表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/21

太陽のなかで変わりゆく街並:4 そうだ 渡された気がするからちょっと登ってみよう

僕らは泳ぐことを余儀なくされる

息継ぎは辛いけれどそれ以上にここが広すぎて恐い

暗くて先は見えないし

今すぐにでもここで丸まって萎縮していたい

って思っても

生きようと思うならどこかに行かなければならない

ようやく

僕らは地球にいながら同時に宇宙にもいるんだなって気付いて

だったら恐いのも当たり前か

なんて開き直れるようになる

たとえ目印がなくても

それによって自分が死ぬようなことはないと思えたら

案外人間は気楽にいられる

だとしてもいろんな疑問は浮かんでくるもので

幸せだとか意味だとか価値だとか

むしろそういうものに捕まって息苦しくなってくる

暴風雨のなかでどうしようかと迷っている気持ち

誰かが助けに来てくれることを期待しながら

でももし誰も来なかったら

僕はひとりで帰らなければならない

と冷んやりしてくる

だから僕はいつも香奈理子に訊いていた

どこに行けばいい?

どうすればいい?

彼女の指示に従っていたから

僕がそこで使っていたものは

ちょっとした思考力と行動力だけ

でも大荒れの海のなか見つけた小島のようで

何より僕は香奈理子の声に安心した

僕は彼女の指示がない時でも

言わば彼女の影響のもと動いていたので

それがまるで自分のなかからの直感であるかのように勘違いしていた

今なら言えるけれど

つまり

香奈理子と出会ってから彼女を見失うまでの間

ずっと彼女が僕の個性だったわけだ

僕は何かを自分で選んだだろうか

その余地すら自分に与えることなく

それが人間にとって最良であるかのように思いながら

香奈理子に従っていた


 ◇


彼女が待っていると言ったのは

きっとそういうことだったに違いない

香奈理子は自分に従順なしもべが欲しかったわけじゃない

自分と対等の位置で話ができる人間を待っていたのだ

僕はその努力を放棄していたものだから

いつまで経っても彼女に近付けなかったわけだ

そうやって時間切れ

でもね

あの時僕は本当に後悔したし

取り返しのつかないことをしたって感じたけれど

たぶんそれも違う

だってほら

香奈理子は「またね」って言ってくれた

そこには勇気と

彼女からの最後の指針があったんじゃないかな

僕は自分にぽっかり穴が空いたのを感じたけれど

同時に世界は明るくなったと思った

なんか

自分の目の前にコケだらけの階段があって

自分の心にもコケだのカビだの生えている感じで

だけれどどこか

じめじめした階段を力強く登っていこうって気持ちが湧いてくる

そんな感じだった

人間に与えられた段階ってのがあって

喪失

遍歴

獲得

ってのが大人の通る道なんじゃないかな

思い返してみると全部そうだよね

僕は香奈理子だけじゃなくて

いろんなものを無くしてきて

そのひとつひとつに寂しい想いをしながらも

もっといいものを手にしてきたんじゃないかな

なんだろう

僕はこれまでの直感に対して

ただありがとうって言いたいんだ


 ◇


声浴ノさんがぽかーんとした顔で見ている

意味の連続で小さくなった僕らの想像力は

今少しずつ大きくなっていくことを望んでいる

矯正されたらそれがいいもののように思えるという不思議

だけど僕はそんな幻想を最初から信じていなかったし

久霧里さんは本能的にそれに抗い

睡美名さんは途中でおかしさに気付いた

声浴ノさんは最初からそんなものに興味もなかったのかな

「そもそも私は想像力なんかで生きていないし」

と言う彼女はでも

いろんな男とセックスすることで

世のなかを反射させている

ああ

そもそも彼女にとって想像力は範疇外なんだね

勢いよく落ちてくる滝の水が

その音と共にぴたっと止まった感じ

また景色が動き始めたら

緊張した感情が一気にほどけて

僕は声浴ノさんにキスをする

「ねえ

 どこかちょっと変わった?」

なんて彼女は訊いてくる

「なんとなく分かってきたことがあるだけだよ」

って言ったら

声浴ノさんはなんだかちょっと嬉しそうにはしゃいで

僕の腕にしがみついてくるのだった


 ◇


三十歳を越えてくると

もう若くないだとか

太ったら痩せなくなるだとか

不当なほどに年寄り扱いだけど

この年代って人間の中心みたいなものでしょ

好き勝手やってやりたいこととりあえず網羅してみないと

二十代のころに燻らせていた衝動が大変なことになっちゃうでしょ

日本では十八歳から選挙権なんてことになってて

成人式は二十歳

でももっともっと遅くてもいいよね

だって二十代なんてまだまだ学生してる人たくさんいるじゃん

子供と言えば子供だよ

それをさ

二十歳前後で社会に出た新入社員に向かって

「学生気分が抜けていない」だとか

「社会人としての自覚を持て」だとか

いやいや言ってることナンセンスでしょ

大人っていうのは三十歳越えてからを言うんだよね

だって自分の顔や言葉に責任持てとか言うけど

それって二十歳の時には言われないじゃん

僕は睡美名さんとずっと働いているけれど

二十代後半になるまでちゃんと仕事している振りをしながら

まだまだ子供気分だったよ

今思うとそれって

かわいい天使が描かれている絵を見ているような気分だ

僕らはそこから決定的に何かを無くした時に

初めて荒野を歩く旅人みたいな気分になれる

二十代で何も見つけられないからって

ぷかぷか空に浮いてぼーっとしているような気分になるのは

ちょっと人生捨てすぎじゃないかな

詩人やっているけどなんだかアウトローです

なんて二十代で言うのはませ過ぎってやつ

感性の広さや深さで

人間はどうしようもなく周りと一致しなくなることがあるけど

どうしてそれを特別なすごいことだって思えないんだろう

って言ったらきっと声浴ノさんは

「それってそんなに特別なこと?

 感性なんかでセックス変わらないよ」

って真顔で返してくるだろうな

詩人ってセックス嫌いなのかな

香奈理子は詩人ではないけどセックスどうだったんだろう

でも僕と本当にしたかったのはセックスなんかじゃなかったはず

ともかくそんなこんなで僕は香奈理子を見失った

感性はいつか消えていく

僕にとっての感性は香奈理子だった

僕が彼女を無くしたように

詩人もいつか

自分の感性がいつの間にか無くなっていることに気が付く

でも今の僕には久霧里さんがいるし

睡美名さんもいる

そして僕の一番近くには今

声浴ノさんがか細く座っている


 ◇


夏の暑さのなかで抱く声浴ノさんの体は

まるで今すぐ溶けてしまいそうなアイスキャンディーみたいだ

こんな体でよく男たちの愛撫に耐えられるなと思う

ちょっと汗をかいてきたら

僕は彼女が細くなっていくんじゃないかと心配になる

「今日まで何人としたの?」

って訊いたら

「それがね

 全然してない

 それどころかしたいと思わない」

なんてびっくりするようなことを言う

驚きすぎて亀の甲羅みたいな気持ちになってしまった

「たぶん私ね

 セックスがそんなに好きなわけじゃない

 探していただけだよ

 きっと」

彼女が何を探していたのかなんて

今さら訊かなくても何となく分かる

「私に足りないものって何かな」

なんて声浴ノさんはぽつんと尋ねてくる

「それはとてもたくさんあって言い切れないよ」

って返すと

「例えば想像力とか?」

って言ってくる

「でもそれって声浴ノさんには必要ないでしょ」

「でもね私ね

 その人の命を感じるとね

 なんとなくその人の記憶っていうのか

 そういうのが分かるんだよね」

「つまり僕がどんな人と寝てきたかってことも?」

「もちろん

 私けっこう泣いてるんだよ」

と言う声浴ノさんはあははと普通に笑ってくれる

僕は彼女を抱き寄せる

僕の胸で暖かく揺れる声浴ノさんは

なんだかとっても僕自身みたいで

「この町に自分はひとりっきりで生きているのかもしれない」

なんて気持ちになりながらも

なぜかそれが恐くなかった


 ◇


香奈理子にありがとうって何回くらい言えたかな

人生八十年から九十年なんて考えると

僕の二十代なんてちっぽっけな感じがする

だけどどんな時でも別れっていうのは感動的で

そこにありがとうとさようならは絶対に必要

それに人生のなかで無駄な期間ってあるんだろうか

例えば十代があるから五十代があるって言えるだろうし

僕の二十代はきっと四十代に反映されるはず

それもこれも三十代の遍歴がうまくいけばだけど

香奈理子の「またね」ってどういう意味だったんだろう

僕はその言葉に確信を持っているけれど

それが人間の言葉ではないというのも分かっている

だから僕はきっと

香奈理子と十代や二十代の頃のようにはもう出会えない

でも僕は彼女の喪失を通して

彼女が待っているという新しい可能性を見つけたし

いつだって追い風を受ける帆のような気持ちになれる

そういえばいつの間にか花粉症も治ったよね

今ならね

僕は香奈理子に訊かなくても

自分は間違っていない

って思える時があるんだ


 ◇


面白いように香奈理子からの影響が

僕のなかから消えている

それらを思い出すことはできるから

僕は時々その名残を見つめながら

彼女と一緒に見た風に乗る桜の花びらみたいな気持ちになる

でも全部消えているわけでもない

残っているものもあって

それは彼女からの指示というよりも

僕が香奈理子を通して得ることができた直感だ

それもただの直感じゃなくて

残ることを許された特別な直感

それ以外のものは今や僕のものではないという自覚のもとに

すっかり目を閉じてしまっている

この意識は大きな冒険の始まりみたいだと思う

人間ってひとりじゃ何もできないって当たり前みたいに言われるよね

だから香奈理子みたいな存在が絶対的に必要なんだけど

それにいつまでも依存していちゃダメだよね

そうそうこれって優しさじゃない?

僕はそれを思うと本当に泣きだしそうになる

だってさ

僕はこんなに誰かに優しくされたことってないんだ

僕のどんな恋人よりも

母親よりも

香奈理子は優しい

いろんなことを教えてくれて

助けてくれて

抱いてくれて

そして

君は僕に譲渡してくれたんだ

僕の

僕自身の

本当の個性の在り処を

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ