第8章 新しい音③
仕事が終わった後、急いで家に帰って防音室にこもって何時間もギターを弾く。そんな日を続けていたらあっという間に土曜日が来てしまった。
音環の指は久しぶりに皮がむけて固くなっていた。
これで大河の頬を撫でたら痛いぞ。高校の時に何回かやった嫌がらせを思い出した。
ピックで弾く大河に「これだけ大変なんだぞ」と音環が当てつけにやったのだが、その時の曲もギター奏法の違いをぶつけた曲だった。
何の曲だったかな……。高校の時だとやるのが文化祭くらいだから、翌年には流さない歌もあるんだよな。
聴く側からの不興だったり、メンバーからの不興だったりで葬られる曲。多分、今聞き返すと赤面するんだろうな。
そんなことを考えながら音環は堅くなった指先で自分の頬を撫でてみた。
いてっ。……顧客の手に接触しないようにしなくちゃな。
玄関を出て空を見ると、雪雲になりそうな雲がのろのろと流れていた。天気予報では夕方にかけて崩れると言っていたけど。降るのかな……。月曜日のために、行きがけガソリン入れて行くかな。
ガレージのシャッターを開けたとき、一瞬強く動機がした。
……大人になると、本音を出すのも勇気がいるよね。音環はゆっくりと深く呼吸をした。
――約束の時間より少し早くファミレスに到着すると、駐車場には見慣れた車が停まっていた。大河の軽SUVだった。
……早いな。早足で音環が店内に入ると、大河は窓際の席から手を振った。
「すまない。思ったより早く片付いたから先に入っていたんだ」
大河は言った。何か頼んだ?と音環は大河に聞いたが、まだだ、と答えた。
「俺、今日はハンバーグにしようかな。先週の日曜日、干物残っているのに干物買っちゃって、一週間魚だったし」
音環の言葉に空河が反応した。
「焼き魚いいよね。焼きたてのあの表面の油がはじける音。久しく食べてない」
給食は温かいけど焼きたて、って感じじゃないもんね。と続けた。
「連絡くれれば焼いてやるから、うちに食べにこればいいよ。……まだ親怒ってるの?」
音環は聞いた。
「うーん。かもね。この前こっそりばあちゃんのところでニシンの漬物とご飯食べていたからね」
だから、一週間ずっと生姜焼きだのハンバーグだの肉だけだった。魚食べたいと言ったんだけどね。と空河は続けた。
タブレットでメニューを選ぶと、大河と空河はドリンクバーへ向かった。大河、防波堤だよな……。並んでドリンクを選ぶ2人の後ろ姿をみて音環は思った。
「突然だけど……2人はこの先の音楽活動、どう思ってる?」
ん?と大河は眉を寄せた。音環は曖昧な質問だったことに気が付いた。
「あ、いや、売れたら本格的にやろう、とか売れる売れないにかかわらずこのまま続けよう、とか」
ようやく、質問の意図を飲み込めた大河は、ああ、と言い、続けた。
「本格的に、とかはないな。うちにはジ様とバ様がいるし。家を長期間空けるのだって無理だ」
だから、弘前の大学も4年間通学だったんだぞ、と顔をしかめながら言った。
「僕もないよ。だって、子どもたちかわいいもん。今の仕事ずっと続けたいよね。嫌になることがあってもさ」
空河が答えた。こいつも……ぶれないな。俺だけか。ぶれてるの。
「何かあったのか?」
大河がズバッと聞いてきた。覚悟を決めろ、俺。
「実はさ、カズヤに東京で音楽をやらないかって誘われたんだよ。……あ、いや、やりたいってわけじゃなくて……」
音環はそこまで言うと、慌てて両手を振った。俺がやりたいのはSAKIOTTEまで。慌てる音環の様子を見て、大河は言った。
「馬鹿だな。カズヤ。音環がバンド活動以上のことをしないってのは知らないのか」
はあ。大河はため息をついた。
「断るとカズヤと気まずくなるよな……。それで、何かあったのか?」
ずっ。音環はコーヒーを一口飲んだ。
「うん……本当は音楽をやめようと思ったんだ。俺。だけどこの前のセッションで何だろ。心の底から沸き立つものがあってさ。
それから、気持ちだけが空回りと言うか……このままでいいのかな、いや、人生を音楽に捧げるなんて絶対しないよ。絶対に。
ただ、仕事のこともなんだけど、このまま同じ毎日を送っていいのかなってふと、迷ったんだ」
ははん。何者かになる前のあがきだな。大河は思った。若いうちに何回かやってくる、何者かになる前の悩み。出来るやつだからな。音環は。
「それで……答えは出たのか?」
音環は軽く横に首を振った。
「いや。大河と話をすれば、何か見えるかなって思ったんだ。ぶれないだろ。大河」
音環の言葉に大河の口元が少し緩んだ。そういう風に思っていたんだ。頑固だとはよく言われたが。
「じゃあ……音環、あがけ」
「あん?」
音環は不思議そうな顔をした。
「今のままあがけ。じゃないと、何を選んでも自分で腹落ちをしない限り、答えを求めて、さまようことになる」
そう言うと大河はハーブティを飲んだ。音環が意外そうな目をしているのに気が付いた。
……結構頭が痛いんだぞ。薬ばっかり飲んでいるわけにいかないだろうが。
その時、ネコの給仕ロボットがやってきた。背面の棚の上には3つ料理が乗っていた。
「そうだな。ありがとう。あがいてみるよ。……とりあえずはあの狂った譜面からだな」
料理を取りだしながら音環が言うと、大河はにっと笑った。
――大河っていい奴だよな。音環は食後のコーヒーを飲みながら大河を観察した。
店員が食器を下げに来た。テーブルの上が片付くと、大河はさっと、テーブルの上のウェスで軽くふいた。こういう所、大人だよな。
お付き合いくださりありがとうございます。
次回でこの章は終わります。




