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彼岸と此岸

「お帰り、アイリス嬢」

クレムから流れた涙がアイリスの頬にぽたぽたと落ちてくる。


どうやら見慣れないベッドに寝ているようだ。

天蓋がおろされている。


(ここはどこですか?)

と聞きたいが声が出ないようで、アイリスの口がはくはくと動いただけだった。

身体中が痛くてぴくりとも動かせそうにない。

視線だけで全てを見回すが、どうやらナスタチウム邸ではないようだ。壁紙や家具、照明全てが違う。


(もしかして、ここって)


「ここはルドベキア帝国。私の屋敷です。」


(皇弟殿下の屋敷!?ということは皇宮ってこと?)


「今は安心して眠って下さい。お母様、クレマチス夫人も怪我はしていますがご無事です。こちらで保護し、安全な場所でお過ごしです。」


(お母様が、よかった。)

アイリスの瞳からつつと涙が溢れる。

それを持っていたハンカチで拭ってくれるクレム。

「今はお休みください。

アイリス嬢が回復し、お話しできるようになった時に私から今までの経緯をお話しします。」

そう伝えクレムはアイリスの目を覆うと、ぽうっと暖かく光る力を感じそっと目を閉じた。


再び目を覚ましたのは、2日後の夜だった。

アイリスはルドベキア帝国最新の医療技術により、身体を起こせるまでに回復したのだった。

クレムは自身の仕事があるようで帰りは遅くなっているようだが、アイリスが目を覚さない間も毎日訪れていたと挨拶に来た執事長より聞かされたのだった。


綺麗な星が瞬く夜、ベッドに腰掛け外を眺めるアイリス。

「・・・あれは、夢なんかじゃなかった。」



(貴女は戻りたいと願いますか?あの世界へ。)



「あの方は、一体何者なの。」



思い詰めた表情で己の包帯だらけの身体を、ぼうとみていると扉をノックする音が聞こえる。

「どうぞ」

と返事をすると遠慮がちに扉が開けられる。

入室してきたのはクレムだった。

いつも襟足で結っている髪は解かれ、動くたびにサラサラ靡いている。


「意識が回復したと聞き、まずは安堵しました。」


「ありがとうございます。殿下が助けてくださったおかげです。・・・殿下、私はどうなったのでしょうか?」


ベッドサイドに置いてある椅子に腰掛け、アイリスを見つめ話を始めるクレム。


「ナスタチウム邸へ送り届けたのち、アイリス嬢の魔力を探知できることができなくなったのです。

その後、すぐにピオニー王国の王宮へ登城しました。

ソラリス王妃へ許可をとったことは3つ。

1つはナスタチウム公爵夫人の保護。

もう1つは魔力探知の切れたアイリス嬢の捜索。

最後に・・・ピオニー王国からの()()、です。」


「亡命・・。

ですが私はエリンジウム殿下の婚約者です。

そのように話が容易くいくと思えません。

・・・ソラリス様はなんと仰っておいででしたか?」


「ソラリス王妃はこう言っていました。」


「元より我が息子エリンジウムは、次期王としての器ではありません。エリンジウムが王太子としての役目を全うする覚悟があるか見ていましたが、全く見られないどころか他の勢力の娘と懇意にし始めるなど言語道断。恥ずべきことです。エリンジウムの思想は、

未来のピオニー王国を揺るがすことになるでしょう。

民の沢山の血が命が、散ってしまうかもしれない。」


ソラリスが苦しい表情で言ったのは

今後の王位は娘のシンビジウムへ移すことに決めていたこと。アイリスとエリンジウムの婚約は自動的に破棄になることだった。


クレムは一呼吸おいたのち、アイリスにある書類を見せる。


「こちらはソラリス王妃自ら書かれたものです。

こちらはルドベキア帝国、皇帝宛。

つまり私の兄に向けたものです。

中身はアイリス嬢とクレマチス夫人の命を助けてほしいとする願いが書かれています。」


実物を手に取り見てみると、筆跡は確かにソラリスのものだった。どんな気持ちで書いてくださったのか、どんな無念な気持ちだったかが伝わってくるようだった。自然と涙が頬を伝う。


「ソラリス様・・・。

私の命と母の命を、殿下へ託してくださったのですね。でも、どうやって私の事を助けてくださったのですか?」


「私になにがあったのですか?」


この問いののち、思案するような表情を見せるクレム。

少しの沈黙の後に改めてアイリスへ向き直る。


「アイリス嬢の微弱な魔力を追跡し、私が到着した頃にはあの牢場であなたは既に亡くなっていました。」


「いえ、狭間にいたのです。此岸と彼岸の狭間へ。」


「此岸と、彼岸の、狭間・・・。」

(と言うことは。あの花畑はやはり。)


「此岸とはこちら側の、今いる世界。

彼岸とは死後の魂が行き着く世界のことです。」


アイリスはその言葉を受け、この身に起こった事をクレムに話してみることにした。

「私は牢場で兄とクロームス嬢と会った後意識を失い、気づいたときには花畑にいたのです。

そして一箇所から放たれている光に気づきました。」


クレムはゆっくりと頷く。


「あの花畑で貴女を助けるためには、道導が必要だと思ったのです。アイリス嬢が気付いてくださらなかったらあのまま、2度と戻れぬ彼岸へ到達していたでしょう。」


「助けてくださってありがとうございます。

なんとお礼を申し上げたらよろしいか・・・!」


「・・それは違います。

私はあくまでも手助けをしたのみです。

貴女の、アイリス嬢の生きたいと願う心が叶えたという結果にすぎません。」


「生きたいと、願う、心・・・。」

(私は目的のために生きたいと願っただけ。

ただそれだけ、だと思う。わからない。)


己が魂が身体より離れ、彷徨っていた事実に驚くアイリス。己の掌を眺めるように手を動かして感覚を確認するが、問題はないようだった。


そしてクレムは言う。

「私は身体から離れた魂が迷わぬよう、

彼岸へと魂を導く者。

貴女にはまだやるべき使命があるはず。

そう思い、貴女の覚悟を試していたのです。

私の放った光までの到達を諦めていたら、最良の結果に結びつくことはない。」


「そうなっていたら私の力では、もう及ばない。

・・・意識が戻って本当によかったです。」


「私には、まだ死ねない目的があります。」


拳をきつく握りしめて、覚悟を決めたようにクレムを見るアイリス。


「クレム・ルドベキア皇弟殿下。

これからピオニー王国に災いが訪れます。

シンビジウム王女殿下と、ソラリス王妃の御身が危険に晒されてしまいます。

身勝手なお願いなのは重々承知の上です。

ですが、私にとってあのお二人は家族なのです。

どうか、お手を貸して頂けませんか?」


懇願するようにアイリスはクレムを見る。


そしてクレムは妙案だとばかりに、ニヤリと不敵に笑うのだった。

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