太陽のなかで変わりゆく街並:2 今まで長かったけれど月の国はそろそろさよならだ
とんとん
手首を切り続けている久霧里さん
僕は君のことを必要としているし
やっぱり君と太陽の下を歩きたいっていう想いがある
そんな僕からの欲求のことごとくを
君はやっぱり嫌がって破り捨てるだろう
それを寂しいと感じるのは今も昔も同じ
だけどちょっと無理して君が僕に付き合ってくれると
きっと僕も君も嬉しくなるはず
僕らはひとつの遊園地にいて
君はアトラクションなんてやったら死んでしまうと思っている
でもどういうわけかお化け屋敷だけは大丈夫
部屋を暗くして一日中でもホラー映画を見ていられるなんて
君はいったいどんな生命力を持っているんだ
「無残に人が死んでいくのがいい
でも戦争ものの映画は嫌
だってすごく理不尽だから」
なんて言う君の心が本当は何に支えられているのか
ちょっと分かる気がする
とんとん
久霧里さん
今日もまだ外には出られないかな
一緒に服でも買いに行きたい
久霧里さんがかわいい服を着てくれたら
僕はきっと嬉しくなるし
君も喜んでくれるはず
◇
久霧里さんが手首を切って
滲み出る血を少しずつ地面に落としながら歩くなんて
ちょっと素敵だと思う
僕は落ちた血を見ながら
ここにはまだ本当の人間がいる
って気持ちになるだろう
そのゴールに久霧里さんがいるのだから
それはまるで初日の出みたいな感じだ
僕は追いかけるわけじゃない
必然的に僕らは出会うだろう
月が昇ると僕らの意識は薄くなるけど
朝が来れば僕はいつでも君を側に感じるだろう
だから血を落としながら歩いている君を捕まえたら
その場でセックスしてもいい
それは僕にとっても久霧里さんにとっても恍惚なことで
もう
君は逃げる理由を無くしてしまうだろう
踏切の前で立ち止まって
「死ぬのも生きるのも嫌」
なんてもう言えなくなっている
指先が絡み合うところで
久霧里さんは目も鼻も唇も
それから髪の毛の先まできらきらさせて
「でもいつか私は
あなたを崩壊させてしまう」
なんて言ってくる
「だからいいんだよ」
って僕は答えてあげる
僕は久霧里さんを通して生きる喜びを知る
そしてその次には
彼女を通して死ぬ喜びを知るのだ
◇
もうすっかり夏だな
道路は陽炎でゆらゆら
空気は蝉でみーんみん
そんな時に久霧里さんの部屋に行くと
さすがに暑すぎるのか窓を開けて風を流している
薄い布団にくるまっているけどそのなかで彼女は裸状態
「あなただったらいつでも犯してくれていいよ」
なんて笑顔で言ってくる久霧里さんはやっぱり昔からかわいい
「だったら外に行こう」
と勢いで言うと
「ひっ」と短い声を出して久霧里さんは布団に頭まで埋まった
でもカタツムリみたいにゆーっくり顔を出してきて
眉毛をちょっと不安そうな形にしたまま
「手を離さないでいてくれたら行ってもいい」
と言った
もう僕らを迫害するような輩もいなくなった
時代遅れの気取り屋たちがたまにいるけれど
なんだかそれももう恐くはない
久霧里さんはちょっと長めのスカートと
上はフード付きのパーカー
細い足は素足のままスニーカーを履いて
その格好は全然似てもいないのになぜだか僕は
香奈理子を思い出した
約束通り手を繋いで僕らは歩く
夏の暑さが汗になっても
僕らは互いに何も気にしない
踏切の向こうに向日葵が咲いているのが見えたら
僕らは同時に手を強く握り合った
愛し合っているとかそういうのじゃない
でも僕らは互いに分かり合えることが多くて
道端の石にすら同じ感情を抱く
「こんなに暑いなか
戦争って終わったんだね」
久霧里さんはそう言って
少しだけ視線を空に向ける
暑いと風景が寂しくなる
そこには動物も植物もいるのに
人間だけがすっぽりと抜けてしまって
僕はそこに
戦争の後の何もなさと太陽の力強さを感じる
苛立ちと残酷さと虚しさ
僕に残るのはそんなものだ
急に
久霧里さんが手を引っ張って走りだした
僕は彼女の軽やかさについていく
◇
命の授業なんて言われて受けた性教育は
僕にとって茶化されたセックスの授業だった
セックスの全てを命に結びつけるっておかしい
どうして愛の授業って言わないんだろう
きっとあの授業が久霧里さんを追い詰めたところもあるはず
なんて
批判的なことを思ったりもしたけれど
セックスってやっぱりあらゆる意味で命なんだよね
受精卵に命が宿るのはいつなのかって分からないけど
それがなくてもセックスで命を突き上げることができる
だから久霧里さんは何度も首を吊ろうとして
それでもまだ生き延びている
彼女が今も生きているのは
セックスが直接彼女に命を吹き込んだからだ
蝕まれた心は命まで食い荒らしてくるから
せめてセックスで命を補給しないといけない
この快楽が僕らを生き返らせていく
っていう強い感情は
月ではなくて太陽に依っている
◇
嬉しくてはしゃぐ久霧里さんが僕の手を引いてくれるけど
やっぱり僕が久霧里さんを引っ張ってあげるよ
外は危険だっていうわけじゃないけど
久霧里さんの生命力は半端じゃないから
その力強い彩りに
世界のほうが壊れていくような気がする
それが悪いってわけじゃないけど
今の久霧里さんにとって
それは本意じゃないよね
僕は久霧里さんとこの景色を歩くことで
虹色の光景を作ってみたい
荒々しい息遣いで興奮している久霧里さん
部屋に戻すのが大変そう
帰りはたこ焼きでも買って帰ろうか
「今日はかき氷が食べたい」
なんてびっくりするようなことを言うものだから
僕はうっかり手を離してしまった
でも久霧里さんは平気そうな顔
ああ
僕ら今
繋がっているよ
離れているなんて到底思えないくらい久霧里さんの体温を感じる
今興奮しているものは何なんだろう
太陽がゆらゆら揺れて踊っているみたいに見える
風が吹いたら向日葵が声を発してくる
部屋に戻ったら僕らは間違いなくセックスをするけれど
その間にかき氷は完全に溶けてしまうだろう
夜が来ても
もう僕らは月の影響を受けない
目に見えない太陽が
僕らのなかに昇ってくる
そんな気持ちを共有しながら
僕と久霧里さんは夜を乗り越える
◇
涙と血ってどちらが重いだろう
ふたつを混ぜてやがて沈殿していく血を見たら
誰でも血のほうが重いって言うだろうけど
僕はその様子を見ながら
涙には目に見えない重さがその背後にある
って気持ちになると思う
久霧里さんはよく泣くし血も流す
つまりいろんな液を流している彼女は
だからこそ命っぽいところがあるし
これまでどんなに踏みにじられてきても
「私の流す水はまだ穢れていない」
って気持ちで頑張ってこられたんじゃないかな
傷ってきっと
体だけに付くものじゃなくて
その人のいろんなところに付くのだろうけど
それでその人の価値が変わったりはしない
「なんて酷いことを」
って思うこともあるけれど
僕は決して久霧里さんに同情したりはしなかった
同情って冷たい共感だよね
久霧里さんもそんなものを求めてはいなかったし
香奈理子だって
僕に同情なんてこれっぽっちもしていなかった
強く生きるだけが全てじゃないなんて思ったりもしたけど
手首を切り続けて正常な目をしている久霧里さんは
むしろ人間としてとても強いんじゃないかな
「この町の道路にね
久霧里さんの血を落としてみたいんだけど」
って言ったら
「いいよー」
ってとても自然で当然のような返事
彼女はいつもより少しだけ深めに手首を切って
ぽたぽたと血を落としながら
僕と一緒に下校時間の町を歩いてくれた
今まで踏みにじられてきた者が
この町に目に見える命の形を教えてくれる
って気持ちがぞくぞくと僕のなかから込み上げてきて
今日の夕焼けはやけに赤いなあと思いながら
僕らは帰宅した
◇
引きこもりが久霧里さんの代名詞だったのに
今じゃすっかり外を気に入ってしまって
外出先でいきなり手首を切りださないかと
逆に心配になるくらい
でもこうやってこの町を久霧里さんと一緒に歩けること
それを通して街並が変わっていくということ
それがなんだか夢みたいだ
相変わらずフード付きのパーカーを着ているけれど
夏の暑さに君の足はとてもよく映える
僕はその光景を見ながら
また戦争のことを思い浮かべて
その後に叡智と勇気に満ちた子供たちが現れる
って感情を持ってみた
それってきっと
今の久霧里さんみたいなんじゃないかな
今日も晴れているから
僕は久霧里さんにキスをする
僕は新しく得られたもののために
ちょっとだけ泣くことにした




