埃っぽい荒野に花が咲いたら:5 空に消えていったものが力強く打ち続けている
雨が悲しいのか
雨に悲しさを投影しているだけなのか
自分の外側を主観的って言うのなら
世界は自分自身の投影だらけで成り立ってしまう
そこに自分以外の誰かがいるって言えるだろうか
僕は決して実体を持った世界を想定したいわけじゃない
でも僕は僕の外側に
確実に自分ではないものを感じるから
世界は投影なんかじゃない
雨は悲しい
そしてそのなかで
僕は悲しくなってしまうのだ
ぱらぱらと地面を打つ音も
湿っぽい触感も立ち昇るアスファルトの匂いも
全ては一粒一粒の雨に込められた悲しさの浸透によって
景色を青暗くしていく
世界が幻であるならば
僕のなかに世界が投影されていると考えてもいいんじゃないの?
つまり
僕の感情はどこまでが僕自身のものかということ
ほら
香奈理子と一緒にいた時の僕は
彼女の感情によって動いていたと言ってもいい
いやそれもちょっと違うような気がする
彼女の感情が僕の感情を作っていたんだ
だから今
僕はどんな感情をすればいいだろう
感情なしでも生きられると思ったのはほんの一瞬
実際僕からそれが抜け落ちたわけではなくて
むしろそこには
小さな予感程度のものだとしても
確実に
押上げる力として波打つように鼓動する
香奈理子の喪失がある
◇
無感動になっていくのはもう病気
だけど急に涙腺が緩くなったなんてことも言いたくない
僕は雨の音を聞きながら泣いてもいい
でも音はそれだけでいい
連続する雨の音にひたすら没頭して
本当の世界はこの水浸しの景色の向こう側にそっと存在するのだと
無感動そうな顔をして
でも本当は今すぐ泣き出したいくらいの心の動きを持って
窓のサッシの冷たさのなかで生きてみたい
あれ
でも
地上ってこんなにうるさかったっけ?
あらゆる音が組み合わさって音楽になるのだと教わったとしても
音楽と騒音の違いまで教えてはもらわなかった
それって僕が決めることだろうか
だとしたらこの地上に
いったいどれだけの「音楽」が残るだろう
香奈理子に作りたかった歌だけが
荒野の地脈みたいに流れるんじゃないだろうか
無条件に繋がり合えるのが音楽の楽しみ
なんて言うけれど
ここにあるのは排他的で独善的な音楽ではないって
本当に言えるだろうか
つまり
音楽という名目でマスターべションしているだけなんじゃないの?
それを言いだすと
合奏はひとつの乱交パーティーだなんて言う人も出てくる
それってでも間違ってる?
僕らは肉体がないとセックスができないなんて
勝手に思い込んでるだけじゃないの?
発する音
受け取る音
そのやりとりのなかで
僕は香奈理子とセックスしていた
◇
コーヒーと紅茶がどこでも繰り返される
そのリズムのなかに立つことができたら
僕はもう少し香奈理子に近付けたかもしれない
それじゃあふたつを一緒に飲んだらどうなるのって思って
熱いコーヒーと熱い紅茶を混ぜ合わせたら
僕は自分が人間ではなくなったような気がして
急いでその謎の飲み物を捨てた
ひとつ目の怪物を倒す物語に惹かれるのはどうしてだろう
逆にみつ目の存在そのものに惹かれるのはどうしてだろう
僕らが今その中間でふたつ目であるからだろうなと思いつつ
だったら香奈理子はいくつ目を持っていただろうと考えてみる
少なくともふたつではなかったかな
なんて曖昧な記憶を探りながら
久霧里さんはふたつ
睡美名さんはふたつ
声浴ノさんもふたつ
と確かなところだけを思い出す
憧れがあれば求めればいいだけだとも思う
だけれどそれってコーヒーと紅茶だけの問題だろうか
作れなかったり生みだせなかったりする日々のほうが多いし
だからと言ってそれで人生の価値を決めたくもない
僕が何もできないからといって
香奈理子は僕を見捨てたりしなかった
待っていると言って
彼女はただ
僕がなにかを「する」のを見つめていた
◇
うーん
宇宙
ここには僕の知っているリズムがある
テレビ番組で宇宙っぽい奇妙な音が流れることがあるけれど
あれはあくまで地上の音
いろんな電磁波や宇宙線が飛び交ってるのかな
つまりはそれらの量子レベルの音ってことかな
僕にとっては香奈理子の故郷の音
でも必要なのはあくまでリズム
自然には自然のリズムがある
っていう言葉はどこまで比喩のつもりだろう
じゃあリズムっていうのはいったい何なのって思うけど
僕は言葉の真の意味が知りたい
宇宙にある「宇宙のリズム」っていう言葉が
単なる比喩や言い回しとしてしか意味を持たないとしたら
それは僕の求めている言葉じゃない
死んだ人のことをどうやって知るかって
そりゃその人の残した日記や手記を見るんだよ
香奈理子と表情で会話できないなら
とりあえずは一方的だとしても
彼女の「言葉」を読めるようになりたい
それが宇宙にあるんだってことは香奈理子から聞いている
本当の言葉がリズムに現れて
僕はそれを求めることで
きっと
香奈理子から独立できる
◇
いきなり上履きのまま墓地に行ったりするものだから
僕は香奈理子のことを夢見がちな電波系少女だと思っていた
ふわふわしているっていうか
本当に宇宙人と交信しているんじゃないかっていうか
もしも彼女がいきなり火星人から連絡がくるなんて言いだしていたら
僕はきっと
それはそれで信じていたと思う
それが彼女の説得力で
僕がけっきょくのところ
香奈理子は夢を見ているわけじゃないと納得した理由だと思う
それに対して僕はどこまでリアリストだっただろう
男のほうが夢を見ているなんてよく言われて
男は永遠の子供なんて褒め言葉か悪口か分からないのもあるけど
現実は見ていたと思う
だから僕は久霧里さんと付き合わなかったわけだし
よく分からない香奈理子との間にも
ひとつの距離を取っていたのだ
でもリアリストであることと物質主義であることは別で
それらをイコールで結ぶのはいつも唯物論者
香奈理子は違う
だけれど彼女は僕がコーヒーを飲む時に決まって紅茶を飲んだ
つまり
僕が陥っていたのは思考の現実的論理性ではなくて
永遠への憧れだったのだと思う
なにかれ言っても僕らは憧れなしに生きていけないし
それは世界が幻であるのならなおさらそう
そんな時
人間がてっとりばやく自分のやっかいな要求を満たそうと思うと
それってやっぱり物質的なことなんじゃないの?
だから僕はコーヒーを飲んでいたし
香奈理子は僕との均衡を示すために紅茶を飲んでいたのかな
なんだろう
一度でいいから
みんなでココアを飲んでみたい
◇
僕には耳以外で音が聴けるようには思えない
もし耳以外にも音に対する器官があるのだとしても
僕のそれは今のところ完全に詰まっている
もしくは開いていない穴みたいなものか
だから全ての音は耳を通して入ってくる
音って言ったけれど
ここに含まれるものは複雑
それこそ宇宙に行ったら空気がないから音なんてしないけれど
それは媒介がないだけで音がないわけじゃない
僕が言いたいのは
音は空気の振動じゃないってこと
もちろんそれも合わせて
いろんな音が耳に入ってくるものだから
そりゃ耳詰まりを起こすことだってある
僕のめまいはそうやって引き起こされているのかな
音に圧倒されているというよりも
受け切れない量が僕を混乱させている
ああ
これじゃ乱交なんてできそうにないな
久霧里さんと睡美名さんと声浴ノさんと一度にセックスしてみたら
僕はきっと酷いめまいで気を失ってしまうだろう
人間が人間と向き合うって
一対一でしか実現しないような気がする
それ以外の人たちはその時つかの間消えているわけで
そうでもしないと人間っていう音を受け止められないでしょ
それとも大勢の観客の声や存在は
ひとつに溶け合ってしまって「その他大勢」でもなくなるのだろうか
僕は基本的に一人ひとりと向き合ってきたことになる
でも香奈理子とはどうだろう
僕は本当に向き合っていただろうか
僕は彼女の表情を見ていたし
その目がいろんな感情や思考によって変化していくことも見てきた
だけれど彼女はいったいどこにいただろう
カフェでは僕の前にいたし
台所では隣同士で立っていた
だけれど彼女が本当にいた場所は
ああ
そうだ
彼女はいつだって
僕の後ろにいたんだ
◇
雨がやんだって
雨がこの世界から消えてしまうわけじゃない
それは人間を永遠にする方法と似ているのかもしれない
死んだ人も残った人々の記憶のなかで生き続けます
とか
正直バカじゃないのって思う
人間ってそんなに他者に依存しないといけない存在だったっけ?
誰かがいるから生きられるとか
せめて誰かの記憶のなかに残りたいとか
じゃあけっきょく「自分」ってどこに拠り所があるの?
それって僕の場合「日本」じゃないのって思ってたけど
たぶんそれもちょっと違う
香奈理子が僕の拠り所だったということは認めるけれど
じゃあ彼女はどうだったんだろう
そして雨がやんでしまったから
もうこの町は埃っぽい荒野だ
でもそれで彼女が消滅したなんて間違ってる
記憶にいるとかそんな安っぽい慰めもいらない
だって彼女は確かに「待ってる」って言ったんだ
それってとっても能動的だと思う
僕らの永遠って地上になんかないって知ってるけど
だからって「人々の心」にあるわけでもない
死が真実だったように
僕は香奈理子の存在そのものが永遠を帯びていたって確信できる
それが
僕のなかで今もなお
新しく生まれ出ようとしているリズム




