毛を指に巻きつけながら早速手が止まっている様子を見ると美術はそうもいかないらしい。

 スタシアの絵の被写体を務めるコニーが、次のページの演習に取り掛かろうとしているザハリアスに「相変わらず文武両道だね」と声をかけると


「分野問わず試験を受けるなら上位に入らないと父に殺されます」


 さも当然のことのように、淡白に言う。コニーが苦笑すると、不意にスタシアは手を止めて椅子から立った。近くに置いていた書籍を片手に、その足で弟の傍へ向かう。

 姉が近くに来たと気づいたネストルは「どうされましたか?」見上げながら問いかけた。


「アトリビュートの綴りが違うと教えにきたの」


「あちらからでは」


「見えないけれど音は聞こえたわよ。文字数が合っているのは、τ(タウ)がひとつ足りない代わりにυ(ウプシロン)で良いところをι(イオタ)ε(エプシロン)と綴ったから。ちゃんと確認して書きなさい」


 スタシアはネストルの前に書籍を開いて置いた。


「神話学カルディアや図像学カルディアで修行するようには言っていないだけマシでしょう。アトリビュートは創作物で人物を特定する印のこと、象徴(シンボル)は概念単体のこと。まずはそこから確認するようにね」


「……はーい」


「あなた、興味が無い分野は本当に苦手よね。芸術院所属の姉を持つのだから、せめて平均点は取って欲しいところだけれど」


「ターシャ姉様は僕が質問しても教えてくださらないではありませんか」


「当然でしょう、ネスはいつも教科書に載っていることをきいてくるのですもの。先ほどだって、ザハリアス様の言葉を要約すれば教科書に書かれている内容を確認しなさいというものだったでしょう?」


 不満そうな表情だが、事実ゆえに言い返す言葉を見つけられないらしい。ネストルは萌黄の双眸を姉から逸らすと、おとなしく綴りを確認しながらアトリビュートと書き直した。


「ザハリアス様。以前お伝えしたようにあまり弟を甘やかさないでください。ネスは貴方の妹(グレイス)様より興味の格差が顕著なのです」


「すみません、気をつけます」


 スタシアは礼の代わりに笑顔とともに「問12のβ、途中式の6行目。χの係数はプラスではなくマイナスだと思います」と告げた。言われた箇所を見直したハル、二重線で該当箇所を修正した。

 一応「ふたりはどうしますの? 休まれませんか?」声をかけると、もう少し続けるとの返答。スティファノスとドルシアはふたりで談笑しながら勉強を進めているらしく、遠目に眺めるだけに留めるとスタシアは使っていた席に戻ってきた。

 コニーは、彼女の席に置かれたままの紙面を示して「やはり上手いね」と褒める。

 スタシアは器用に小振りなナイフで鉛筆の先を整えながら気もそぞろに「ありがとうございます」とつぶやいた。


「これで気に食わない出来なのかい?」


「速写画ですから。観る訓練なので、完成させるためではなく修正点を探すためのものです」


「失敬」軽く肩をすくめてみたものの、コニーには十二分それが技巧に優れた絵に見えた。


「休憩します。雑談にお付き合いいただけます?」


「もちろん」


 勉強をする一団の邪魔をしないよう、スタシアはコニーとともに少し離れた位置へ移動した。

 使用人らが用意したお茶と菓子を前にして


「シモン殿に確認したかぎりでは従姉妹の仲は悪くないらしい」


 コニーが言った。

 スタシアは紺碧の瞳を何度か瞬いて、意図を察したように微笑んだ。


「姪の複雑な立場を慮った伯父殿が娘に言いつけた、というのが真相らしい。こればかりはソフォクレス公の対応次第かな。お茶会については、もう少し働きかけてみるよ」


「カリオフィリス先生は際どい発言もなさいますが、メロディ様が追加質問して深入りしようとなさるところをシモン様がそれとなく制止されて話題を逸らしていらっしゃいます。どうぞご安心ください」


「それは良かった」


「顔合わせのとき、アルテミシア様と私にだけ――メロディ様は素直な方だからお茶会に初めて参加するご令嬢を見守る感覚で支援をするように――と、シモン様より依頼されました。上の方々が彼を選んだ理由がよくわかります」


「なるほどね。過保護なくらいがちょうど良いのかな。いずれにしろ、やはりシモン殿は頼りになるらしい」


「本当に。さすが次期公爵様でいらっしゃいます」


「ちなみに、あの子は楽しめているかな?」


「ええ。私の感性に依る印象ですが、メロディ様は芸術講座を楽しんでいらっしゃるご様子だと思います。知らないことを吸収する障壁が非常に低い方なのでしょうね。時折、私たちですら舌を巻くような鋭い質疑応答すらあります」


「順調のようだね。安心したよ」


「……」


 スタシアはコニーから視線を逸らすとティーカップをソーサーに戻して小さく一息つき、ゆっくり瞳を閉じた。

 問題演習でなくとも集中して絵を描いていたため疲れたのだろうと考えて、コニーは手持ち無沙汰に近くの書籍を適当に眺める。


「あなたはお優しい方ですね」


 顔を上げると、スタシアの視線が向けられていた。

 コニーは「そうでも無いよ」と答えた。


「相手の最善を考えて、実際にそれが最適解から遠くないですもの」


 スタシアの視線が、スティファノスとドルシアからの問い答えているハルの横顔を遠くから捉える。それに合わせてコニーはスタシアを視界に収めたまま彼らを眺める。

 少女は寂しそうに微笑み、まもなくそれは自嘲に歪んだ。


「私もそうできたら良いのですけれど……」


「……以前、揶揄うようなことをして悪かった」


「あら。配慮が行き届いてますこと」


 皮肉らしい表情に愛敬が隠しきていない……恐らく自覚はしていないだろうと思い、コニーは指摘せず小さく首を傾げるだけに留めた。

 その反応に気が済んだのか、改めて団らんしている姉弟や婚約者を眺める――何をしているのか何を話しているのか雰囲気でしかわからない。勉強を教え合っているのかもしれないし、集中の合間に無関係な雑談をしているのかもしれない――その光景を、スタシアは愛おしく見つめる。


 生前のイフィゲネイア・フラナリー伯夫人の生き写し。


 いつからか双子姉妹を形容する言葉には彼女たちの亡き母親の名が用いられるようになった。

 学生時代における同年代の常識はずれな言動は語り継がれて子ども世代の耳にも届いてしまっている中、イフィゲネイア夫人にはそのような話題が無い。年相応な令嬢像から外れる冷笑的な性格ともまた違う、明言できない影が滲んだ朗らかな笑顔が彩色写真に残されているだけだ。

 母を早くに亡くし、諦念が瞳に混ざることがある……スタシア・フラナリーとの関わりかたをメロディ・ヒストリアに適用しようかと考えてみたが、似ているようで似ていないのかもしれない。


「コニー?」


 呼びかけに視線で応えると、紫の瞳が揺れた。


「面白い景色だと思ってね。城下ともカリス領とも異なるから」


「楽しんでいただけているのでしたら嬉しいです」


「ああ、そうだ。領地視察ではないのだけれど、良ければカリス領へ来るかい? 今年も、スティとの縁でフラナリーの子女やスパティエ令息も時機を合わせて遊びに来るだろうから。君もどうだろう?」


「わ、わたくしもご一緒してよろしいのですか?」


「もちろん」


「でしたら、是非。先日提案してくださった夜会も、予定を合わせられましたので、そのつもりでよろしくお願いしますね」


「ああ、承知した。くれぐれも無理は」


「していませんわ。ご安心ください」


 メロディは困ったように微笑み答えた。

 コニーは「それなら良いのだけれど」と同じように苦笑した。

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