願い
恥ずかしさのあまり飛び込んだ更衣室の中で、アイリスは1人頭を抱えてうずくまっていた。
先ほどクレムに言われた事や、表情が脳裏を離れない。
「我が国を傾けてしまうかもしれませんね。
美しいです。とても。」
「美しいアイリス嬢を手離せなくなってしまう。」
「うぅーん!」
なんとか思考を振り払おうとし、首を振ってみたり身体を動かしてみるが全て無意味な行動に過ぎなかった。
その時ノック音が鳴り響き、入ってきたのはperleのオーナーであるトロメリア伯爵夫人だった。
アイリスの惨状を見るや否や「あらあらまぁまぁ」と言った様子で楽しそうに、クスクスと笑う。
「ご令嬢がパニックになるのもわかりますわ。
どうせ殿下は、ご令嬢に対して愛を請う事もしていなかったのでしょう?驚くのも仕方ありません!」
とアイリスの背をさすってくれる。
(あ、愛を請うーーー!?)
もはや使い物にならないと思っていた思考が、めまぐるしくぐるぐると動き出す。
「さぁさアイリス様。時間がありませんわ!
次のドレスにお着替えを。」「入ってちょうだい!」
トロメリア夫人がパンパンと手を鳴らすと、次々と弟子たちが入室しアイリスはもみくちゃにされるのであった。解放されたのは数時間後で、既に魂の抜け切ったアイリスだがこの後は馬車に揺られることになる。
クレムのエスコートで馬車に乗り込んだアイリスは、窓から外を眺め思案していた。
着せられたドレスは簡素なもので、ヘアセットも三つ編みというカジュアルなもの。
行先は恐らく思い出の場所であるエーデル領地。
ゴホン!と咳払いが聞こえ我に帰ると、アイリスの隣で気まずそうに座っているクレムが目に入る。
思わず「あ、そういえば一緒だったんだ」と声が出そうになるのをグッと堪える。
「私も一緒ですよ。お忘れですか?」と尋ねられるとは困った。図星でぐうの音もでず、しらーっと目を逸らす事しかできない。
するとクレムの手が、アイリスの手に重ねられる。
驚きのあまりパッと視線を戻すと、すぐに交差した。
「な、なぜ殿下は私のことを気にして下さるんですか?私の死の影が濃いからですか?」と慌てて頰を赤くさせながら、視線を重ねられた手に移す。
「なぜ、でしょうね。ただ貴女の事は放っておけないのです。雪のように・・・。この手からこぼれ落ちてしまう、そんな気がするんです。そして、こぼれ落ちた雪は溶けて2度と戻らない。」
静かに、呟くように言うクレムはどこか寂し気だった。
(雪のように・・・。まるでスノードロップだわ。)
「・・・私はそうなりたいと望んでいます。
雪のように、スノードロップがするように跡を残さず消えてしまえるなら本望。
私の価値はそんなものです。
ただ、目的を果たす迄は生を紡ぐ必要があるだけです。」
「貴女にとって目的とは、エーデル公爵に関係のある出来事ではないですか?」
時が止まったような気さえした。
静まり返った馬車の中で独り言のように、静かにアイリスは呟いた。
「・・・なぜ、そう思われたのですか?」
クレムは意を決したように話を始める。
「元々はエーデル公爵に教えを受けていたと、以前説明しましたね?
私はその時から、貴女の話を度々公爵から聞いていたのです。」
「殿下と同じ年頃の、小さな可愛い孫がいるのです。
いやはや孫は目に入れても痛くないと言いますが、
どうやら本当のことだったようです。
こんな爺のために、やれ誕生日のお祝いだ、日々の感謝の気持ちだと手紙や贈り物をして貰えるのです。
それも、アイリス自ら作った菓子や繕い物なのです。
私は孫のことをもっと見ている為にも、頑張って長生きせねばなりませんなぁ。」
「お祖父ちゃんが、そんな事を殿下に...!」
驚くと共に嬉しくて涙がぽろぽろと頰を伝う。
アイリスが頑張っていたことが、フォンテーヌにしっかりと伝わっていた事が何より感動した。
「いつも公爵は言っていました。」
「いつか、孫娘の華やかな結婚式をこの目で見たいのです。晴れやかな笑顔であの荒んでいる家から旅立ってほしい。
・・・本当なら今すぐにでも連れ帰りたい。
だが今やピオニー王国王太子婚約者。
もうすぐ公人となってしまう孫娘を、こちらへ連れ帰ることなどできない。国際問題になりかねない。
ですがピオニー王国の王太子は素行が悪く、
各国からの評判も低い。
そんな輩に私の大切な孫娘を、簡単に渡すわけにはいきません。
ナスタチウムの好きにはさせない。
あの子は操り人形ではない。
たった1人の、可愛い女の子なのですから。」
「お祖父ちゃん、お祖父ちゃん・・・!」
涙がとめどなく溢れる顔を手で拭う。
(アイリスのことを、私のことをちゃんと1人の人間として扱ってくれているのはお祖父ちゃんだけ。)
眼前にスッと差し出されたのはホワイトのハンカチ。
「そんなに擦ってしまったら目が腫れてしまいます。
こちらをお使いください。」
クレムがニコッと微笑むとアイリスが受け取る事を、躊躇っている事を分かった上で優しく頰に流れる涙を拭いてくれる。
(このまま、
この方の好意を受け取ってしまっていいの?
私は死を望んでいるのに。そんな事、できないよ。)
クレムは号泣するアイリスを抱き寄せ、時には頭を撫でたり背中をぽんぽんと等間隔で叩いたり摩ったりして落ち着くよう促してくれる。
「涙を止める必要はないのです。泣きたい時は、
涙が枯れるまで泣いてください。
そして涙が枯れたら一緒に笑いましょう?
・・・それまで、私がアイリス嬢の傍にいます。」
優しい声音で心地よい。
(なんでこんなに安心するの?)
(一緒にいると落ち着くのはなぜ?)
(それに、なぜこんなに嬉しいんだろう。)
自分の気持ちが、ごちゃまぜになって混乱していた。次々に湧いてくる疑問と感情を共にして涙を流す。
「公爵の病が治る可能性もあります。
我々が最新の医療を施していますから。
それに、アイリス嬢のために公爵は死ねませんよ。
こんな状態の貴女を残して。」
「公爵の願いを共に叶えてみませんか?
可愛く誰よりも愛しい孫娘が、
心から、心の底から笑っていられる未来を。」
(お祖父ちゃんの、願いを、叶える・・・。)




