第9話 昏い瞳
ステラの瞳が極星の様に眩く輝く。暗い夜空に浮かぶ一等星のような輝きはロレッタの瞳の奥までを照らし、星空の下に曝け出そうとしていた。
「……昏い、昏い瞳だわ」
ステラがそう呟く。ロレッタは先程から、ステラの瞳に吸い込まれるように呆然と、ただその美しく輝く瞳孔を見つめていた。
「闇に沈む人間にその手を伸ばそうとすれば、夜の昏さを知らずにはいられないものね。普段は明るく振舞っていても、貴女は黄昏を知っている。それなのに……、ッ!」
突然、ステラはロレッタから飛び退く。ロレッタの肩から羽ばたいたエリーが、ステラに飛びついたのだ。
「黙って見てれば勝手な事を……! これ以上ロレッタには触らせないよ!」
「あらら……ごめんなさい、私ったらつい好奇心が先走って……。悪気は無かったのよ?」
ドレスのホコリを手で払いながら、なんでもないようにステラは答えた。
片手で頭を抑えたロレッタが、彼女に問いかける。
「今、何をしたの……?」
「人の隠し事を見抜くのは、私もちょっぴり得意なの。まぁ、貴女のその万年筆も似たようなものみたいなのだし、お互い様じゃないかしら?」
そう言いながら、ステラは苦虫を噛み潰したような表情をするエリーを片目で見やる。
そしてコホンと咳払いをした後、ロレッタを見つめこう続けた。
「太陽の光しか知らない人間が、夜の暗闇には耐えられない。だから、人の沈んだ心に寄り添う人もまた、太陽の沈んだ夜の暗闇を心に抱えてなければならないでしょうね」
片手で抱いたこぐまのぬいぐるみ、その頭をもう片方の手でゆっくりと撫でながら、ステラは更に言葉を続ける。
「ロレッタ、貴女もそう。貴女は宵闇を知っている、夜を抱いて生きている。それなのに、貴女の感情はいつだって太陽のように輝いている。人の心に共鳴して、その胸に夜の帳を下ろせる貴女が何故、一切の負の感情を抱かずに過ごせるのかしら?」
ロレッタは黙って下を向き、ステラの言葉をただ聞いていた。彼女の記憶の遠い果てから、慈愛に満ちたような声が木霊した。
『このペンはね、誰よりも心優しい者の手に渡るべきなの。だから受け取って、《《私の愛しいロレッタ》》――』
おもむろに顔を持ち上げ、ステラを再び見つめたロレッタが儚げに笑った。まるで愛しい者を見つめるかのように、儚げに笑った。
「……塗り潰したんだ。私は『戯曲家』だから」
如何なる出来事にも動じないように見えたステラが初めて、驚いたように目を見開いた。
「それは、……つまり貴女の心まで『脚色』したのね?」
「うぅん、それはまだ。いや、できないって言った方が正しいかな? そこに言葉が見つからないから」
エリーは何も言わず、ただロレッタの肩に留まっていた。
「ステラ、貴女は私が心の闇を知っているって、そう言っていたけど。寧ろ私は何も知らないんだ。ただ、昔起きた出来事が、過去となって重くのしかかっているだけ。
だから私はそれを知らなければならない。その為に旅を続けるんだ。人の心を旅するうちに、人の感情をこの手で綴るうちに、私の、私だけの言葉が見つかるはずだから」
そう言ってはにかむロレッタが、どれ程の感情を塗り潰し隠しているのか、ステラには最早見通せなかった。想像もできなかった。
ただ夕暮れの様に昏いその瞳に、一番星のように輝くステラの眼が映った。
「……ふ、ふふ。あははははっ!」
驚いた表情で、息をのみ、ただロレッタを見つめていただけのステラ。
彼女が不意に、堰を切ったように笑い始めた。
「あぁ。思った通り、いや、思ってた以上よロレッタ。貴女はとっても面白い娘だわ。
私、貴女の事が気に入っちゃった。もっと貴女のことが知りたいわ」
爛々と目を輝かせるステラに、ロレッタより早く反応したのはエリーだった。
「このアマ、いい加減にしろよ! これ以上ロレッタに付き纏うのは僕が許さないぞ……!」
再びバタバタと飛び掛ろうとするエリーを、今度はロレッタが両手でガシッと掴み、制止した。
「やめてよエリー、みっともない。大丈夫だよ、私はなんともないから。それにステラ、私達もそろそろ行かなきゃ。今も『怪人』は苦しんでいるから」
ロレッタのセリフに、ステラはもの寂しそうに口を尖らせていた。
「……そう、残念。それじゃ、この続きはまた今度ね。ロレッタ、またお話ししましょう」
ロレッタから距離をとる様に、後ろに下がったステラがふわりと宙に浮かぶ。夜空に浮かぶ星のように、それが当然であると言うように。
「星はいつでも貴女を見ている――これを覚えておいて、ロレッタ」
部屋中に散らばった無数の瞬きが、宙に浮かぶステラを囲むように回り始める。ステラを中心とした銀河を形づくるように。
その部屋の宙に星空が広がった。
「『汝が星を見上げた刻、星もまた汝を見つめている。原初の唯一を知るその日まで、我々は全てを知るだろう――』」
ステラを囲む無数の瞬きは、空に浮かぶ星々なのか、はたまたこちらを見つめる幾多の視線なのか。
そんな考えがロレッタの頭をよぎった次の瞬間、バチン、とスイッチを切ったかのように瞬きと共にステラが姿を消した。
「消えちゃった……」
カーテンから零れた陽の光が部屋に差し込み、元通りの薄暗い光景が広がっていた。




