第13話 絡まる鎧と夢みる調べ
「ん……、うぅ」
ロウェルが目覚めると、自室のベッドの上にいた。
ゆっくりと身体を起こし、なんとなしに両手を見る。なんて事ない、少し乾燥しているだけの人間の手。いつも通りの自分の掌が見えた。
「……あぁ、お目覚めですか」
「っ! サリア……」
赤髪のメイドの声が聞こえ、ロウェルは顔を上げる。
透明なグラスと水の入った瓶を乗せたプレートを持った彼女は、丁度部屋に入ってくる所だった。
「……そうだ。父上は?」
「旦那様は先週から出張で不在ですよ。まだ記憶が混濁しているみたいですね」
「……うん。どうやらそうみたいだ」
まだ少し頭が痛むのか、ロウェルは片手を額に当てる。
サリアはベッドの傍に立ち、持っていたプレートをサイドテーブルに乗せた。
「人間の姿で気絶した貴方をシェリフの方が担いで来たんですよ。覚えておいでですか」
「いや。いつもの様に訓練してたら、急に全てが嫌になって、そこからよくわからないな……」
サリアは変わらずロウェルに目線を合わせない。ただ淡々とした口調で話しながら、瓶の水をグラスに注いでいた。
「随分ご迷惑をおかけした様なので、屋敷でも何かお礼をしようとしたのですが、『ガキに感謝しろ』とだけ言って去って行かれました。その前に何があったかは私も存じません」
「子供……。たしか、大きなペンを持った……」
サリアの言葉が、ロウェルの混濁した記憶の隅に引っかかる。栗色の髪の少女。そのぼんやりとした面影が、ロウェルに手を伸ばしている。
その少女が気付かせてくれた事、それは――
「その、サリア……ごめんよ」
「……は? 何がですか?」
グラスをロウェルに手渡そうとしたサリアが、怪しい物を見るような表情で彼を見つめた。
「この件についてなら、旦那様の帰宅後に改めて弁明した方が良いと思いますが」
「はは、また大目玉を食らうだろうな。いや、そうじゃなくて……」
グラスを受け取ったロウェルが、サリアを真っ直ぐに見る。目を逸らせば、再び忘れてしまうような気がしたから。
「俺はずっと、君との約束を過去の思い出として置きざりにしていた。君と見た夢を蔑ろにして、多くの時が経ってしまった」
「……人は変わるものです。貴方も私も、もう子供じゃ無いんですから」
彼女はいつもの様に、ただ事務的にそう返答する。それでもずっと合わせなかったその目線は、遂にロウェルの方に向いていた。
「でもサリア。……君も俺も、そんな事望んではいなかったんだ」
「……っ!」
サリアの表情に動揺が浮かぶ。彼女の震える声が、ゆっくりとその本心を紡ぎ出す。
「……わかっています。貴方を縛る家の鎖の事も、私達が親しくするには階級が違いすぎるということも。
でも、貴方があの日、騎士の息子になってしまったから、私も従者の娘になるしか無いではありませんか……!」
サリアの目尻に涙が浮かぶ。ずっとその思いを1人で抱えてきたのだろう。
「君のその優しさに甘えて、俺は与えられたままの運命に胡座をかいていたんだ。望みもしない人生を家のせいにして、君の事すら諦めていた。
今更、もう遅いかも知れないけれど……」
色褪せたあの日の思い出は、いつかまた鮮やかに塗られて行くことだろう。ラベンダーが咲く中庭の色を、ロウェルもサリアも決して忘れはしなかったから。
「――俺のバイオリンを、また聴いてはくれないか?」
鼻の先が赤くなったサリアが立ち上がる。手で目尻を拭い、ロウェルに背を向けた。彼を残したまま部屋の出口に向かって歩き、立ち止まる。
「……物置を、探しておきます」
そして、それだけ言い残した彼女は、振り返らずそのまま部屋を去っていった。
ベッドの上に腰掛けたまま、ロウェルは穏やかな表情を浮かべていた。部屋の窓は換気のために開かれ、春風が部屋に優しく吹き込む。
その向こうに見える中庭の景色を、ロウェルはもう見下ろさなかった。
そこには美しい花が咲いている事を、彼はもう知っているから。
〜〜〜〜〜
ロウェルの心象戯曲でのあの出来事から、幾ばくか時の流れたある晴れた日。ロレッタはエリーと共にのんびりと、人の賑わう帝都を散歩していた。
「あっ、見て見てエリー! 世界各地で採れた具材を帝都名産のパンで挟んだ『天下統一バーガー』だって! 美味しそうじゃない?」
「そのコンセプトでその名前は大分趣味悪いけどね……」
呆れるエリーを他所に、ロレッタは店の前の列に並ぶ。
受け取ったバーガーを大事に手に持ち、彼女は近くの公園のベンチに腰掛けた。
芝生と樹木、清潔な石畳の道。陽気な春の昼過ぎに公園では多くの人が思い思いに、幸せなひとときを過ごしていた。
ロレッタはウキウキした様子でハンバーガーの包み紙を解くと、大きな口で頬張る。
「んぅ、んぅうーーー!!」
「ハイハイ。美味しいのはその顔を見ればわかるから、黙って食べなよ……」
目を輝かせるロレッタに、呆れた顔でそれを見るエリー。
あっという間に、バーガーをお腹の中に流し込んだロレッタは、丸めた包み紙をポケットにしまう。そしてその代わりに、ある1冊の本を取り出した。
「この前の出来事も綴るのかい、ロレッタ?」
「うん、そうやってひとつひとつ紡いで行けば、いつか見つかるはずだからね」
それは彼女のこれまでの旅を、そこで訪れた心象戯曲を、彼女が記し残した旅の足跡。そのページをぱらぱらと捲り、やがて白紙のページに辿り着く。
「鎧が重く身体を縛っていても、夢を棄てなかった騎士の話。うん、このお話のタイトルは――」
魔法のペンを手に持つ。それは彼女の手にぴったりの大きさだった。
そのペンで、彼女は真っ白なそのページに、丁寧に思いを巡らせるように、1文字1文字紡いで行くのだった。
ロレッタ・ウィーレの舞台袖〜絡まる鎧と夢みる調べ〜
――完




