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第12話 鎧が守った誰かの夢

 あの日暖かな切り株の上で、華やかな未来を夢見ていた少年。

 騎士の鎧にその運命を縛られたまま、青年へと育ちゆくその少年は、果てしない諦観の中で心を黒く染め上げる。そしてやがて、怪人の姿になってロレッタの目の前に立っていた。


 こちらを見たまま動かない怪人へと、ロレッタはゆっくり歩み寄った。踏み締める木の床はワックスでコーティングされ、スポットライトを反射して輝いている。


 ロレッタが辺りを見渡す。舞台は切り替わり、そこは既に屋敷の部屋ではなかった。

 ロウェルの通っていた劇場だろうか、広々とした薄暗いホールには沢山の客席が壇上を向いて並ぶ。そのどれにも観客は座っていない。


 ただ壇上立った怪人と、その前に立つロレッタを、スポットライトが唯一照らしていた。


「心象戯曲の1番奥底で、怪人は自分だけの理想を形づくる。この劇場が、この舞台が、貴方の本当の望みだったんだよね」


 ロウェルの記憶を、最後まで見届けたロレッタは、変わらず優しく微笑んでその怪人に語りかけた。


「……くだらない夢だった。ガキの頃の馬鹿な俺が、社会も知らずに自惚れて見た叶うはずも無い夢。思慮の浅い思い付きを棄てられずに、こんな姿になっちまった」


 怪人が乾いた声でそう言うと、彼の胴体を包んでいた鎧が外れ、舞台の床に転がった。

 ずっと鎧の中に隠していた、怪人の身体の核、そこには少年の日のロウェルが大事そうに抱きかかえていた、あの小さなバイオリンがあった。


 その中心を重圧の剣で貫かれ木片を散らす、壊れてしまったバイオリン。彼は重く苦しい鎧の奥に、そのバイオリンをずっと隠していた。


「俺が舞台の主人公なら、家族の反対すら振り払って演奏家の夢を追えたんだろうな。バイオリンだけを持って家から飛び出す度胸なんて、俺にはなかった。


中庭の隅に2人で集まった小さな演奏会もなくなった。サリアはいつしか俺に敬語で接するようになった。


はっ、いつまで経っても大人になれないのは俺だけだな」


 自嘲する様に言葉を並べる怪人の話を、ロレッタは暖かい眼差しで静かに聞き入っていた。

 スポットライトを反射するその兜が放つ一筋の光が、まるで怪人の零す涙かのようにも思えた。


「ガキの頃のちっぽけな夢。親父に言われた程度で簡単に諦めたくだらない夢。


それなのに、沈殿した悔しさが……、いつまでも重いんだ……!」


 静かに、それでもすぐ側に寄り添って、話を聞いているロレッタに、怪人ロウェルはその抱え込んでいた感情を遂に吐露した。

 その感情を、ロレッタは決して否定しなかった。


「中途半端な夢……。くだらない夢だと貴方は言うけれど……。

それでも、陽の暖かなあの日の中庭で、貴方は誰よりも本気だっただろうね」


 彼女はまるで怯える動物に触れるかのように、そっと伸ばしたその右手で彼のバイオリンをゆっくりと撫でた。

 怪人へと触れるその手が、今度は振り払われることは無かった。


「心象戯曲の一番奥。貴方が最も大切にしているもの。その小さなバイオリンは結局、貴方が憧れた大舞台の上にあるんだね。


大通り沿いの広い劇場で、大勢の人に向かって演奏する貴方の姿。一番前の特等席には赤髪のあの子が座っていて、中庭でしたような大きな拍手を貴方に送るんだ。


今も、目を閉じる度に浮かぶんでしょう?


瞼の裏の理想に焦がれながら、変わらない現実が心を淀ませているんだ」


 ロレッタの優しい微笑みが、暖かく包み込むその言葉が、凍てついた怪人の心を段々と溶かして行く。

 怪人は今にも泣き出しそうな言葉で、誰にも打ち明けなかったその心の包み紙を解いた。


「年が過ぎるうちに、現実が見えてくるんだ。俺の未来は俺じゃなくて、家が手綱を引いていること。演奏の腕だって所詮凡人止まりだってことも。


子供が無邪気に抱いた夢なんて、もう棄てなきゃならねぇんだ。この鎧を断ち切れはしないから。


棄てなきゃならねぇのに、それなのに、くそ、焦げ付いたようにこびり付いた執着はどうして消えてくれないんだよ……!」


 それは、ロウェルの本心だった。黒くなったあの日の夢。諦めることを選んだはずなのに切り離すことのできないその旋律は、時に鎧よりも重く彼を縛っただろう。


 彼の戯曲はここで途切れていた。彼の物語はここで止まっている。

 次の幕へと進む事が出来ず、苦痛の中に沈み、彼一人では浮かび上がることが出来ないだろう。

 

 ロレッタが、彼の代わりにゆっくりと口を開いた。そして、止まってしまった物語の続きを、彼自身も気付けなかった心象を綴る。

 彼女は戯曲家だから。


「貴方がその夢を手放せなかった理由を、貴方は覚えているはずだよね。


――1人で見た夢じゃ無かったから」


「……っ!」


 じっと床に目を落としていた怪人が、顔を上げた。

 その目線はステージの向こうの観客席を、その1番前の空席を向いた。


「貴方は棄てることができなかったんじゃない。裏切らなかったんだ。

どんなに時が立とうと、あの娘と交わした約束をね」


「それでも、もう俺には夢を追えねぇ。俺はもう約束を守ることができないじゃないか!」


 慟哭するように怪人が叫ぶ。それでもロレッタは怯むことはなく、暖かい言葉を紡いでゆく。


「ううん、貴方はずっと守ってるんだ。貴方はずっとあの娘にとっての()()1()()()()()()でしょう。


鎧の中に大切に閉まっておいたまま、貴方は守り続けて来た。時が経って、少しだけ曖昧になってしまっただけなんだよ」


「俺は……、そうか……。どんなに下手くそでも、聴いてくれる人のためにバイオリンを弾いていたんだよな」


 怪人の兜が、篭手が、次々に外れ落ちていく。

 彼が持つには少し小さいバイオリンを抱え、青年の姿のロウェルがそこには立っていた。


 ――怪人が、本当の自分の姿を取り戻した。


「あの娘は貴方を心配して待ってるだろうから。だから、早く帰らないとね」


 ロレッタはそう言ってにっこりと笑った。陽の光のような少女の笑顔に、ロウェルは気恥しそうに指で頬を搔いた。


「サリアはまた、俺のバイオリンを聴いてくれるだろうか」


「……あの日の中庭は、彼女の心の中でもきっと光り輝いているよ。1番前の席にじっと座って、幕が開くのを今も待っているんじゃないかな。


そして観客が曲を待ち続ける限り、演奏家が舞台を降りる訳にはいかないだろうね」


 暴走の収まり行く心象戯曲。全ての演目を終え、遂に最後の幕が閉じる。

 これはただの一区切りであり、ロウェルの物語はこれから先も続いて行くだろう。彼だけの心象戯曲に、その日々を書き連ねながら。


 幕の向こうの明るい光、その更に向こうに、帝都の石畳が見えた。

 幕が閉じれば役者は次の舞台へ向かうだろう。ロレッタは心象戯曲の出口へと目指し、ロウェルの手を引いた。


「さぁ、物語を前に進めようか。観客のいないステージはきっと、貴方がいるべき場所じゃないからね」

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