作られた伝承
「皆さんも私たちの言葉、分かるんですよね?」
智美の疑問に、栗色の髪の女性が軽く頷き口を開く。
「それは、私が真言の魔法を皆さんにかけたからですよ。異国の者と出会えば、真言を唱えるのが常識なので……と言うより、見知らぬ人と出会ったら反射的に魔法を使ってしまうんです。でも、ベルヘイムでは不思議な事ではありませんが?」
栗色の髪を夜風に靡かせた女性が、首を傾げた。
月光がその瞳に淡い影を落とし、わずかな不安と好奇心が揺らめく。
まるで、未知の旅人を前にした子供のように……
「真言を用いれば、相手の言葉が我々の知識の中で最も適した言語に瞬時に翻訳されるのです。それで、あなた方はどこの国から来られたのです? 基本的な魔法の知識も、神剣を使う騎士の呼び名も分からない……ヨトゥンでも知っているような事を知らないのは、何故なのです?」
黒髪の艶やかな女性が、鋭い瞳で航太を見る。
明らかに、疑念が籠っている視線だ。
「それは……驚くべき魔法だな! これまで語学を学んできた自分が、虚しく思えてくるな! んで、どこの国……か。難しいが、この海の彼方ってトコか?」
航太の声は遠くを見つめるような響きを帯び、まるで彼岸から語りかけるかのようである。
本質の違う話を勢いだけで押し通そうとする、いつもの悪癖。
心の奥底では、焦りと不安が渦巻いているのに、表面だけは笑顔を張りつける。
しかし当然、そんなもので誤魔化せるはずもない。
「海って、何ですか? この湖の向こうは、私たちの国ベルヘイムですよ?」
黒髪の女性の表情が、当然の疑問に染まった。
眉が寄り、瞳に困惑の色が濃くなる。
「これって、湖の扱いなんだ。まぁ……そんな事はさておき、真言って魔法は本当に素晴らしいね! ねぇねぇ、魔法で他に何か出来る事はないの? 私達の国って、魔法とか使える人が少なかったからー」
絵美が咄嗟に、話題を逸らす。
心臓が早鐘のように鳴り、喉が渇く。
無理矢理作った笑顔の裏で、必死に平静を装う。
「うーん、そうですね……」
栗色の髪の女性は、深淵を覗くように考え込んだ。
その視線が、絵美の胸に抱かれたアヒルのヌイグルミに留まる。
「私の魔法程度では、出来る事は少ないですが……ちょっとの間、動かないで頂けますか?」
まずは、自分たちを信じてもらおう……栗色の髪の女性は、そう決めたのだろう。
絵美に向けて、そっと手を広げた。
優しい光が、夜の闇を照らす。
「ちょっと……何?」
絵美が、驚愕で身を竦める。
背筋に、冷たいものが走った。
しかし、その瞳の奥に期待の光がちらつく。
「すぐに……終わりますよ。驚いてくれると、嬉しいですけど」
その笑顔は、絵美を安心させるのに充分な優しさに満ちていた。
栗色の髪の女性は、奇妙な呪文を紡ぐ。
声は透き通り、神秘的に響いた。
すると絵美の体から、星が生まれるように光が溢れ出し、球体となって集まる。
その光が、アヒルのヌイグルミに吸い込まれていく。
温かく、優しい光。
まるで、魂の欠片が舞うように。
そして、次の瞬間……
「ががががががが、ガーゴでしゅ~~」
絵美に抱かれたアヒルのヌイグルミが、突如として動き出す。
絵美の腕から逃れ、砂浜を転がりながら言葉を紡ぐ。
航太たちは、自分たちの目を疑った。
奇跡の光景に、息を呑む。
智美は驚きの表情を浮かべ、絵美は歓喜の叫びを上げる。
「いかがですか? 驚いてもらえたみたいで、良かったです」
栗色の髪の女性は、呆然とする3人を見て、満足げに微笑んだ。
胸の奥で、安堵の溜息が漏れる。
「す……すごーい! ガーゴが、喋ったぁ!」
絵美は、夢を見ているかのように飛び跳ねた。
喜びが爆発し、アヒルのヌイグルミと共に砂浜を駆け回る。
「でも……一体、どうやって?」
智美は信じられない思いで走り回るアヒルのヌイグルミを見つめ、栗色の女性に問いかけた。
声が震え、興奮が抑えきれない。
意思を持って動き回るアヒルのヌイグルミに、理解が追いつかないでいる。
「彼女の魂の一部を、アヒルの人形ちゃんに移したんですよ。命のカケラを分け与えた感じですかね? あっ、自己紹介がまだでしたね! 私はエリサ・プロッサム、治療系魔法専門のヒーラーです。こちらはネイア・ペンティス、軍で医療部隊の部隊長を務めています。先程は、本当にありがとうございました!」
エリサは、なんとか航太達に歩み寄ろうとしていた。
その気持ちが伝わり、心が温かくなる。
しかし黒髪の女性ネイアは、不審感を払拭できずに鋭い視線を航太たちに注ぐ。
軍人としての義務感が、疑念を掻き立てているのだろう。
「ネイア……と、申します。先ほどは危険なところを救っていただき、ありがとうございました。そして私たちは、ベルヘイム軍に従軍しております。軍属である以上、失礼だとは思いますが正体不明な方々と馴れ合う訳にはいきません。人とヨトゥンが戦っているのは、子供でも知っている常識……そもそも、ヨトゥンの存在すら理解していないようでしたね。あなた方、本当に一体何者ですか?」
その冷静で鋭い問いに、和やかだった空気が一瞬で凍りつく。
冷たい風が、肌を刺す。
ネイアの鋭い視線に晒され、固まる3人。
心臓の音が、耳に響く。
そんな様子を見ながら、エリサが笑顔でアヒルのヌイグルミ……ガーゴを捕まえる。
そして優しい手つきで、暴れるガーゴを抱きしめた。
「ネイアさん……今は作戦行動中でもないんですし、命の恩人達に詮索するのはやめましょうよ。私たちを助けるために、ヨトゥン兵と戦ってくれた。そして、見事に撃退してくれた。それだけで、十分じゃないですか?」
エリサはまるで天使のように優しくガーゴの頭を撫で、場の緊張を解きほぐす。
心の底からの、感謝と信頼が溢れる。
航太は、そんなエリサの配慮に感謝していた。
が……アヒルのヌイグルミだけは空気を読まず、エリサの腕の中で暴れ続ける。
「何するでしゅか~。離すでしゅ~! スーパーくちばしアタックを、喰らわせるでしゅよ〜」
騒ぎ続けるガーゴに視線が注がれ、智美が堪えきれずに吹き出した。
緊張が溶け、温かな笑いが広がる。
「ごめんなさい……私たちも色々あって、緊張していたからパニックになってしまって。戦争中で急に世間知らずの人が現れたら、警戒するのは当然ですね。でも、どうしたら信じてもらえるかな?」
智美は航太に目配せし、助けを求めた。
瞳に、切実な願いが宿る。
航太は深い溜息をついてから、自己紹介と共にこれまでの経緯を話し始めた。
異世界から来たことは伏せつつ、先祖や義弟の希望を叶えるために辺境の小さな村から出てきたこと。
神剣を守るために外の世界から隔離された村だったので、常識に疎いことを付け加えた。
航太の言葉に続いて、智美が語り出す。
声は穏やかだが、心は複雑に揺れる。
『混沌の夜明けに神々が時空を裂き、5つの星を地上に落とした
創世の矛である『天沼矛』
水の吐息は『草薙剣』と『天叢雲剣』
風の囁きは『エアの剣』
暗黒龍を祓う『グラム』
5つの神器は、希望の光を支えし力
神器が力を取り戻した時、世界は再び朝を迎える……』
「私達が育った地域に伝わる、伝承です。神器を守る者は、外の世界を忘れて接触を断つ。神器の存在が、外の世界に漏れない為に……そして、私達は最後の伝承者。だから、ごめんなさい。本当に、何も知らないの」
智美の声は、まるで古の吟遊詩人が蘇ったかのように美しく響く。
月光が、剣の鞘に冷たく反射する。
智美の調べに、ネイアの瞳が揺れた。
幼い頃に王宮の炉端で聞いた子守唄が、胸の奥で蘇る。
幼い頃に、聴いていた詩とは違う。
それでも、似ていた。
『鳳凰の翼と、龍皇の翼
支えし力が蘇る時、再び光の神が降臨する
暗闇を払う光を放ち、世界は朝を取り戻すだろう
凍てついた大地に花が咲き、ヨトゥンの咆哮は風に変わる』
ベルヘイムの軍旗にも縫い込まれた、希望の詩。
そもそも、3人もの神器の使い手が突然現れる事が不自然だ。
「こちらこそ、ごめんなさいね。エリサの言う通り……助けてもらっておいて、失礼な物言いでした。確かに、神器を守るために外の世界と断絶した地域があってもおかしくないでしょう。4つもの神剣が揃っていることも、理解が出来ます」
ネイアの声に、ようやく柔らかさが戻る。
疑念が晴れ、感謝の色が浮かぶ。
「いや、実はもう1つある。さっきから話に出ている義理の弟が持ってるんだ。合流したら紹介するよ」
ネイアの疑惑が晴れたのを確認し、航太はほっと胸を撫で下ろす。
「智美、助かったぜ! 咄嗟に、よく考えついたな?」
「うちの神社に伝わる伝承を、少しアレンジしたの。上手くいって、良かったわ」
肩の力が抜け、疲れが一気に押し寄せた。
それでも、もう一つだけ聞かなければいけない事がある。
「ところで、命をカケラを使ったって……絵美の体は、大丈夫なんですか?」
智美は湖畔でガーゴと戯れる絵美を見ながら、エリサに尋ねた。
「ええ、大丈夫です。魂と命の情報を移動しただけですから、体には害はありません。絵美さんの記憶も移動してますので、あなた方のことも理解してると思いますよ」
エリサは笑顔で、絵美とガーゴのやり取りを眺める。
自然と心が温かくなり、喜びが静かに広がった。
「しかし、絵美が2人か……これから、騒がしくなりそうだな」
航太がこの日、何度目かの溜息をつく。
疲労と諦め、そしてどこか楽しげな予感。
「あー、航ちゃん! 今、私のこと馬鹿にしたなぁ~」
「馬鹿にしたでしゅ~。航太のくせに、馬鹿にしたでしゅ~。ムカつくでしゅ~」
絵美とガーゴのダブル攻撃に、航太もついに沈黙する。
だが……その沈黙の奥に、微笑みが隠れていた。




