第4章 浅虫海岸にて②
「すまない、寒かっただろう。大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
音環の声掛けに空河は数回深呼吸をすると、左手で口を押えながら、ようやく声を出せた。
「怖かった……カメラ越しに見ると、そこに立っている人間が本当に海に引きずり込まれそうでさ……狂気って感じで……」
うずくまる空河に、あーもうしゃあないな、と音環は言うと自動販売機までかけて行った。戻ってくるなり、暖かいミルクティを差し出した。
「とりあえず暖かくて甘いものを飲め。スタジオに行ってからが本番なんだからさ。運転中、思い出してミスらないようにな」
震える手でペットボトルのキャップを開けると、一口、二口とミルクがかった茶色の液体を流し込んだ。温かさと甘さが、空河の気持ちを落ち着かせていた。いつの間にか手の震えも止まっていた。
「これ以上は無理かな。空河、先に行ってスタジオを思いっきり冷やしておいてくれ。空河はきちんと暖かい格好をするんだぞ。
……あと、大河に最初に伝えていたスタジオの集合時間を一時間ずらして集合、と伝えてくれ。多分、冷えるまで時間がかかるだろうから」
車の中で体を温めてから行くんだぞ、と音環は言った。
音環はそのままコンビニへと歩いて行った。弁当と……暖かい飲み物が欲しい。スタジオに行くのは一時間延びた。門亜に何が食べたいか聞くと、なんでもいい、と返ってきた。まあ、あるものになるだろうが。
音環は、すれ違う人がちらちら自分を見るのに気が付いた。別に、革ジャンを着ているだけの普通の人間だろう。昼間だし、不審者に見られるのは心外だ。そんなにロックが珍しいかよ。音環はつぶやいた。
――音環はコンビニの自動扉の前に立ってはっと気が付いた。俺、シスター服のままだった。しかもシスターのベールまでかぶっていたよ……。
ええい。この際だ。音環は何もなかったように、弁当と飲み物を選んだ。そして、門亜が好きそうなお菓子もカゴに入れた。弁当はレジで温めてもらった。
そして、支払いを済ませ速足で車に戻ると、助手席の門亜に弁当を手渡した。
「うっかり、この格好で買いに行っちゃったよ。このコート暖かいな。この冬、このコートで過ごそうかな」
音環のボヤキに門亜は口を押えて笑った。
時間はほんの少し前。音環は昼ご飯を買いに行く、と言ってコンビニへと向かった。何がいい?と門亜に聞いてきたが、特に食べたいものなんてなかった。
あるもので構わない、と伝えるとじゃあ、ご飯もので、と音環は言った。そして、門亜が止めるのを聞かずにコンビニへと向かってしまった。
……行っちゃったよ。シスター服姿で。まあ、気が付けば帰ってくるだろうけどね。
門亜は音環の背中を見て思った。
エンジンがかかった音環の車の助手席は、暖かかった。シートヒーターが付いているらしく、体がポカポカする。パトカークラウンは高級車で非の打ち所がないけど、この車は人にやさしい。
でもさ。音環はまた、何処かに行ってしまうんでしょう。ボクを置いてさ。宮城の大学に行った時のように。なかなか青森に帰ってこなかった4年間のように。
今はワイワイやっているけど、空河に言ったように『道は勝手に分かれて』行って離れるならさ……何で帰ってきたのさ。門亜は抱えた膝に顔をうずめた。もう、ボクをそっとしておいてよ。高校時代の亡霊を引きずりださないでよ。
涙は出なかった。昔だったら出たかもしれない。置いて行かれた4年間の記憶と今の立場を築くまでの3年間の怒涛の職務経験が涙を出させるのを押しとどめた。いちいち泣いてなんかいられない。
ひとしきり、心の中で毒を吐き終えると門亜は顔を上げた。口を一直線に結んで目線を少し下げた。……これでよし。明日、また仕事が始まる。
その時だった。1台の軽ワゴンが駐車場に入ってきた。
門亜の乗っている車から少し離れたところに停めたその軽ワゴンは、隣に車が停まるとそろそろと動いて別の所に停めた。
――なんか変だ。2回目に動いたとき、丁度、門亜から運転席が見える位置に来た。助手席の男が電話で何か喋っていた。運転席の男は……黄色のトレーナーに緑のジャンパーと言う出で立ちだった。
どこがおかしい。まだ何も起きていないが、門亜の目には目の先の軽ワゴンは鮮烈な違和感としか映らなかった。とりあえず、ナンバーだけ控えておこう……。後で伯父さんにも伝えておこう。もし勤務中なら。そっと後をつけるのに。
残念だな。そう思ったその時、音環が帰ってきた。恥ずかしそうに顔を赤くしている。渡された弁当は温かくむしろ熱いくらいだった。きっと走って帰ってきたか速足で帰ってきたのだろう。
門亜が窓の外を見ると、軽ワゴンは立ち去った後だった。どちらに向かったか、見損ねた!一瞬、焦りがよぎったが、音環の間延びした声が今日が休みであることを告げていた。
「うっかり、この格好で買いに行っちゃったよ。このコート暖かいな。この冬、このコートで過ごそうかな」
心の中で赤信号が灯るような事態と、あまりにも間抜けな日常の同時進行。心の置き場に迷って門亜はとりあえず笑うことにした。
――スタジオ集合の時間が一時間後になったのは助かった。
大河は時計を見ながら思った。あの2人には申し訳ないが、潮風で髪の毛がバリバリになっていたのを洗い流したかった。確かに、MVのビジュに合いそうな天気だった。風さえなければ。
すべっタローは自宅で風呂に入る、と言うので近くまで送った。
家に入る手前の路地で、ここでいい、と言うと車を降りて走っていった。この気温でアイスバーンに近い路面でよく走れる。車内を暖かくしていたからなのだろうが、ケロッとしていたのが気になる。やせがまんか?風邪をひかないといいが。
大河は自宅に戻るとシャワーを浴びた。熱めの湯が心地よい。もう一度髪をスプレーで色付けしないといけないのが残念だ。
車を走らせ郊外に出ると、両脇が除雪でできた雪壁のせいで道が狭く、渋滞していた。車の時計を見ると、まだまだ約束の時間までには間が空いていた。
MV撮影は結構時間がかかるものなんだな。自宅にいるときに空河から来たメッセージを思い出していた。一時間くらい撮ったが、まだまだカズヤが指定した量には届かないという。門亜の休みが不規則だから、重点的に門亜と音環の画像を撮ったよ、と書いてあった。
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今回の章は全体に長めです。
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