人魚姫
クレムにエスコートされ、大階段をゆっくりと着実に降りていくアイリス。
貴族たちの歓声の中にはこんな声も聞こえてきた。
「アイリス様のお召しになっているドレスは、一体どのブティックのものかしら?とても美しいわ!」
「先ほどあのような事故に遭われたばかりなのに、なんてお強いのかしら。」
「確かルドベキア帝国で1番有名なブティックが作られたドレスではなくて? 」
「まぁ! それならきっと皇弟殿下からのプレゼントかもしれませんわ!」
と女性たちの感嘆の声が止まらない。
クレムの秘策とは。
まさしくルドベキア帝国で作られたドレスを、アイリスに着用してもらうことだった。
数十分前の出来事を噛み締めるように思い起こす。
「ナスタチウム嬢。もし、よろしければなのですが。
私に考えがあります。」ニコッと屈託なく笑うクレム。そして遠慮がちに、アイリスの耳元で囁くように話す。
「ドレスを差し上げます。」
その一言に「え!?」と思わず声が漏れそうになり、慌てて口元を手で押さえるアイリス。
(危ない、汚い声がでちゃう所だった。)
驚きの表情を隠せないアイリスから離れ、クレムは話を進めていく。
「勿論。しかし、ただと言う訳にはいきませんね。」
アイリスへニコッと微笑むクレムは話を続ける。
「ナスタチウム嬢へドレスや髪飾りをお譲りするかわりに、我が帝国で最高級のブティックの広告塔になって頂こうかと。」
「なるほど・・・。
ですが私は、自らお話しすること自体本来は恥ずべきなのですが・・・。王太子殿下にも、我が家門にも冷遇されている身です。広告塔として不十分な上、役不足です。場合によってはブランドの価値を下げてしまう事も考えられます。」
「それに、・・・私は容姿に自信がありません。」
俯き、ドレスを両手でキュッと握るアイリス。
「今の私にとっては非常に嬉しいお話しなのですが・・・。」
自信喪失しているアイリスの様子を見たクレムは、
アイリスの手を優しく上からかぶせるように自身の手で包む。
「そう、仰られると思っていました。
今はご自身のことを卑下されていても仕方ありません。そのような状況下ですから。」
「最初はエーデル公爵との約束のためでした。
ですが貴女に会って考えが変わったのです。
私は貴女の事をもう少し知りたいと。」
「それに言ったでしょう?貴女を迎えに来たと。
その言葉に嘘偽りはありませんし、私は諦めが悪いのです。」ニコッとアイリスを安心させるように微笑みかけるクレム。
「必ず無事にエーデル公爵の元へ、ナスタチウム公爵夫人と共に貴女をお送りします。」
「先日、1人で王太子と悪意ある令嬢に立ち向かう貴女を見た時、私は自然に身体が動き貴女を庇っていました。数の差があっても、理不尽な物言いをされても1人立ち向かう貴女は誰よりも美しいと。私は思います。」
「ですから、今は私の手をとってみませんか?」
優しく差し出された救いの手。
真心が込められた眼差し。
尽くしてくれた言葉の数々。
前世のような人に対する不信感は、今はない。
少なくともこのクレム・ルドベキアという人物には。
アイリスは自然と、でも縋るようにクレムの手を取っていた。
ブティックはクレムがスポンサーとして援助しているらしく、ピオニー王国との取引のため元々持参している分がありその中からアイリスの長身に合うものをクレムが選んだのだった。
話は大歓声の舞台に戻る。
アイリスはクレムが選んだ瑠璃色でマーメイドラインのドレスに身を包んでいた。裾に銀糸で絢爛な刺繍が施されている。
胸元はウエストにかけて貝殻の線のように織り込んであり、ウエストの背中部分は大きな瑠璃色のリボンが結ばれている。アイリスが動くたびにひらひらとリボンが揺れる。首元には真珠のネックレスが輝く。
そして髪はアイリスのホワイトブロンドの髪を生かすように、ハーフアップにされ生花で彩られていた。
「まぁ!アイリス様先ほどよりとてもお美しいわ!」
「しかもルドベキア皇弟殿下と揃いの色よ?
友好のお印にお選びになったのかしら?」
「私もあの美しいドレスを着てみたいわ!
まるで童話に出てくる人魚姫のよう!」
2人でゆっくりと大階段を降り、広間の中心で苦虫を噛み潰したような表情のエリンジウムとカルミアの前に立った。
すると事を静観していたソラリス王女が2階玉座より立ち上がった。ソラリスに気付いた貴族たちはシンと静まり返る。ソラリスはこう宣言した。
「皆様!我が娘と言えるアイリス嬢と、
ルドベキア帝国の月である皇弟殿下はある契約を交しました。
ルドベキア帝国で随一のブティックのモデルを、
アイリス嬢が務めることになったのです!
両国にとって、良い関係が続くことを切に願います。」
「そして今夜の主役であるクレム・ルドベキア皇弟殿下と、契約の立役者であるアイリス嬢2人で舞って頂こうではありませんか!」
とソラリスが宣言すると、再び広間に大歓声が巻き起こった。
アイリスは2階のソラリスを見上げていたが、
ソラリスはアイリスを見てお茶目にウィンクをしていたずらっ子のように微笑みかける。
(やっちゃいなさい!胸を張って!って背中を押されている気分。)
ソラリスの意図を想像してふふッと思わず笑ってしまうと、クレムもアイリスに対して微笑みかける。
「貴様は、昨日の!!!!
俺とカルミアに恥をかかせてくれたなァ?」
エリンジウムに続きカルミアも叫ぶ。
「エリンジウム様の次はクレム様を弄ぶのね!?
もう辞めてくださいアイリス様!
これ以上汚名を着る必要ないはないのです!!」
エリンジウムが語気を強め血走った目でアイリスとクレムを睨みつけてくる。
アイリスはその血走った目がテッセンに睨まれた時に重ねられてしまい、背筋が凍った。冷や汗が垂れるような気さえする。クレムにエスコートを受けている手が、徐々に震え出すのを抑えることができない。
(でも、これだけは言わないと。
どうか声が震えませんように...!)
「クロームス、伯爵令嬢。ルドベキア皇弟殿下のお名前を、許可なく呼ぶことは無礼です。謝罪しなさい。」
「酷いですアイリス様!
私はクレム様と、ルドベキア帝国の皆さんと仲良くなりたくて言っただけなのに!」
「ナスタチウムの出来損ないが。貴様、立場を弁えているのか?カルミアに対して無礼ではないか!!」
一層語気を強め、怒鳴るような物言いをアイリスにするエリンジウム。あまりの恐怖に肩がビクッと震える事が止められなかった。
(どんどん寒くなってくる。血の気が引いてるんだわ、なんとか気をやらないようにしないと...)
アイリスを確認したクレムは、一時的にエスコートの姿勢を解き2人の視線からアイリスを庇うように前に立った。エスコートを解いても、クレムの左手はアイリスの右手を離しはしなかった。手は繋いでくれたまま、優しく「落ち着いて」というように手の甲を親指で撫でてくれる。
「先日はご挨拶をする余裕がなかったこと、
どうかご容赦頂きたい。
私はルドベキア帝国皇弟、クレム・ルドベキアと申します。以後、お見知り置きを。」
広間の中心で優雅に礼をするクレム。
クレムの渓流のような美しいロングヘアが揺れる。
貴族たちは成り行きを見守っている。
(美しい容姿のクレムを見る女性たちは、きっと目が♡になっているんだろうなぁ。)
「実は我が兄である皇帝は、外交が苦手なのです。
なので私とお会いすることが多いでしょう。
ですが、今回のクロームス伯爵令嬢の無礼はルドベキア帝国として看過する事はできません。
不敬だ。外へ連れて行くように。」
クレムの声を受け、ルドベキアの騎士たちがカルミアを取り囲む。
「カルミア!!!!」
「エリンジウムさまぁ!!!」
2人が伸ばした手は繋がれる事はなく、騎士たちにより遮られた。
「気安く触らないでよ!いやぁ!やめてぇ!」とカルミアの悲鳴が絶え間なく続いていたが、会場外へ連れ出されるとシンとした静寂が訪れる。
「今回は良い取引を、こちらナスタチウム嬢と行うことができました。我が帝国随一のブティックが、ピオニー王国でも日の目を見ることになろうとは。」
「前座のお勤め、ありがとうございます。後は私たちにお任せください。」
クレムはエリンジウムに対して屈託なく笑うが、一切の温かみも隙もない冷笑。
エリンジウムは恨みの籠った目で2人を睨みつけた後、舌打ちをしながら踵を返し会場外へと退出していった。




