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吾作は木の枝へ腹ばいになり、息を殺して狩りのタイミングを計っていた。手に割り箸を削り、穂先を火で炙って強化させた槍を握っていた。眼下には、吾作の四倍もあろう蛇がくねりながら移動している。
苦労してつくった弓矢が思うように機能しないことによって、急遽こしらえたのがこの槍だ。弓と違って接近しなくてはならないため危険は伴うが、そのぶん破壊力は増す。蜥蜴を食べきってからは草ばかり食べてきたので生きる気力も萎えはじめていた。ここらで肉を取り込まないと活力が失われる。
真下に蛇の頭がきたら、槍に全体重をかけて飛び降りる。そうすれば投げるよりはるかに致命傷を与えられる。もし失敗すれば蛇に飲み込まれてしまうが、そのときは、ガラスナイフで腹を切っさばいてでも逃れてみせる。迷いはなかった。
蛇が舌をちろちろ出しながら真下にやってきた。吾作は身体を起こし、握る槍の力を込めた。膝をまげて反動をつけると真上に跳躍して飛び降りた。
槍は蛇の頭部に突き刺さった。が、それで即死に至るはずもなく、蛇は狂ったように地面をのたうちまわる。吾作は左手で槍を押さえ、右手でガラスナイフを何度も突き刺した。
やがて暴れまわる蛇の動きが弱まった。それでも吾作はガラスナイフの手を緩めなかった。生きるためとはいえ、放浪を続けるうちに心が荒んでしまっていたのかもしれない。
空腹を満たすと喉が渇いた。葉に溜まる朝露を飲んで渇きを癒していたが、日中は蒸発して喉を潤すことができなかった。かといって汚い川の水を飲むわけにはいかない。
「仕方ない。爺さんの小屋へ行ってわけてもらうか」
吾作は蛇を引きずり土手を歩いた。小屋の近くまでくると、人の足音が聞こえ慌てて身を隠した。見覚えのある男が立っていた。向こうも気づいたのか、吾作の隠れた場所をじっと見つめている。
「まずいぞ。見られたかもしれない」
吾作は蛇を肩から降ろし弓矢を取りだした。草の隙間から男を凝視した。
髪は短かめで金色に染め上げている。両耳にも同じ色のピアス。にもまして醜悪なのは狂犬のような殺気だ。吾作はぴーんときた。
「あいつだ!」
眠らない街で絡まれた記憶が、まざまざと脳裏に蘇る。
あのときも今も、表情は怒りに歪んでいる。ナオミは院長の息子で一平だというが、この一平には、それだけではすまない暗い過去がある。そうでなければこんなにも病んだ眼をしていない。
それはそうとして、なぜ常次の小屋の近くにいるのだ。たまたま迷い込んだのか。有りえなかった。なら、一平と常次には何らかのつながりがある。そう確信したとき、いちだんと目を険しくさせて一平が距離をつめてきた。
いくら武器を携えていても一平から見れば子供の玩具でしかない。勝ち目などあろうはずもないのだ。吾作は弓矢をケースに収め、蛇をその場に置くと、川の淵までずるずる後退した。すると男は足で枯れ草を払い、手当たり次第に踏みつぶしてきた。
(――川の中へ入らなければ、見つかる)
前方に狂犬、後方には真冬の冷たい川。だが執念深い一平なら、たとえ川の中へ身をひそめても浮き上がるまで待つかもしれない。仮に反対岸へ泳ごうとしても人間の距離で四十メートル以上、小人の吾作なら六百メートルだ。流れもそこそこ速いし、渡りきる前に熱を奪われ力つきてしまうだろう。どちらを選択しても待ち受けるのは死だ。吾作は為すすべもなく震えた。
一平が蛇の死骸を見つけた。指でつまんで首を傾げた後、何を思ったか、吾作のいる場所目がけて蛇を投げすてた。蛇は身を伏せていた吾作の頭をかすめて川の中へ沈んだ。一平はかすかな草の揺らぎも見逃すまいと、殺気立てて気配を探っている。
「ほんとうに来るとは思わなかった」
万事休すと思ったとき、聞き覚えのある声がした。その瞬間、辺りを支配していた殺気が消える。
吾作は頭をもたげ、誰なのか確認する。常次だった。
「何をやっていたのかな」
「何でもねえ。ただ奇妙な生きものが見えた気がしたから、とっ捕まえてやろうとしただけだ」
「奇妙な生きもの? この辺りには蜥蜴も蛇も、アライグマもいる。おそらく、それらと見間違えたのかもしれんよ」
一平が見たという奇妙な生きものを、常次は瞬時に吾作だと判断したのだろう。話し終えると踵を返し、意図的に吾作から距離をとった。
「そうじゃねえ。あれは人間、いや小人だ。奴は蛇を喰って生きてやがる」
「生きものは霞みを食べて生きてはいけない。ここらで蛇が喰われるのは珍しいことではない」
と常次は、すたすた一人で歩いていく。取り残された一平が腹立たし気に跡を追いかける。
「何を訳のわからないことを言ってやがるんだ。それより何だ。俺を呼びだした理由はよ」
「そうそう。昨夜、借りた金を返しに行ったが、いなかった。それでメモを書き残したのだよ」
「金? てめえが工面できたのか。こいつは驚きだ。小人を発見する以上のビッグニュースだぜ。で、どうやってつくった。盗みに入ったのか。それとも、あの淫乱親父にまた障害者を提供したか」
「まともに働いたよ。最低賃金でも、週に五日働けば月十五万円になる。それで二ヶ月分、三十万円を貯めた」
「どんな仕事だ」
「屠殺場の清掃だよ」
常次が小屋に入る。一平は入らずにとまり手を出した。
「ふん、てめえにお似合いの仕事だぜ。なら、さっさとよこせ」
吾作は二人の関係が気になり、先ほどまでの恐怖心を忘れ小屋へ入り込んだ。ビニール袋に詰まれたアルミ缶の陰に隠れ、二人の会話に聞き耳を立てた。
常次が一平に何やら渡した。銀行の封筒からして、たぶんお金だろう。ということは何がしかの負い目が常次にはあるに違いない。
一平がにやりと口を歪めて、革ジャンパーの内ポケットに突っ込んだ。
「てめえに言っておくが、近いうちに俺は本懐を遂げるぞ」
「それはどういう意味かな」
常次の顔から血の気がひいた。どうやら、その言葉の意味を知っているようだ。
「母親の供養だよ。あのアマ、障害者のくせしてバイオリンなんか弾いていやがった。しかも黒山の人だかりだ。ふざけんじゃねえぞ。俺の母親はバイオリンなんて見たことも触ったこともないのにだ。ぶっ殺してやることにした」
「それでは供養にならないと思うが。逆に罰が当たるかもしれんぞ」
「かまわねえよ罰が当たっても。言っとくが、てめえにもその責任があるんだからな。絶対に邪魔すんじゃねえぞ」




