第7章 欺瞞②
音環が慌てて階段を駆け下りると、窓口で70代くらいの女性が「定期を解約するんだ」と騒いでいた。そして、窓口の職員は困ったような顔をしていた。
何だかおかしいぞ。音環は違和感を探し始めた。
呼びに来た窓口の職員が言った。
「何を言っているのか半分しか分からないし、こっちが言うことは伝わらないし…それに、なんか様子がおかしいんです」
確かに、早口で津軽弁でまくしたてているから、何を言っているのか俺も聞き取れない。せめて少しゆっくりとしゃべってくれたらな……。
「お母さん、分かったから、こっちで話を聞かせて」
音環はカウンターの奥の、応接スペースに女性を案内した。女性はただただ「早く解約して」と言うだけだったので
「書いてもらわなくちゃいけない伝票もあるし、金額を間違えたらいけないから、ね」
音環が女性に合わせて津軽弁混じりに優しく言うと、女性はやっと応接スペースへと移動した。
「解約は分かったから、どうしてか教えて?」
音環は尋ねた。普段なら解約の理由なんて尋ねない。聞かれた方も、答えづらいこともあるだろうし、新しい商品を勧められたりするんじゃないかと構えてしまう。
「息子が…息子が…」
東京で息子が事故を起こした。
車のほかに、今日売る予定だった精密機械も壊れてしまった。すぐに作り直さないといけないが、お金がなく、保険が下りるまで待たないといけない。
そうすると、納期遅延となってしまって、作っても売れないから会社がつぶれてしまう。
たくさんの社員が困ることになる。責任はとれるのか。今なら、精密機械を作るお金だけで示談に応じる。と警察から連絡が来たそうだ。
「息子さんとはしゃべったの?」
これはきっと……いや、間違いなくオレオレ詐欺だ。音環は確信した。
「声はかすれていたけど確かに息子だったよ」
「ちょっとおかしな津軽弁でしゃべっているとかってなかった?」
音環が質問すると、突然、女性は激高した。
「そう言って邪魔をするんだろ!解約してって言っているのに!」
分かった、分かったから……音環は女性をなだめた。
「今、解約の手続きをしているんです。金額が大きくて時間がかかっているんです。ごめんなさいね」
そう言うと、通帳の契約者の名前をちらと見た。恐らく、勇樹さんのお母さんだろう。確か、県庁に勤めていたな。
音環はさっとメモに「勇樹さんに連絡を取ってほしい。多分オレオレに引っかかっている」と書くと、近くにいた職員を呼んで、勇樹さんの同級生である男性職員に手渡してほしい、と言った。
女性は、音環が別の職員と話しているのを見て、手続きを進めていると見えたのか少し落ち着いたらしい。それでも、カバンの取っ手を固く握りしめたまま、テーブルの一点を見つめていた。
その姿は、早くしろ、早くしろ、と言っているようだった。
音環は話しかけるのをためらった。下手に話しかけて興奮させてもいけない。早く電話は来ないものか……。
解約をしている振りをするにも限界がある。別の支店に行かれたら、あるいは犯人が別の指示をしてATMから出させたら。アウトだ。
しばらくすると、女性の電話が鳴った。音環は画面をちらと見た。画面には「勇樹」の名前が表示されていた。
……助かった!音環がそう思った時だった。
「お母さん、今どこにいるの?今から迎えに行くから、ちょっとそこで待ってて」
女性の顔が曇った。そしてその表情は徐々に困惑へと変わって行った。慌てて音環は言った。
「ね、お母さん、勇樹さんが来てくれるみたいだから、ちょっと待ってて、ね」
優しくなだめるように声をかけた。すると
「みんな、私をだましてるんだ。勇樹を困らせようとしているんだ。別の支店に行く!」
そういい、目の前の通帳と印鑑を握りしめた。立ち上がって応接スペースを出ると、ずんずん出口へと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って!お母さん!」
音環は慌てて追いかけた。
万事休す。ここで女性を店舗から出してしまったらもう守れない……!
その時だった。
「母ちゃん?!」
大柄な男性が自動扉から出る寸前の女性と鉢合わせた。女性は男性の顔を見るなり立ち止まった。
「なにやってんの。ここで。銀行から電話があってびっくりしたよ」
「勇樹……東京にいったんじゃ……」
女性の目が泳いだ。今まで自分の身の回りを覆っていた世界が取り払われたかのようだった。女性の目は、新たな居場所を探しているかのようだった。
「いや、出張なんてそうそうないよ。今日は仕事があるから旅行なんてできないし。さ、さ、とりあえず家に帰ろう。真由美もあとで子どもら連れてくるから、今日は一緒にご飯を食べよう。」
段々と、状況がわかってくるかのようだった。
「これは、僕が預かっておくから」
大柄な男性――勇樹は女性が持っていたスマホをそっと受け取ると、ポケットに入れた。
ほっとしたのか、混乱したのか。女性は大きな声で泣き出した。勇樹は女性の肩をそっと抱きしめた。そして店内に向けて大きくお辞儀をした。
「連絡くれて、ありがとうございました。あとはこっちでやりますので…」
そう言って停めておいたタクシーに乗り去って行った。
「危なかったよな。」
静まり返っていた銀行の窓口に、いつもの空気がやってきた。机と厚紙が当たる音。機会がお札を数える音。そして時折、窓口の職員が後方の職員に何かを頼む声。
客はスマホを眺めていて静かだった。それでも、その静けさにはぬくもりがあった。
バックヤードに戻った音環に、後ろから、独り言のように課長は言った。
「ああも興奮されると、言葉が通じなくてな……。言っている意味も分からないし、助かったよ。音環。ありがとう」
くすぐったくなり、いえ…と言った。そして、ふと、気になったことを音環は続けた。
「オレオレ……今月で2回目ですよね。確か、別の銀行では預金者が引き出したあと取りに来た運送屋に持って行かれたんでしたっけ」
運送屋、と言うか運送屋風の、と言うか。音環は一昨日門亜に送ったデータに乗っていた軽ワゴンを思い出した。
そう言えば、カズヤと一緒に撮った写真では、助手席の男の服装が、派手な黄色だったな。その上にわざとらしく緑色のジャンパーを着ていた。
一見、引っ越しか個人の運送に見えたが……門亜はきっと、他にも違和感を感じていたのだろう。音環はすぐにでも自分のスマホを確認したくなった。今は就業時間だから……出せない。
「その銀行では、止められなかったのか、と上に注意を受けたみたいだ。うちも、今日は家族が来てくれたからよかったが、これが独り身の年寄りだったら……」
課長はそこで一度言葉を切った。
「どんな結果になっていたか……。」
人の弱さにつけ込む。それがとても腹立たしい。そして情報を持っているだけで、他の人を救うことが出来ない自分にも腹が立った。
「目の前の出来事を押さえるだけさ。さあ、仕事に戻ろう。」
ぽん、と音環の肩をたたき、課長は自分の席に戻っていった。
今回は2800字とちょっと長めです。
お付き合いをくださり嬉しいです。




