第4章 浅虫海岸にて③
チェーンでえぐられたらしい、少しでこぼこした雪道を慎重に走らせて大河はスタジオに到着した。
駐車場には空河の車だけが停まっていた。あの2人はもう少し後に来るのか?まあ、着替えはするだろう。
大河はそのままスタジオに入った。
……さむっ!おい!空河!声を上げようとした時、スタジオのやや隅に設置してあったドラムのセットから空河が顔を出した。
「あ、大河兄ぃ。いい画像が撮れたよ」
そう言うと、空河はドラムセットの奥から出てきた。いや、空河、このエアコン止めろよ……と言おうとして大河はやめた。
ははん。おおよそ、あの2人に怒られてエアコンでスタジオを冷やすように言われたな。そして、さっきのように寒くさせて音環か門亜のシスター風コートを着せる算段に違いない。――そうはいくか!
大河はドラムセットに向かって歩いた。ドラムセットは丁度いい感じにエアコンの吹き出し口から離れていたので、大河はほっとした。これでエアコンの吹き出し口の真下とかだったら、否応なくコートを着ただろう。
「これ。見てよ」
そう言うと、空河はしゃがみこんだ。つられて大河もしゃがみこんだ。ドラムの前が丁度良い風よけだった。
――大河は誰もいない空間にまとわりつくシスター姿の2人に目が釘付けになった。まるで2人の間に人がいるかのようだ。
そして、何なんだ。音環の目線は。誘惑と言うよりは呪詛に近い。門亜の誘惑と音環の呪詛。狙われた船は沈むしかないではないか。
夢中になって映像を見ていると、ふいにマリンノートの香りがした。すそをひるがえしたときに風が立った。顔を上げると、隣にはかがみこんでいる音環がいた。
「俺たちは……すべっタローとカズヤ以外は二重就業は出来なかったよな。と言うことは、この映像は無償奉仕で、応分の負担を誰もが払うということだ」
音環は呪文を唱えるようにつぶやくと、ずい、と覆いかぶさるように大河に体を寄せた。大河の隣にいたはずの空河はおらず……思わず大河は床に手をついた。
音環は右手で掬うように大河の頬を引き寄せた。音環の目はさっき見た映像で見た目線そのままだった。大河は思わず後ずさりしようとしてバランスを崩した。
頭が何か柔らかいものに当たった。――門亜のひざ枕だった。音環は目線を少しずらして空河に映像を撮るように促した。
やられた……大河は罠にはまったことに気が付いたが、ここから逃れるすべが見つからなかった。
「悪かったよ……悪かったって」
音環はさらに顔を寄せてきた。近い。近すぎる。大河の心は極限まで冷えた。
その時だった。
「おそくなってごめん~~。お風呂上りにラーメン食べちゃったよ。インスタントの」
まるで猫が鳴くかのように、にゃあにゃあ言いながらすべっタローが入ってきた。そして、2人のセイレーンに襲われている大河を見て言った。
「あれ?逢瀬ってそんな曲だったっけ?」
首をかしげるすべっタローに表情を戻した音環が言った。
「ああ、そうだ。すべっタロー、申し訳ないがお前のパートは後で撮るからカメラ回してくれないか?それと空河……」
音環は大河から離れて空河に耳打ちをした。笑いを我慢するような変な顔をした。
「大河。そこに座れ」
床を指さし、正座をするように指示をした。そして音環はその前に立った。すべっタローがカメラを回しだしたのを見て音環は片手を軽く上げ、撮影開始の合図をした。
「大河、何で怒られているかわかるな?」
タタタン。
「人が嫌がることはやっちゃいけないって、学校で教えているんだろ?」
タタ、タタタ。
「空河を見ろ。ボクはやらない、と言ったんだぞ」
タタッ、タタタタタン。
大河はうつむいて笑いをこらえていた。ひどい、ひどすぎる。音環の会話の合間にドラムを入れるなんて。しかも、門亜はドラムに合わせてベースを弾いている。これ、笑おうもんだったら、追加で怒られるやつだ。
今度、音環に仕掛けるときは、きちんと退路も用意しておかないとな……大河は叱られながら思った。
深夜。カズヤは音を消した状態で、空河から届いた画像を見ていた。
客が帰った後のジャズバーは、ドアの鍵を閉めてからもまだまだ余韻が残っていた。
ほんの少し眠気もあったが……門亜のシスター姿に目が覚めた。セイレーンのような、ではない。セイレーンがシスター服を着ている。そのものだ。そして。音環との絡み合いに心が乱された。……今の逢瀬では画像が勝ちすぎている!
特に、大河に襲い掛かる音環の様子は鬼気迫るものがあった。そして、母親のようにすべてを包み込むようにひざ枕をする門亜。
さすが”音環et門亜”だ。ボクが離れさせたはずなのに。
世界の中で無色透明な男と世界から色を失った男。ダメだよ。すべっタローは光なのだから。すべっタローがこの世に存在するためには門亜が必要なんだ。――そして音環。やっぱりお前は東京に来るべきだ。
音環の狂気とも言える目線を画面越しに真正面に受けながら、どうやって東京に来させようか……カズヤは思いを巡らせていた。
一緒に音楽をやろう、ともう一度口説くか?3年前に口説いた時、もう少し押せばよかった。
まさか地元に戻るとは思わなかった。普通、東北で一番の国立大学を出たなら、そのまま宮城にいるだろ。東京の大手に勤めるやつだっている。一緒の大学に行っていて、就職先を直前まで知らなかったなんて思いもしなかった。
空河から来た映像が終わると、次にすべっタローから届いた映像ファイルを開いた。
……なんだなんだ?音声がないとわからないぞ。カズヤはボリュームをいつも聞いている大きさに開いた。その瞬間。
『人が嫌がることはやっちゃいけないって、学校で教えているんだろ?』
音環の声が聞こえてきた。続いて、タタ、タタタ、と空河のドラムが聞こえてきた。
『空河を見ろ。ボクはやらない、と言ったんだぞ』
どうも大河が説教を受けているようだ。音環の説教の合間に、タタッ、タタタタタンと、空河のドラムの合いの手が入り、門亜のベースが奏でられる。
なんだよ!これ!!
こらえきれず、カズヤは爆笑した。ひどい……ひどすぎる……。面白いのに……これも逢瀬で使えないよ……。
あーあ。これ、音環が考えたやつだろ……即興で。天才だわ。天才の無駄遣い。音環を懐柔するには一筋縄ではいかないな。
でも。あきらめないからね。カズヤはぽつりとつぶやいた。
お付き合いくださりありがとうございます。
第4章、終了になります。
8/15追記:章番号が半角でしたので第4章①-③、修正しました。




