第7章 欺瞞①
1台だけで済んで助かった。
音環はATMをメンテナンスする技術者の後ろ姿にほっと安堵した。
正月明け、1台のATMの動きがおかしかった。出金するときのお札が詰まる。中にあるお札は、濡れているとかの問題はなかった。とすると機械の異常となる。そして、もう1台のATMも同じように動きが怪しくなった。
これで止まったら、金融庁が来る案件になりかねない。年明け出金が出来ないなんて……ましてや、窓口は仕事始めで混雑している。そんな中窓口で出金対応なんて、パンクする。
交代してATMの横に張り付いて、詰まったらすぐに対応が出来るようにした。
幸い、営業時間中は機械が止まることなく済んだ。翌日、メンテナンス会社の技術者を呼んだが、1台は簡単な部品で不調が解消した。もう1台は部品の手配と技術者の都合が合わず、2月までかかってしまった。
不調が、1台だけで済んで本当によかった。そしてその不調も、これでひと段落する。
「すみません。こんな時期にメンテナンスに来てもらって」
メンテナンスを終わらせた技術者に音環がお茶出しをしていると、
「いや、東京にいるとなかなかこんなに雪は見られないですからね」
と返事が返ってきた。かえって気を使っていただいてすみません。と技術者は言うと、音環が出したお茶に口を付けた。
「今年は、こちらは雪が多いんですか?除雪されていないところもあったようにお見受けしましたが……」
技術者は聞いてきた。
「いえ、降雪量は変わらないんですが、降り始める時期がいつもの年より遅かったので、ドカ雪になってしまったんです」
運転も大変だったでしょう。と続けた。
「実は、駐車場に入りそびれて、少し先の路地で回り込んで戻ろうとしたんです。そうしたら、全然圧雪もされていなくて、まるで車で泳ぐかのようだったので……」
音環は銀行の裏手の路地を思い浮かべた。今年は短期間に同じだけの量の雪が降ったから、幹線道路を優先にして路地の除雪は手薄になった。……車で泳ぐ、とは面白い表現だな。
「でも当たり前でしょうが、こちらはスタッドレスを皆さんはいていらっしゃるから逆の意味で安全ですよね。
東京は、履いている車が少ないから、雪が降ると、こちらが気を付けていても横から滑った車がやってくるんですよ」
えっ!冬にスタッドレスを履かないなんてあるのか?驚く顔をする音環に技術者は続けた。
「コストの問題もあるのでしょうが、交換などにかける時間もあるのでしょうね。何でもタイパ、タイパと言われますからね」
なんだか……せわしないな。音環の脳裏には、昨日会ったばかりのカズヤの顔が浮かんできた。同じ表情をしている目の前の技術者は、温かいお茶を一気に飲み干した。
「お茶をごちそうさまでした。次の予定を確認させていただきますね」
そう言うと、技術者はタブレットのカレンダーを開いた。
「本部から共有されていると思いますが、このエリアの次の法定メンテナンス、5月の大型連休中で間違いないですか?」
音環は支給されたスマホのカレンダーアプリを開いた。社内の予定と連動しているアプリの5月3日の枠には「法定点検」と書かれていた。
「はい、カレンダー通り、連休初日の5月3日の深夜から入る予定になっています」
「承知しました。それでは、その時に全体の精密検査の枠を押さえておきます。今回の交換で不具合は解消されています。後はそれ以外ですね」
音環はほっとした。これで当分は安心できる。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
――ようやく終わった。音環は自動扉から出ていく技術者を見送った。
技術者は先ほどまで自分が面倒を見ていたATMがきちんと動いているか確認するかのように、すれ違いざまちら、と振り向いた。そして、異常を感じさせる音がないことを確認すると、そのまま出て行った。
驚いたな。雪が降ると大変なのはどこも同じなのか。
とはいえ、なんともしっくりこないな……。応接室の湯飲み茶わんを片付けながら、音環はふと考えた。すべっタローにこの話をしたら何というだろうか。わざわざ東京に行って滑る車や人を確認しに行きそうだ。
――そして、あなた(青森のドカ雪)が恋しいのです、と歌うのだろう。そんなことを考えていたらつい、口の端が緩んだ。
俺たちのデビュー曲……と言っても、高校時代の文化祭で初めて人前で歌った曲だが……「春になったら会いましょう」雪の中での別れ、涙が流れているわけではないのににじむ視界、春に会えるかわからない10代の出会いと別れの一こまを歌っているが……。
――明日からは眼鏡だね。の一言が表すようにコンタクトを落とした歌だ。雪の中でコンタクトを落とすなんて、見つかるわけがない。
『雪の中でふいに君が離れた/今まであったぬくもりが遠ざかっていくよ……
涙が出たわけじゃないのに視界がぼやけてしまう/探しても……見つけられない/失ってしまった、そういうことだね。
春になったら会いましょう/そう君は言って去った/僕は明日から……眼鏡だね』
つい、歌が音環の口をついて出た。
……カズヤは俺を天才と言ったが、あいつこそ天才だ。天才、という言葉が陳腐に感じるほど。言うなれば、天才が故の透明さ、存在と非存在のあいまいさ。ふわふわとしていて、それでも俺たちという存在から離れない実在した存在。
オレには作れないな。
ふぅ、と音環は天井を仰ぎ見た。そして、SAKIOTTEに思いをはせている自分に気が付いた。俺も未練がましいな。
その時だった。応接室のドアをせわしくノックする音が響いた。そして、返事を待たずにカチャリ、と扉があく音がした。
「音環さん、ちょっと」
窓口の職員が慌てて音環を呼びに来た。
お付き合いくださりありがとうございます。
つい、ちょっと気になって、閲覧数を見てしまいました。
昨日上げたばかりなのに、見てくださる方がいらしてとても嬉しいです。
ありがとうございます。
この章も3つに分けています。
1つの章が長いので、一つ一つのエピソードが長くなり申し訳ありません
ゆっくりお付き合いいただければ嬉しいです。




