牽制
月夜の中、星が瞬き馬車に揺られるクレムとアイリス。
テッセンに置いて行かれたことが原因で、クレムの厚意としてナスタチウムの邸宅まで送ってもらっている最中だ。
「ルドベキア皇弟殿下、ありがとうございました。
今日のご恩は決して忘れません。
数えきれないほど、殿下には助けて頂いていますね。
心より御礼申し上げます。」
反対側の座席へ優雅に座っているクレムに伝える。
「私は何もしておりません。
取引したことをお忘れですか?
これは正当な契約の一つですから。
末長く共にお付き合いをしたいと思ってますし、
帝国のブティックへ来る機会が増えたらきっとエーデル公爵もお喜びになりますよ。」
と言ってアイリスを安心させるように、優しい口調でゆっくりと伝えてくれる。
「ありがとうございます。どうして見ず知らずの私に、殿下は優しくしてくださるのですか?
それに・・・」
「死の影、とは一体なんですか?」
馬車の車輪の音、馬が駆ける足音のみが聞こえてくる。月明かりに照らされたクレムは、何か思案しているようだった。永遠かと思われた沈黙の後、クレムは遠慮がちに話をする。
「残念ながら、詳しくはお伝えできないのですが私に備わった能力と考えてくださればよろしいかと。
・・・初めてお会いした時から感じていたのです。
ご令嬢の周囲に闇を強く感じます。
これほど強いものは私も初めてみました。」
「それが死の影、ということなのですね?」
とアイリスが尋ねると、クレムはゆっくりと頷く。
「なにか、ナスタチウム嬢も事情がある様子。
私は貴女を救うために今ここに在ります。
先程階段から落ちてきた貴女を見た時は、さすがの私も肝が冷えました」と少年のように笑っている。
「も、申し訳ありません・・・!」
土下座でもしたくなるような気分だが、陽気に笑う帝国の皇弟はどこか機嫌が良さそうだった。
「先ほどの話の続きですが、ご令嬢にはお付きの騎士や侍女はいらっしゃらないのですか?」
「はい。お恥ずかしい限りなのですが、我が家の方針でお父様が決めたものです。」
その言葉を聞き、想定した通りだったのか頭を抱えるクレム。
「やはり、そうだったのですか。
・・・私の能力について口外しないで頂きたい事は勿論なのですが、この闇を見る限り護衛が必要ですね。」
決心したように、顔を上げてアイリスを見据えるクレム。
「ご令嬢が外に出られる時は、私が護衛に入ります。」
「えっ!? 皇弟殿下自らですか!?
そんな!畏れ多いです・・・!」
血の気がサーっと引いていく感覚がする。
(自分の危険に誰も巻き込むつもりはなくて、
自分だけで解決すると決意したばかりなのに。)
「私が出る事に意味があるのです。
この権限を使うことは好きではないのですが・・・。
ルドベキア帝国皇弟という立場を、最大限活かすことで貴女に直接危害を加えることが難しくなる。
私という存在が抑止力になるはずです。」
「ですが! ・・・殿下の御身が危険です。
これは、私1人で何とかしなければならない問題です。
ミモザやベルやシンビジウム王女殿下も、私を気にかけてくださいますが巻き込むつもりもありません。
勿論その中には皇弟殿下も入っています。
1人で、1人でもやらなければと決めたのです。」
それを聞いたクレムは怪しげに、ニヤリと笑う。
「先ほどのように、階段から落ちてきても?」
(ぎくっ)
「エリンジウム王太子に手を捻られて、出血と痛みで意識を飛ばしていたのに?」
(・・胸に数本の矢が刺さった気分)
「ドレスもパンプスもない状態の婚約者を、助けるどころかエスコートすらしない王太子に対抗できますか?」
「お1人で」
「それに、クロームス伯爵家とナスタチウム小公爵との関係性も気になります。長く放置はしておけないでしょう? 」
「それでも1人で、1人でやると?」
なぜだか詰め寄られらような、出口を塞がれているような気がする。だが正論なのでぐうの音も出ないのがアイリスの実情だった。圧力を感じる前に腰掛けている同乗者から、顔を横に背けるしかなかった。
「アーイーリースー嬢?」
顔を背けていたらアイリスの顎に手が優しく添えられる。そしてゆっくりと、クレムの方向へ向かされる。
「やっと、美しい御尊顔が見えました。」
嬉しそうににっこり笑っているクレムに対しアイリスは、(こんな膨れ面の私に美しいだなんて変な人)
としか思えないのだった。
ナスタチウム邸に到着し、クレムのエスコートにて馬車を降りる。
「大変助かりました。ありがとうございます殿下。」
クレムへカーテシーを行い、感謝の意を示す。
「とんでもありません。今後は貴女の護衛になるのですから、きっと当たり前のことになりますよ」
「なので頭を上げてください?」と優しい声がする。
顔を上げるとアイリスはぴたりと固まった。
「なんて美しい瞳・・・。」
(美しい瞳に、魅入られてしまう。)
じいっと瞳を見ているとクレムはゴホンと咳払いをする。(いけない!ぼうっとしてた!)
「アイリス嬢に瞳を見つめられると照れますね。
・・・お褒め頂き、ありがとうございます。」
クレムの耳が、朱色に染まっているように見えた。
玄関の中へ入ると、使用人たちが驚いたような表情をして慌ただしく主人を呼びに行く姿が見えた。
(先触れも出してないしね。全部テッセンが悪い。)
しばらくすると父コロンバインと母クレマチスが慌てた様子で玄関へ到着した。
「ルドベキアの月にご挨拶を申し上げます。
娘が大変お世話になったと伺いました。
なんとお礼を申し上げたら良いか・・・!」
クレマチスはカーテシーをしながら慌てたように挨拶をする反面、コロンバインの態度はクレマチスとは相反するものだった。
「夜会でも愚女がお世話になったとか。
・・・おかげで、アイリスとエリンジウム殿下との不仲が公になってしまいまして。いやはやこれには参りましたよ。本当に、・・・参りました。」
と眼光鋭くクレムを睨むように話すコロンバイン。
クレマチスが目を見開き、青ざめた顔で夫を見る。
(こんなの、有り得ない。他国の皇弟殿下だよ?
不敬で連れて行かれてもおかしくはない。
そんなに私があのクソ王太子と破談になるのが嫌なのこの男は。)
「・・・ええ。ご令嬢とは我が帝国随一のブティックと契約を結んで頂きましたので、これからもアイリス嬢とは是非懇意にさせてもらいますよ。ナスタチウム公爵。」
いつもの暖かい笑みとは違う。皇弟としての冷笑。
眼光も鋭く、美しいエメラルドの瞳が血走っているように見えた。
「冗談です殿下。お忘れくださいな。
そこまで熱くならなくても結構ですよ。
愚女のこと、よろしくお願い申し上げます。」
「無論です。また伺います。
今後もご夫妻にはお会いすることになりますので、
今夜はこちらで失礼させてもらいます。
アイリス嬢もお疲れでしょう?
ごゆっくりおやすみください。」
「お気遣いありがとうございます。皇弟殿下。」
アイリスがカーテシーを行い頭を下げるのを見届けた後、クレムはナスタチウム邸から去っていったのだった。




