第7章 欺瞞③
「とわ~」
音環が仕事を終えて駐車場に向かうと、まるで猫がふにゃあ、と鳴くようにすべっタローの声が聞こえた。一つの外灯しかない暗がりの中で、音環は声のする方向を探した。
「こっち~」
よく見ると、音環の車の助手席側にいた。
「ご飯一緒に食べようと思って。乗せて~」
音環は、仕方ないなぁ、と苦笑した。リモコンキーで開錠すると車は?と聞いた。
「軽トラ、車検でないんだ。もう一つのは母ちゃん乗って出かけちゃって、今日は駅前までバスで来たんだ」
待つのちょっと寒かった、とすべっタローは慌てて乗り込んだ。
音環が、車、温まるまで時間かかるよ、と言いながら隣を見ると、すべっタローは寒い、寒い、と言いながら膝を抱えていた。
「いつから待っていたんだよ」
と、音環は聞いたがすべっタローはスマホをいじったまま答えなかった。
ふぅ。何を食べるかな、とひとまず、車を市街地に向けた。ところが、すべっタローはスマホの画面にくぎ付けになると
「カレー食べたい!」
とチェーン店のカレー屋を音環に見せようとした。
「運転中に危ないから……病院の近くのカレー屋だろ?行く?」
すべっタローは「やった!」と喜ぶ声を上げた。
逆方向だし、家から少し外れるな……。音環は思った。今日も少し片づけたいんだけど。まあ、いいか。
音環は交差点を大通り方向に向けると、そのまま走り出した。まあ、カレーは久しぶりかな……。
隣ではすべっタローがスマホでメニューを見ながら、トッピングを何にしようか、とつぶやきながら考えていた。
「ハヤシライスにしようかな……」
音環は一瞬噴き出しそうになった。
カレーと騒ぎながらハヤシライスかよ!いや、いいけどさ。なんなら、オレの行きつけの洋食屋でもハヤシライスあるよ!むしろ、教えたいよ!
「俺はシーフードにするかな。」
音環がそう言うとすべっタローも、俺もそうしよう!と言い出した。……不思議なやつ。
――ちょうど車の中が暖まり出したころ、カレー屋に到着した。店内に入ると、幸い、すぐに席に案内された。
さっきまで俺に合わせてシーフードにしようと言っていたのに……。
タブレットのメニュー表を見てすべっタローは迷いだした。シーフードも食べたいし、ハンバーグも食べたい、でもカツも捨てがたい……。
音環はそんなすべっタローを見て、可愛らしく思った。いつもならイラっとしてつい、小言を言ってしまうが……。
「ベースを決めて、トッピングしたらどう?」
それいいな!すべっタローはさっそく選び出した。……待てよ。シーフードにハンバーグとカツか。見るだけ胃もたれしそうだ。
幸い、すべっタローはトッピングはハンバーグだけにした。これにカツを乗せたら胃もたれする、とまともなことを言った。
でも、フライドポテトはつけていい?と聞くので、音環はうなずいた。
結局食べるんじゃん。こいつの胃はどうなってるんだ。
注文が終わると、すべっタローは音環の目をじっと見た。そして
「今週の練習も来るよね?」
と聞いた。音環は一瞬、答えに詰まった。
本当だったら、前日に、用が出来たと休む予定だった。すべっタローは変なところで鋭い。
「ああ。何で?」
音環は平静を装って答えた。すると、すべっタローは音環の問いに答えず
「やった!」
とニコニコした。
すべっタローにだけはかなわないな……。音環は目の前でニコニコするすべっタローを見つめると、ふと、出会った時のことを思い出した。
確か、カズヤが学校に来ていない時期に、門亜に「プリントを届けるからついてきてくれ」と言ってクラスにやってきたのが始まりだったな……。
まるで猫がすっと人の間に入り込んでまとわりつくように、いつの間にかそうするしかないという状況にしていたな。相変わらずだ。
音環は、グラスに水を灌ぐとすべっタローに渡した。そして、自分のグラスにも注ぐと喉の渇きを潤すように水を飲み干した。
カレーはすぐに運ばれてきた。やった!とすべっタローは喜ぶと、すぐにカレーとご飯を掬って口に運んだ。音環はその様子を見て、自分もご飯とカレーを一緒に掬うと口に運んだ。
店内の照明がまぶしかったが、音環にはちょうど良く感じた。
何でもよく見える。今日は……見えないものなどあって欲しくない。出来れば見えないものに心を寄せたくない。
そんなことを考えて食べていたせいか、すべっタローが食べ終えた時には音環はまだ半分しか食べ終えてなかった。
「今週末、2026デジタルとの邂逅の合わせだって。俺、あの曲好きなんだよね」
突然、すべっタローはポテトをつまみながら言った。
「音環のギターがさ、クリエイターの心の深淵みたいで好き」
何言っているんだ。あれはすべっタローの歌に合わせたんだ。ふと、音環はすべっタローに聞いてみたくなった。
コミカルな曲のはずなのに、どうして恨んでいるかのような歌になるんだ?ただ愛している、だけじゃいけないのか?
「なあ、その曲だが……もともとコミカルな曲だったろ?それが何でまるで振られたかのように愛している、と歌うんだ?」
音環は、カレーを口に運ぶ手を止めた。すべっタローの目が……じっと音環を見ていた。
「音環は……あったことのない人に愛している、って言えるか?」
「いや……」
音環は慌ててカレーを口に入れた。真剣に聞きたいが……捕まったら深みにはまりそうだ。
「俺も無理だ。愛しているって言うなら、すべてを取り込みたい。画面の向こうの見えないクリエイターの、心の深淵に触れたい。自分のものにしたい。
それが出来ないから……そんな歌になったんだ」
と言うより、俺に愛だのなんだのって無理だよねー。と、すべっタローはいつもの顔に戻って言った。
「だからさ、絶対来てよね。何か見えるような気がするんだ。音環のギターとだと」
ああ、分かったよ。音環はそう言うと、冷めたカレーを掻き込んだ。
読んでくださりありがとうございます。
欺瞞の章、これで終わりです。




