与力尾上介三郎 2.枡の秘密
与力尾上介三郎
2.枡の秘密
◎
「これはただの殺しでは無いな」尾上が言う。
「その通りで」佐吉が死体を改めながら振り向きもせずに答える。「死因は後ろからの袈裟懸けの刀傷。うつ伏せに倒れたその死体を仰向けにし、懐を探ったようです」
「その懐を探っている時に、たまたま通りがかった私を見て、周章てて逃げていった。だから目当ての物は見つかったかどうか分からないが、多分見つけていない。両手は何も持っていなかったからの」
「それにしても、たまたま通りがかったのがセンセーで良かった」尾上が独り言のように言う。「ほかの者であったら、大騒ぎになっていた所だ」
「マメゾーさんが家に飛び込んできた時にはびっくりしました」佐吉が言う。「現場に駆けつけてきた時には、センセーが野次馬を寄せ付けないようにしてくれていたので大助かりでさあ」
「その野次馬たちから聞いた所によると、そこの大通りで、突然、この男が後ろを向いて走り出したそうだ。その後をお侍が追いかけていったので、皆、何事かと思って立ちすくんでいたようだの。ようやく気を取り直して後を追ってきた時には、拙者が死体を改めている所だったというわけだ」
「ということは」尾上が言う。「そのお百姓とお侍は知り合いで、お百姓はそのお侍を見つけて逃げ出したという事だの」
「おそらく、そういうことでしょうな」先生が頷く。「野次馬連中には、もうすぐ奉行所の方が来られるから、ひとまずここから離れて、後日そこの番屋に来て自分が見たことを話して欲しいと告げて、この場をかき回されないようにはしておきました」
「それで、死体を調べた所、何も持っておりませんでした。お侍が持って行ったのか、このお百姓が逃げる途中でどこかに隠したのか分かりませんので、とりあえず下っ引きに途中の道を探らせております」
「放り投げればお侍も気がつくだろうから、考えられる場所はそれほど多くないな」
「そうなんで」佐吉が言う。
「ということで、そこの用水桶の影にこんな物がありやした」なめくじ長屋の住人の一人でカッパと呼ばれている男が、手に枡を持って、センセーに差し出す。たった今、見つけて持ってきた所だったようだ。「佐吉親分の下っ引きに渡そうとしたら、自分で渡せと言われまして」
「それはそうだ」センセーが言う。「これはカッパの手柄だという事をちゃんと佐吉親分に知ってもらおうという事かな。公明正大な態度は下っ引きにまで伝わっているようだの。佐吉親分の人徳ですな」
「いや、お褒めにあずかり恐縮ですが」佐吉が枡を調べながら言う。「それより、この枡は少しおかしいですな」
そこに佐吉の下っ引きが駆け込んできた。
「大変だ」周章てて息が切れている。「そこで殺し合いが…」
皆が駆けつけて見ると、道の真ん中でお侍と流しの芸人らしい女がにらみ合っている。さすがにこの大通りのど真ん中で殺し合いをするわけにも行かず、かといって今更逃げ出すわけにも行かず、どうして良いか分からないという態であった。
「とりあえず、お二人ともそこの番屋まで来て頂けますかな」尾上が声をかける。
こうなっては仕方が無いということで、二人ともおとなしく尾上について番屋に行ったが、尾上が何を聞いてもうんともすんとも言わない。これではらちがあかないと見た尾上が奉行所に連れて行くことにした。佐吉、センセーに一緒に来るように言って、マメゾーには同心の立花を呼んできて欲しいとお願いした。
「縄をかけないで良いのか」お侍が訊く。
「この昼日中、人通りも多い中で、まだ罪を犯したことがはっきりしているわけでも無し、お縄をかけて歩かせるわけには行きませんからな」尾上が答える。
「これ幸いと逃げ出すとは思わないのか」
「馬鹿だねえ」女が横から嘲笑う。「この人たちの技量も見極められないのかい。逃げ出そうとしてごらんよ。その途端に当て身でも食らって、その土の上に顔を打ち付けることになるよ」
「お女中が、ただの流しの芸人では無いことは分かっています」尾上が言う。「武芸の心得えも大分あるようですな。たぶん、このお侍とはお知り合いのようですから、どこかの藩でご一緒にお殿様に仕えているといった所でしょうか」
女は何も言わずに横を向く。それは尾上の言葉を肯定したに等しい。
「どこの藩かはお聞きしません。何か藩の事情が絡んでいるようですが、まず、ばれたら藩に迷惑がかかるからと自裁する事は考えないようにして下さい」
思いもかけない尾上の言葉に、武士も女もびっくりしている。
「この時代、外つ国がいつ攻めてくるか分からない状況で、国の中でもめている時ではござらん。どこかの藩に何か問題があって改易などということをやっている余裕など、この国にはござらん」
「それは一与力のいう事ではございませんでしょう」女が言う。「幕閣のご老中がお約束されるという事ならともかく、奉行所の一与力の方になんと言われようと信じられるわけがございません」
「それでは私がご老中に必ずお伝えするとお約束しましょう」
奥の部屋との間のふすまを開いて入ってきた男が言う。
「あ、お奉行様」
尾上がそう言うのを聞いて、あわてて侍と女が平伏する。
「この与力は私が信頼している男で、ご老中からも直々に命を受けることもあるほど頼りにされておる。この男が約束すれば、それは絶対に守られると思って頂いて結構」
「まず、お訊きしたいのは、先のお百姓殺しはあなたがたの仕業かどうかということですが」奉行が言う。「話しは同心の立花から聞いております。尾上があなた方の取調中で報告出来ないということで、直接私の所に話しに来たので、尾上もまだ知らないことがあるだろうけれど、お百姓殺しの件は聞いております」
「マメゾーの知らせがすぐ立花に伝わったのですな。それで立花から?」
「いや、横にセンセーがいてくれたから直接に聞いた」お奉行が言い、懐から枡を取り出した。「これが殺しの原因か?」
「これはあの時の枡でございますな」尾上が言う。「佐吉が何かびっくりしておりましたが、その枡に問題が?」
「自分で調べて見よ」奉行が尾上に枡を手渡す。
侍と女は顔を真っ青にした。
「これは、米屋が不正をする時に使う枡だの」お奉行が言う。「規定より少し大きいから、藩が年貢を集める時に使っておるのだろう。それに気づいた農民が直訴するために江戸に登ってきた」
「それが幕府にばれれば、藩は改易になる。それだけは避けたいと思っての今回のお百姓殺しか?」
「その通りでございます」女が覚悟したように言う。「私は、表向きはお殿様付きの女中でございますが、裏ではお殿様の命を受けて藩のいろいろな事情を探っている者でございます」
「女忍、いわゆるくノ一か」尾上が言う。
「はい。くノ一など、そんな言葉をよくご存じですね。ここしばらく、お殿様の命を受けて首席家老のことを探っておりました。首席家老が私腹を肥やすためにいろいろと悪行に手を染めているらしいという事で、内情を探っている所でしたが、ある村のお百姓たちが幕府に直訴しようとしているという動きがあり…」
「それをされては、首席家老を処罰し、藩政を立て直す前に改易になってしまいます」侍の方が言う。「それで直訴されないように後を追ったのですが」
「だからと言って、それでお百姓を殺したら、悪徳家老とどこが違うのですか」女が怒る。
「しかし、ではどうすれば直訴を止められる?」武士が言う。女も答えようが無くて黙ってしまった。
「事情は分かった」お奉行が言う。「どちらも藩のためを思って行動しているにもかかわらず、大通りでけんかになりかけた理由もな。ここは私に任せなさい」
「お奉行にですか」二人がびっくりしたように訊く。
「ご老中に理解してもらって、藩の改革がなされれば改易はしないという約束を取り付けた」お奉行が言う。「なお、その藩主であるが、たまたまその藩主と親しい男がいて、藩主の手伝いをさせるためにその男を遣わすことにした。これはご老中のご意向でな」
「その男というのは、どういうお方で」女が訊く。
「幕府の御殿医であるが、時にこのような仕事もやってもらっておる」お奉行がにやっと笑いながら答える。「まあ、秘密にしておいて欲しい」
「それで、これからは直訴の問題については放っておいて、家老の悪行の証拠をつかむことに力を注いで欲しい」お奉行の言葉に二人は平伏して、努力を約束した。
「よろしくお願いします」ふすまが開いて、二人の男が入ってきた。その内の若い方の男が言う。「本名は別にありますが、竹庵という町医者ということにしておいて下され。そちらの藩主とは、小さい頃、同じ先生に学問を教わった仲でしてね。久しぶりに会うことを楽しみにしておりますので」
そう言ってから隣の男に向かって声をかけた。「ご老中も一言励ましてやって下さい」
その言葉を聞いて、二人は先ほど以上に周章てて平伏した。
「よろしくお願いしますよ」ご老中が言う。「この御殿医は、あ、今は竹庵さんか。私の命の恩人でしてね。彼の友人なら私の友人も同然。お殿様によろしくお伝え下さい」
江戸城で会う時には、遙か下の方に座すことになる自分たちの藩主に、このような声をかけて頂いたことに、二人は感激して泣き出した。
◎
「お百姓殺しについては不問ですか」尾上が訊く。尾上の口調は、むしろ不問にして欲しいというように聞こえる。
「まあ、仕方ないだろうな」お奉行が言う。「亡骸を丁寧に葬ることと、残された家族に対して手厚い援助を行うことを条件にな」
「そのお百姓以外にも直訴をする者が来ているかも知れませんが」佐吉が心配そうに言う。
「どうせ、そのような話しはご老中を通る」お奉行が言う。「その男たちを奉行所の方に回してもらうことで話がついている。そこで実情を正直に話して、納得してもらうしか無い。直訴の首謀者は死罪という決まりも、直訴そのものが無かったという事にして、握りつぶすことになった。まあ、あと数ヶ月のことだ。藩政改革が上手く行くと良いがの」
「しかし、センセーのおかげで、お百姓殺しがあまり大きな噂にならずに済んでよかったの」尾上が言う。
「左様で」立花が言う。「そうで無ければ、この話、握りつぶすのに少々手間を取る所でしたが」
センセーが頭をかく。御殿医が藩主の代わりにと出してくれたお金で、お奉行の屋敷で宴会をしている。この度はなめくじ長屋の住人も多く参加している。何しろ解決の糸口になった枡を発見したのがカッパなので、いつもはこんな宴会に参加しても良い物かと恐縮しているが、今回は大いばりである。
「しかし、竹庵さん」お奉行が言う。「大盤振る舞いですな。御殿医の禄高はそんなに良いのですかな」
「からかわないで下さい」御殿医が笑いながら言う。「ちゃんと藩主から取り立てますから。これぐらいの出費で改易の心配が無くなるのなら安いものですよ」
「御殿医の懐具合については調べがついております」立花が横から口を出す。「禄高はかなり高いし、他の旗本と違って登城の際の供揃えなどの費用も少ない。ただ、竹庵さんは外出の際に病人を見かけると町医者のように治療をした上、治療費を取らないという医者の鏡のような方でしてね。多分、頂いている俸禄の内、かなりの部分が、それで消えているのではないかと」
「そう言えば、うちのなめくじ長屋の住人が三日ほど前に通りで倒れた所を、立派な格好をした医者にただで診てもらったという話をしていたが」
「ああ、そういうこともありましたな。たしかカッパの格好をしておりましたが」
「へえ、それは私です」カッパが恐る恐る声を出す。「その節にはお世話になりました。あの時の治療費はまだ払っておりませんが」
「まあ、治療費については忘れて下さい」
「しかし、何か高直そうな薬までいただいて」カッパが恐縮する。「あれはよく効きました」
「まあ、薬は日頃余り飲んでない者が飲むとよく効きますから」
「いや、この件、恩に着ます」センセーが言う。「竹庵さんが、その藩で良い働きをされることを祈っております」
「そうですな」お奉行が言う。「無事に帰ってきた時には、今度は私のおごりで宴会をしましょうか。それを楽しみにしておりますよ」
皆がお奉行の言葉に拍手して、口々に御殿医に励ましの言葉をかける。
佐吉は、明日、武士と女忍と一緒に旅立つ御殿医を見送りに行くつもりだ。尾上と立花とも打ち合わせて、日本橋まで一緒に行くことにしている。天気が良ければ良いなとふと思った。
(完)




