ベルヘイム遠征軍1
ふと気づいたその時、風が海から吹きつけてくる。
航太がその冷たい風を感じていると、遠くから誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。
「航兄! 動くなって言ったでしょ! 探すの大変だったんだから!」
その声の主、駆け寄ってきたのは一真だった。
かなり辺りを探し回ったのか息を切らし、その顔には疲労感が伺える。
一真と合流できた事に絵美は驚き、目を見開いてネイアに視線を向けた。
「すごーい! カズちゃん、本当に来た! ネイアさん、まるで魔法使いだね!」
(いや多分……間違いなく、本当に魔法使いだろ! てか、まずは一真の心配しろよ……)
航太は心の中でつっこみつつ、まだ呼吸が整っていない一真に声をかける。
「悪いな……一真を探そうと思った時に、女性の悲鳴が聞こえたんだよ。で、助けてたんだ。一真にナンチャラって魔法で場所を伝えたから、ここで待てばいいって言われてよ。なんで、色々と聞きながら待っていた訳だが……」
「だからぁ……探すんじゃなくて、動かないでほしかったんだけど! でも皆んなが無事で、本当に良かったよ」
航太は一真に謝りつつ、これまでの経緯を説明した。
その時、一真とネイアの目が合っている事に気付く。
「どうした、一真?」
「ん……いや、何でもない。彼女の手、人助けをしている人の手だなぁと思って。手の消毒をしなきゃいけないから、乾燥してボロボロになっちゃうんだ。魔法の発達している世界で、それだけ傷ついた人達と向き合っている。間接的に治療しているんじゃなくて、直接触れて治療しているんだろうなぁ……ってね」
一真の言葉で航太はネイアの手の平に視線を移すが、手荒れをしているかと言われると……そこまででは、無い気がする。
「カズちゃん! 女性の手がボロボロとか、失礼だぞー」
「いえ、事実ですから……それに患者さん達に向き合っていると言って頂けるのは、医療部隊の部隊長としては誇らしい事です」
ネイアは一真に笑顔を向けると、軽くお辞儀した。
先程までの疑念を抱く表情は、まるで消えている。
「ネイアさんは、医療部隊の部隊長なんだろ? なら一真、ネイアさんの元で軍の医療ってヤツを勉強するなんてどうだ? 結構、イイ機会なんじゃねぇか? まぁ、軍の部隊に簡単に入れる訳ねぇーと思うが……」
冗談半分で言ったつもりの航太だったが、予想に反してネイアは満更でもない顔をしていた。
「ネイアさんや軍の人達が許可してくれるなら、勉強してみたいけど……航兄の言う通り、そんな簡単にはいかないよ。それに、航兄達は軍に入るつもりなの?」
そう言う一真は、何故か左腕を押さえている。
見れば一真の左腕から血が流れ、走って来た方角の砂浜に赤い点々が続いていた。
「ちょっとカズちゃん、どうしたの! その傷、血が出てるよ!」
智美が鋭く気付き、声を上擦らせる。
「大変でしゅ~。血が、出てるでしゅよ~。プシュー」
ここぞとばかりに、ガーゴが騒ぎ出す。
「何? このアヒル……の、ヌイグルミ? ガーゴじゃないか……なんで、動いて喋ってるの?」
傷の痛みを忘れた一真は、動くヌイグルミのガーゴを見て目を丸くする。
「最初は、皆んなそういう反応になるよな……エリサさん、一真の腕って治せます?」
航太が尋ねると、エリサはコクリと頷いて一真の腕を取った。
「傷は深いですが、治せると思います。少しの間、動かさないで下さいね」
エリサはそう言って、一真の傷に手をあてる。
すると手から淡い光が溢れ出し、一真の傷は一瞬で塞がっていく。
「ありがとうございます。血が流れてたから、塞いでもらって助かりました」
血が止まった事を確認した一真は、治った左腕を振って見せる。
「魔法って……凄いですね! 傷が一瞬で治っちゃった!」
智美は、目を輝かせながら言う。
「そんな……結構深い傷に見えたのに、一瞬で治るなんて。ネイア……さん?」
智美の声も聞こえないぐらい驚いたエリサは、呟きながらネイアを見た。
ネイアは小さく首を横に振ると、それ以上詮索するなとエリサに目で訴えている。
「エリサさん? どうかしました?」
「いえ、その……そうだ、魔法も万能じゃないんですよ! 無から有を作り出すことはできないんです。例えば火の魔法を使うなら、火種や火を起こす何かが必要なんです。治療をする場合は、本人の持っている治癒能力を上げて回復させるんですよ。高位の魔法使いの方や、特殊なアイテムを持っていれば、無から有を作り出す事も出来るんですけど……」
智美に声をかけられたエリサは、驚きを表に出さない様にしながらネイアに助けを求める。
「その点Myth Knightの皆さんは、神器の力を引き出して無から有を作り出すことができます。本当に、神に選ばれた英雄なのです。人々をヨトゥンの脅威から救う、希望の光なんですよ」
ネイアの口調から、彼女がMyth Knightを心から尊敬していることが伝わった。
「一真さんも、神器を使えるんですか? 先程の話ですと、暗黒龍を祓う力を宿す『グラム』という剣……」
エリサが一真の顔を覗き込みながら、訪ねる。
一瞬で傷が治った秘密のヒントを、一真の表情から少しでも得ようとしたのかもしれない。
「俺は……違うよ。仮に、暗黒龍を祓う程の剣の力を引き出せる……そんな力があれば、怪我なんかしないよ。俺は、ただの看護師の卵……医療現場で働く事を目指している、ただのヒヨッコだよ」
一真は笑いながも可愛い女性の顔を近くに感じて、顔を赤くしながら首を振って否定した。
「おっ……カズちゃんは、エリサさんがお気に入りですかぁ~。なになに、お姉さんが相談に乗るぞー」
絵美の言葉で一真の顔が近くにある事に気付き、今度はエリサが顔を赤くして離れる。
「何をやってんだか……ところで、お2人さんはこんな海辺で何してたんだ? よく分かんねぇが、こんな暗い場所で女性2人だけってのは危なかねぇか? 現に、ヨトゥンってのに襲われた訳だし……」
航太は、エリサとネイアに尋ねた。
「いえ……確かに、その通りなんですけど。ここは、もうヨトゥンの領土みたいなモノだし……」
「まぁまぁ、航兄。皆んな助かったんだし、いいじゃないか。軍の命令で来てるなら言えない事もあるかもしれないし、詮索しなくても……」
言い淀むネイアを気遣い、一真が助け舟を出す。
「いや、理由ぐらい尋ねてもいいだろ? オレらも散々聞かれたし、怪しまれたりもしたんだからな!」
スパーーン!
航太が声を荒げた瞬間、ガーゴがどこから取り出したのか……トイレのスリッパを持って、航太の頭を思いっきり引っ叩いた。
「痛ぇ!」
「痛ぇ! じゃ、ないでしゅ〜。デリカシーのない男は、嫌われましゅよ~。あ、もう嫌われてましゅ? そうでしゅか、そうでしゅか~」
後頭部を押さえて震える航太に、ガーゴが追い打ちをかける。
「アヒル野郎……いい度胸だな! 覚醒したMyth Knightの力、見せてやんよ!」
「最近覚えた言葉をソッコーで使うと、頭悪そうにみえましゅよ~。あ、もう悪かったでしゅね! ごめんでしゅ~」
話そっちのけで、怒りに染まった航太とガーゴの追いかけっこが始まった。
「ナイスぅ! ガーゴ!」
絵美がガッツポーズでガーゴの応援を開始し、智美はネイアに向けてウィンクする。
「2人とも、ごめんなさい。航兄は、あれで結構頼りにもなるし頭も悪くはない……と、思うんだ。ただ、状況に流されやすいと言うか……」
一真はそう言うと、近くに落ちてたバケツを拾いエリサに差し出す。
「えっ? ああ……ありがとうございます! 一真さん」
一真の考えを理解して、エリサは感謝しながらバケツを受け取る。
「くっそー、あのアヒル野郎……逃げ足だけはクソ早ぇ! そうだ、こんな真夜中に海辺で何をしてたんだ? って話をしてたんだったな!」
空気の読まない頭の良さを発揮した航太は、直前までの話題を思い出していた。
「患者さんの傷を洗ったりする、水を運ぶために来たんです。最近の戦闘で、怪我をした兵が沢山いて……気が動転して、忘れてしまっていました」
自分の仕事を思い出したフリをしたエリサは、バケツに水を汲もうと動き出す。
「海水でやるのか? 傷を洗うなら、綺麗な水でやるだろ? それに、力仕事は男の仕事だぜ! なんで女性が、そんな重たいバケツを運ぶ必要がある? 適材適所ってヤツが、あるだろ?」
航太は疑問を口にするが、その言葉にネイアは怪訝な表情を浮かべる。
「水を運んだり、傷の手当てをするのは女性の仕事です。それに、海水というのは何ですか? 湖から汲む水も、川から汲む水も変わらないですけど」
「戦争中は男性が命を賭けて戦うから、私たちも出来る事を頑張らなきゃいけないんです。航太さんは、優しいんですね。重い物を運ぶのは男性って、なかなか言ってくれないですよ。それに、治療で使う水は魔法で綺麗にするんです。なので、どこの水でも関係ないんですよ」
ネイアの少し棘のある言葉を聞いて、エリサは慌てて柔らかい言葉で話を引き継いだ。
「そうなんですね! 私たちの住んでいた地域では大きな湖を海って呼んでいて、その水には塩が混じっているの。そのまま使うには適してなくて、濾過したりする事が一般的だったから……」
航太が喋ると、ややこしくなる……そう感じた智美が、急いで取り繕う。
「じゃあ、俺が手伝うよ。航兄達みたいに戦う力もないし、こんな事くらいしか手伝えないからね!」
一真はエリサのバケツを奪うように受け取ると、その中に水を満タンまで入れる。
「ありがとう……ございます」
呆気にとられるエリサを横目に、ネイアは踵を返す。
「では皆さん、我々の夜営地に案内しましょう。おそらく今夜、泊まる場所も無いのでしょう? 助けて頂いたご恩ぐらいは、返せると思いますので」
そう言うと、ネイアが先頭に立って歩き出した。
「ありがとうございます! 正直、今夜の事は何も考えていなくて……みーちゃん、行くよ! 今晩の寝床を、用意してくれるって!」
智美が、まだじゃれ合っている絵美とガーゴに声をかける。
「まぢ! やたー、野宿回避! ラッキーだったね!」
「お風呂に入るでしゅ~。砂で汚れたから、お風呂で洗い流すでしゅよ~」
「てめーは、付いてくんな! うっとうしぃ!」
やれやれ、騒がしい旅になりそうだ……




