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キズナ  作者: 鮎川りょう
17/32

5

 ナオミは一人でも十分やっていける。吾作は満足だった。

 半年占いをやって、すでにバイオリンを買い戻してもおつりがくるほどの資金ができ、当初の目的を達成させたのだ。残ったところでこの先役立ちそうもない。しがらみを断ちきるにはいい頃合いだ。

  

 客がナオミに背を向けた直後に、吾作は髪の間から滑りおり、そのまま床を走った。ナオミの動揺する気配が伝わってきたが、客の前では声を出すわけにもいかないだろう。吾作は客が扉を開けたタイミングを見計らって飛びだした。

 人がたくさんいた。見つかれば大騒ぎになる。しかしそれでナオミに結びつき、迷惑をかけるわけではない。吾作は人の足の間を縫うようにして通路を駆け抜けた。

  

 建物を抜けると目の前に雑踏が迫ってきた。老若男女、多種多様の人間が舗道を埋めつくすよう歩いている。しばらく物陰に身を寄せて様子を見ていたが、人の流れはとぎれそうにない。次から次へと押し寄せてくる。

 なら強行突破だ。たとえ見つかったとしても、えっ、と驚くだけで危害を加えたり、逃げだしたりしないはずだ。吾作はひらきなおって全力で走った。

  

 その後も夢中で走った。そうして息を切らせながら一心不乱で走っていくうち、ふっと不思議な感覚に陥った。人間界の情報を得るために読んだ西遊記の孫悟空と同じように、手のひらの中でもてあそばれているような気にさせられたからだ。

  

 というのも、かなりの距離を走ったにもかかわらず、実際はいくらも進んでいない気がするのだ。遠くに見えた背の高いビルは相変わらず遠くにあるし、景観も何も変わっていない。蟻よりは確実に速かったかもしれないが、猫の額ほどのエリアを移動しただけにすぎないだろう。

 もしかしたら、このだだっ広い都会を自力で移動するには無理があるのかもしれない。このまま走っていれば脱出どころか、いずれ人に捕縛されてしまう確率の方が高い。

  

 吾作は、速度を少し緩めてビルの隙間を見つけると、すばやく入り込んだ。辺りを窺い、人がいないのを確認してキセルを取りだした。

「まずは落ち着くことだ。それからどこへ行くか決めよう」

  

 しゃがみ込むと、火をつけ煙を吸った。

「夜まで待てば人が少なくなる。そのときこそがチャンスだ」

 吾作は長期戦を覚悟し煙を吐きだした。灰色を帯びた煙がふわっと上空へ流れる。目を追うと、上空の電線にとまる鳩が見えた。

「そうか、その手があった」

  

 立ち上がり、鳩を観察した。体長は吾作のおよそ三倍、タカの変身する鴉より多少小さいていどの大きさだ。これなら吾作が乗っても飛行に問題はない。手始めに、小さな音で口笛を吹いてみた。興味を惹かれて降りてくればしめたもの。飛び乗るのみだ。

 だが鳩は、まったく興味を示さない。グルグルゥとくぐもった鳴き声を上げて、逆に、今にも飛び立とうという素振りさえ見せる。

  

 仕方ない。吾作は布袋からクッキーを取りだした。万一に備えてこっそり拝借した非常食だった。大きさは人間なら一口サイズだが、吾作にしてみれば顔ほどもある貴重品だ。

 これ見よがしに両手で持って、鳩の目を意識しながら膝で割った。

 これには鳩も喰いついた。急に前かがみの姿勢をとると、羽をふくらませて舞い降りてきた。すかさず吾作はクッキーを路上に撒いた。

  

 鳩が首を前後に揺らせて近づいてくる。そうとう人に慣れているのだろう。まったく警戒しようとしない。

「よし」

 吾作は鳩がクッキーをついばむ隙を見て、膝を最大限に折りまげた。鳩の背中を目がけて跳躍した。

 とたんに鳩が暴れる。飛び乗った吾作を振り落とそうとする。しかし吾作は鳩の首に腕を回して離さない。さらに羽の内側に足を固定して踏ん張った。それでも鳩は羽をばたばたさせて何度ももがく。

  

 数秒後、ついに鳩はあきらめたのだろう。もしくは空中で振り落とそうと目論んだのか、吾作を乗せたまま飛び立った。速度を上げたり弱めたり、思いつく限りの飛行を試しては北方向へ飛んでいく。

 鳩の飛行が落ち着いた。あまりしつこく暴れるので、よっぽど小突こうと思ったが、我慢して逆に首すじを優しくなでた。すると吾作に敵意がないと感じとったのだろう。急に暴れるのをやめたのだ。

  

 鳩の後頭部を、西へ傾いた日が赤く照らす。高いビルが少なくなって緑が多くなった。やがて眼下にやたら細長い池が見えると、吾作は鳩の首を軽く押して池に目線を合わせた。

 グルルゥ、鳩が吾作の意図に気づいたのか降下しだした。

 閑静な住宅街に溢れる緑の樹木。人も都心と比べるとかなり少ない。吾作は気に入った。ここならしばらく暮らしても安全そうだ。鳩をねぎらい飛び降りた。

  


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