埃っぽい荒野に花が咲いたら:6 僕らの刃物は思いのほかあまり切れない
捻じ曲がったものをもとに戻すのは難しい
なんて言うけれど
実際のところそれってできることなの?
一本の木ならできるかもしれない
だけれど複雑に絡み合った蔓でも同じことが言えるの?
けっきょく僕ひとりの力ではその場しのぎくらいが関の山
むしろ悪化させてるんじゃないのって思うこともある
放っておくのが最良の時もあるっていうのも
あながち間違ってないかもしれない
香奈理子が待っているのも
ひとつとしてそういうのがあるんじゃないかな
でも心って体以上にいろんなものの影響を受けるから
休める時なんてあまりない
というよりも
心が晒されている環境って本当に過酷だよね
荒野荒野荒野……
何もないなんてまだいいほうで
劣悪環境に水分はないし
何が一番酷いかって
誰もその環境の本当の姿が見えていないってところ
良かれと思ってやっていることが
心にとってどう作用するのか見えないから
ここはおぞましいくらいの地獄絵図
良いことと悪いことの区別もついていない
誰も「みんなにとって良いこと」なんて言わないし
同じように「自分にとって良いこと」とも言わない
「必要悪」とか「それはしょうがない」とかいろんな言い訳があって
それらは基本的に通用するっていうのが日本という国
堂々と言い訳されても吐き気がするだけ
だって
そうやって捻じ曲げてきたものが僕ら自身を追い詰めていく
あーあ
ポテト飽きたから焼き芋食べよう
◇
ひとりでこもりっぱなしの久霧里さんは暇じゃないのかな
やることないってけっこう辛いよね
だけど彼女は飽きることなくこもり続けて
暗い部屋にぼわっと浮かぶパソコンの光に照らされながら
ずっといろんな動画を見ている
時々ネット小説も読んでいるのかな
僕とはよくセックスをしたけれど
今はセックスしたくならないのかな
ああそうだ
彼女にはリストカットがあった
でもそれってそんなに時間を費やすものなのかな
時々思うのは
久霧里さんって何をして生きているんだろうってこと
具体的にどういうことをって意味じゃなくて
彼女自身の人生のなかにどういう刻印を付けているのかってこと
そんなことを本人に訊いたら
「そういうの必要ない」なんてきっと言うんだろうけど
それは本人の問題であって
僕には僕の「久霧里さん問題」がある
でもそれで
「久霧里さんは僕とセックスしてくれたよね
それって僕にとってすごく意味があることだったんだ」
なんて言ってしまったら
彼女はすぐにでも手首を切りだすんだろうな
その時に付く傷が僕という人間の切れ味だって言えるかもしれない
ああでも
久霧里さんだって人間をやめたいわけじゃないし
本気で孤独になりたいなんて思ってるわけでもないはず
だからきっとすぐに泣きだして
自分や世界を責めだすんだろうな
◇
あーそれにしても酷いもんだ
人間ってどうして
そんな酷い状況に対して
「まーこんなもんだろ」って諦められるんだろう
それって本当に強さなの?
「こんな状況なんだからこうするしかないじゃん」
って
そういう言い訳でどんどん状況を悪くしていくよね
どうして逃げようって思わないんだろう
「こんな状況だから適当に合わせながら逃げよう」
って思うのそんなにまずいこと?
久霧里さんは
「こんな状況でどうしたらいいの
鬱になるしかないんだけど」
ってことで部屋に引きこもるという逃亡中
それって正しい反応だと思うけど?
人間の本能って何か間違ってるところあるよね
ダーウィンの進化論なんてものをいまだに信じてて
自然淘汰とか言ってくるの
それってけっきょく悪が生き残るってことの正当化だよね
久霧里さんが生きていくことを許せないとしたら
僕だってリストカットしたいと思う
あーむしろ
社会の頚動脈ぶった切ってみたい
とは言ってもあんまり切れ味のよくない小さな刃物じゃ
何にもできないんだけどね
でも僕はいつだってこの刃物で過去を刻んできたわけだし
今を生きられるのもこいつのおかげかもしれない
◇
久霧里さんがひどく悲しそうな顔をして俯いている時でも
僕にできることはセックスだけだった
その後には彼女の顔が少し赤みを帯びて緩んでくるから
なんだかそれでいいんだって思えた
僕は彼女を繋ぎとめていられただろうか
彼女の寝顔を見ながら
僕はよく死って何だろうって考えていた
それはつまり
彼女にとって死が救いとなるのかって疑問
彼岸花が秋の空気を包み込んでいるように
喪失だらけの久霧里さんを優しく抱いてくれるものが
真っ赤な指をした死であってもいいんじゃないのってこと
それから続けて
その役目って僕にもできるだろうかっていつも思っていた
何気なく手を首に持っていくと
久霧里さんの意識は夢から戻ってくるのに
眠ったふりをして目を開かない
僕もそれに気付かないふりをして
首をゆっくりと絞めていく
大きな骨の通ったその部分は
それでも僕の両手からすると細いもので
ああこのまま簡単に折れてしまいそうって思える
だけど頚動脈の抵抗が指に伝わってくると
何だかとっても恐くなって手が震えはじめる
そのあたりで久霧里さんはいつも「あっ」って声を出した
それが「もっと続けてほしい」って意味なのか
「そのくらいでやめて」って意味なのか分からず
僕はその状態のまましばらく動けない
でも
なんだろう
その時の僕は
少なくとも久霧里さんを愛している瞬間だったと思うし
彼女も同じように
僕を愛していたのだと思う
◇
精神的に病んで引きこもっている人って
情緒不安定で突然泣きだしたりするのかなと思って
「久霧里さんが泣くのはどんな時?」
って訊いたら
「辛くて死にそうな時」って答えてくれた
なんだかそれが普通といえば普通で
その時の久霧里さんも特に考えるでもなく
すっとそんなことを言ったものだから
僕はなんだかあやしいなあと疑っていた
そうしたら逆に久霧里さんから
僕が泣くのはどんな時かと訊かれたので
「悲しい時や
嬉しい時や
辛い時や
楽しい時も泣けてくることあるよね」
なんて
つまりは感情が動いた時ってどんな時でも涙に繋がるよね
って言いたかったのだけれど
久霧里さんはなんだか寂しそうな顔をして
「悲しくても泣いちゃいけない気がするし
嬉しくても泣けない
楽しい時なんてない
だから病気って言われてる」
と言った
ああつまり
どういう時に泣くのかじゃなくて
彼女の場合は「辛い時」にだけ泣くことができるってことか
そう思ったら
彼女は今も絶賛逃走中なんだって分かった
僕とセックスしてる時に泣くのは
あれは自分のため?
それとも僕のために?
でもね
君が「このクソみたいな世界!」
って言いながら泣いていたの覚えてるよ
もしも久霧里さん
君がこの世界から完全に拒絶されてしまったとしたら
それは世界にとっていったいどれだけの損失だろう
僕は人間一人ひとりの重さみたいなのを言いたいわけじゃない
君の感情がなかったら
世界は本当に自然淘汰で成り立ってしまうって
そう思うんだ
◇
いやいやいや
きっと久霧里さんだって暇なはず
二十四時間ずっと部屋のなかにいるとかちょっと考えられない
でも実際にそれをやっているのが久霧里さんで
たまに自分で料理をするとしても
誰かと話しながら食べるわけじゃない
彼女とデートするのを目標にしてもいいかもしれない
なんて思いながらたこ焼きを買って
久しぶりに久霧里さんの部屋に行ったら
「どうして来たの?」
なんて暗い声で追い返されて
しょうがなくドア越しに話をすることにした
とは言っても彼女からの返答はあまりない
もしかすると痩せ細って飢餓状態になっているんじゃないかとか
とうとう薬に手を出して完全な廃人になっているんじゃないかとか
いろんな憶測をしてみたけれど
たぶん
久霧里さんは大丈夫だっていう確信もある
「前は僕だけがたこ焼き食べたから
今日は久霧里さんの番だよ」
って言ったら
「それは誰が作ったの?」
って訊かれた
「お店の人」って言ったら断られると思ったので
「お店の人だけど僕がアレンジする」
って言ってみた
「どうしてそんなことするの?」
って返してきた彼女の声はちょっと上ずっている
ああ
泣かせちゃうかな
でも僕は言葉を続ける
「久霧里さんが作ってくれたたこ焼きは
僕にとってとても意味のあるものだったんだ」
すると彼女は突然ドアを開けてくれて
部屋に僕を入れてくれた
久しぶりの彼女の部屋はやっぱり散らかっていて
でもどこか落ち着く
「食べる」
と久霧里さんがちょっと泣きそうな顔で言ってきたので
僕が半分だけかじったたこ焼きを
すっと彼女の口まで持っていった
「まだおいしい」
って彼女が言ってくれたので
我慢できずに僕の方が先に泣いてしまった
「香奈理子がいなくなった」
って言うと久霧里さんは自分でたこ焼きを口に入れながら
「鬱になるしかないでしょ」
と普通に言ってくる
「でも
ありがとう」
そう言って久霧里さんはまた布団のなか
それでも今の彼女は
自分も世界も責めてはいない
僕は残ったたこ焼きを全部食べて
「ありがとう」って言った
◇
最近お気に入りの焼き芋を持って久霧里さんのところに行くと
「セックスしよう」
って言われた
「二人で焼き芋を食べよう」
って言い返したけれど「セックスが先」と言って聞かない
僕にとって彼女とのセックスは必要だろうか
そうすることで得られるものもある
なんて理由でしたいとは思わない
けれど
それ以上の理由って愛以外にあるんだろうか
「再会記念の最後にセックスだよ」
って言うと
久霧里さんはしぶしぶ了承してくれた
焼き芋を半分に割って渡すと
「かんぱーい」
と言って久霧里さんは芋と芋をこつんとぶつける
「なんだか懐かしい」
なんて言って久霧里さんが笑う
「この後のセックスが楽しみなの?」
って訊くと
「あなたとセックスできることが楽しいの」
と返された
「ねえねえ
今私たちがどこにいるのか知ってる?」
と訊いてくる久霧里さんは恐いくらいに無邪気そう
「とっても埃っぽい荒野だよ」
って返したら
「雨が降らないならね
私たちが雨になるしかないよね」
と言ってきたので
僕は本当にびっくりして唇を噛み切ってしまった
「私はこれからも手首を切り続ける
だから
お願い
あなたはせめて
私に血を与え続けて」
僕は久霧里さんにキスをする
噛み切ってしまった傷から流れる血を彼女の口に入れて
「大丈夫
きっといつか雨は降るから」
と言うと
彼女は一筋涙を流した
その一粒がとても綺麗で
そこには
彼女の辛さはどこにもなかった




