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第11話 ある日の約束

 帝国の歴史の重圧で、鋭く研がれた歴戦の斧。その刃が、子供の夢を断ち、弦を断ち、縁を断つ。子供はただそれを受け入れる事しかできないから、せめてその瞼を閉じるのだろう。

――第三幕『ある日夢みた劇場』


◇◇◇


 丁寧に手入れのされたラベンダーの生垣の間を、2人の子供が駆け抜ける。前を走る子供が振り向くと、その絹のような赤い髪が風に乗ってふわりと靡いた。


「ロウェル、何やってるの。早くしてよ!」

「ちょっと待てって、サリア……」


 後ろから少女の方へと慎重に駆け寄る子供は、両手にバイオリンを大切そうに抱えていた。

 少女は両手に腰を当てて、駆け寄る少年を待っている。少年の方が背が高いのにも関わらず、猫背になってバイオリンを抱えている姿はまるで主人に叱られる大型犬のようにも思えた。


「そんなにノロノロしていたら日が暮れちゃうよ!」

「転んで壊したらどうするんだよ。きっと俺達こっぴどく怒られるぞ……」


 そう言い合いながらも、切り株の前まで走ってきた2人の子供達。少女は目を爛々と輝かせながら椅子に座り、少年がおどおどしながら切り株の上へと登る。


 目の前に座ってぱちぱちと手を叩く彼女の前で、ロウェルはまるで名のある演奏家であるかのように深々とお辞儀をした。

 鎖骨にバイオリンを乗せ、弦にゆっくりと弓を置く。


 観客は1人。そして、世界一小さな演奏会が始まった。




「ねぇねぇ、最後のやつって新しい曲だよね! 今日1番に気に入っちゃった!」


 興奮しながらそう話すサリアの前で、切り株に腰かけたロウェルは照れくさそうに笑う。


「うん、この前劇場に行った時に聞いて、サリアが気に入りそうだって思ったんだ。だから、母上に言って楽譜を買って貰ったんだ。

結構間違えたけど、気に入ってくれたならもっと練習してみるよ」


「奥様は本当に音楽が好きなんだよね。ロウェルがバイオリンを始めたのもそれがきっかけだったっけ」

「うん、昔から母上は僕を劇場によく連れて行ってくれて……。そこでバイオリンに興味を持ったんだ。凄く楽しくて、最初は中庭で1人で練習してたんだけどね」


 ロウェルは膝にバイオリンを抱えながらそう話し、サリアの方を見た。


「そんなに音楽が好きならさ、今度、俺が父上と母上に言ってみるよ。父上の機嫌が良い時なら、サリア1人くらい一緒に連れてってくれると思うんだ」


「ううん、それはいいよ。旦那様には迷惑をかけるな、ってお母さんにキツく言われてるから。

それに、私が好きなのはただの綺麗なバイオリンじゃなくて、ロウェルのバイオリンだもん」


 きっぱりと言い放つようなサリアの答えに、思わずロウェルは顔を赤らめ、俯いた。


「っ! へ、変な事言うなよ……」

「え、そんな変な事言ってないよ?」


 不思議そうな顔をサリアが椅子から立ち上がると、ぐっと伸びをする。


「ねぇ、あれやろうよ。ミュージカルごっこ。

テレビでやってる『水溜まりの街』のドラマのやつ、弾けるでしょ?」


「またあの曲? まぁ、いいけど」

「やった! ほら、端っこ、よってよって!」


 大きな切り株の端にロウェルを立たせ、自らも切り株のステージへと上がるサリア。

 ロウェルの奏でるゆったりとした旋律に合わせ、スカートの裾を持ってひらひらと舞い始める。


「ロウェルはすごいね。こんな上手にバイオリンを弾ける人が身近に居るなんて」

「……俺なんて全然だよ。劇場に行けば俺なんかよりよっぽど上手い人が山程いる」


 曲が段々とテンポを上げる。サリアの爪先が心地よく切り株を鳴らす。


「知らないだけだよ。ロウェルの演奏を聴けば、みんな好きになるに決まってる」

「そうかな……。みんなが聴いてくれたら嬉しいな。もしそうなら、俺も劇場の演奏家みたいに大勢の前で演奏してみたいな」

「ロウェルなら絶対できるよ」


 曲はラストスパートを迎え、サリアは片足でくるくると回る。華奢な身体を反らせ、花弁が舞うかのように美しく。


「そうしたら、私も貯めたお小遣いで劇場に行くよ。ロウェルの演奏を聴きに。

あはは、私が居るって気付いたら緊張しちゃうかな?」

「する訳ないだろ。俺の演奏を1番聴いてるんだから」

「それもそうだね、あはは!」


 フィニッシュ、ステージから観客に向けてポーズを決める。

 しかしもうそこに観客は居ないから、代わりにサリアは後ろで演奏するロウェルを方に向いて、満面の笑顔でポーズを決めた。


「きっと帝国1番の演奏家になって、あの劇場で演奏してね。ロウェル!

私、絶対に1番前まで観に行くから!」

「……っ、うん。約束だ」


 ラベンダーの甘い香りがどこまでも続いていたその日常が、


――暗転した。




「ふん、武術の訓練を放ったらかしにして。いつまでこんなくだらない物に(うつつ)を抜かす気だ」


 ロウェルの自室。息子から取り上げたバイオリンを片手に抱え、威圧するように見下ろす父の前で、ロウェルは何も言わずにただ、床の赤い絨毯を見つめていた。


「雇った指導員から聞いたぞ。仮想訓練のスコアが停滞しているらしいな。訓練を怠けて遊んでいるのか」

「お、お言葉ですが、父上。指示された日課は毎日欠かさず実施しております」


 零れ落ちそうな涙を必死にこらえ、声を震わせながら絞り出したその言葉も、父が気にとめる事は無かった。


「では、日課の訓練時間が不足しているのだろう。お前ももう成長期に入る。ここでの身体の作り込みはこの先お前が死ぬまで影響するぞ」


 まるで死刑宣告をする裁判官かのように、眉一つ動かさず淡々と言葉を続ける。


「もうこんな物にくれてやれる時間は無いな。予定の無い日中は訓練に充てろ。

おいメイド。これは物置に閉まっておきなさい」


 ロウェルのバイオリンを手渡され、それを受け取ったのは30代程度の赤髪のメイド。

 彼女は気の毒そうに、俯いたまま微動だにしないロウェルと、部屋の外から不安そうにそれを覗き込むサリアを交互に見た。


「……これは、しかし、旦那様――」

「なんだ?」

「っ! いえ、申し訳ありません……」


 しかし、何もできることは無いそのメイドは、やがて申し訳なさそうにロウェルから目を逸らし、外で待つサリアの手を握ってその場を後にする。


 続けてロウェルの父も、肩を震わせながら俯く息子に一瞥もせずそのまま部屋を立ち去ってしまう。

 やがてその部屋には涙を堪えるロウェルと、


 

 その一部始終を舞台袖から見ていた、ロレッタ達だけが残った。

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