目撃 〜星空の下の混乱〜
夜の帳が下り、冷たく澄んだ風がゼークの頬を刺すように撫でる。
酒場の喧騒と笑い声が、まだ耳の奥で微かに響いていた。
飲んでもいないのに熱を持った身体に、夜風はまるで救いのように心地よい。
星々が鋭く瞬く空の下、ゼークは一人で静寂に身を委ねる。
「ふぅ……みんな、連戦でヘトヘトだよね。私、随分と休ませてもらっちゃったな……よし、明日からまた気合い入れて頑張らなきゃ! ファイトよ、ゼーク!」
両腕に力を入れて、自ら胸を叩いた。
そして軽く伸びをし、首を回して深く息を吐く。
吐息は白く夜に溶け、ゼークの心をほんの少し軽くした。
だが……その刹那、穏やかな夜は不意に揺らぐことになる。
「さ・て・と……そろそろ、寝処に戻ろうかな。剣の訓練も、ちゃんと再開しないと! 航太に追い抜かれたりでもしたら、本気で笑ってらんないわ……」
そう呟き、ゼークは踵を返す。
その瞬間……フードを被った男が、幽鬼のようにゼークの視界を横切った。
月光の下、男の足取りは急いでいる。
まるで、闇に追われるかのように速い。
ゼークの存在など、まるで見えていないのだろう。
その顔を見たゼークの心臓が、跳ね上がる。
そして、その男の右手……そこには、さらに驚きのものが握られていた。
(エアの剣? どうして、彼が? 航太にしか、持てない神剣のはずなのに!)
確かに男の手には、航太のエアの剣が握られている。
その輝きは夜の闇を切り裂くように鋭く、ゼークの目に焼きついた。
「ちょっとーって、わぁ!」
驚愕に息を呑み、声を上げようとしたその瞬間……ゼークの肩に、冷たい手が触れる。
小さくない悲鳴が、ゼークの喉から漏れた。
振り返ると、そこにはネイアが立っている。
人差し指を唇に当て、ネイアの瞳はまるで深淵のような暗く鋭い光を宿していた。
いつもは冷静沈着なネイアの顔に、今は異様なまでの緊迫感が刻まれている。
「ネイアさん、ちょうど良かった! 今、航太のエアの剣を持った男が……」
ゼークの言葉は、ネイアの素早い手によって遮られた。
ネイアの細い指がゼークの口を強く塞ぎ、言葉を飲み込ませる。
「ゼーク……何を見たかは、聞かない。でも、今見たものは全て忘れて……」
ネイアの声は低く、まるで呪文のように重くゼークの頭に響く。
ゼークは目を大きく見開き、混乱と疑問が頭の中で渦を巻いた。
頭の上に「?」が浮かんでいるかのような表情で、ゼークはネイアを見つめる。
だがネイアの瞳は揺るぎない決意に満ち、どこか悲しげな影を帯びていた。
「今日……これから起こることは、きっと奇跡となるわ。明日には、きっと遠征軍を揺るがす大騒動になる。でも、それはすべて航太が成し遂げたことにしてほしいの。今ゼークが見た人は、航太だと思って!」
「ちよっと、ネイアさん? 何を言ってるのか、全然意味が分からないんだけど……」
ようやく口を解放され、ゼークの声は混乱と苛立ちに震える。
普段は理路整然と部隊を導くネイアが、こんな曖昧で切迫した言葉を口にするなんてありえない。
ゼークの心は、まるで嵐に翻弄される小舟のように揺れ動いた。
「今……理由はわからないけど、レンヴァル村がヨトゥン軍の攻撃を受けているの。彼は、その鎮圧に向かったのよ」
「レンヴァル村? だって、レンヴァル村はヨトゥン領だよ。なんでヨトゥンが、自分の領土を攻撃するの? 指揮官の頭がイカれて、自分達の支配下にある事を忘れてるとか?」
ゼークの冗談めかした言葉にネイアは一瞬だけ唇を緩めたが、その目は笑っていない。
深い闇のような瞳が、遠くを見据えている。
そこには、ゼークの知らないネイアがいた。
「ねえ……ネイアさん、ホントにどうしたの? 何か、あったの? 私で良ければ、相談に乗るけど……」
ゼークの言葉に、ネイアは言葉を詰まらせる。
しかし……すぐに決意を固めたように息を吸い、言葉を紡ぎ始めた。
「そう……ね。とにかく、彼の存在……彼の力はベルヘイム軍にも、ヨトゥンにも知られてはいけないの。お願い、ゼーク。今は、私の言う通りにして!」
いつもは毅然としたネイアの声が、まるで祈るように……懇願するように、震えている。
ゼークの頭は、混乱の極みにあった。
エアの剣を持った謎の男。
レンヴァル村への不可解な攻撃。
そしてネイアの必死の訴え。
すべてが悪夢のように絡み合い、ゼークを飲み込もうとしていた。
「ねぇ、ネイアさん。とりあえず、今やらなきゃいけないのはレンヴァル村を救うことじゃないの? ヨトゥン領だろうと、人間の村が攻撃されてるなら見過ごせないよ! 少なくとも、私はレンヴァル村の人々を救いたい!」
ゼークの脳裏に、酒場での楽しかった光景が蘇る。
ランカストの英雄譚を語り合い、笑顔で杯を交わした村人たちの顔。
彼らの温かな笑い声が、胸を締め付ける。
見捨てるなんて、できるはずがない。
「ゼーク……信じられないかもしれないけど、彼に任せておけば大丈夫なの。明日は私とアル……アルパスター将軍の話に、合わせて。お願い……」
「アルパスター将軍まで、関わってるの? 冗談でしょ? 航太や絵美より戦闘力が劣る彼が、一人で何ができるっていうの? レンヴァル村の人たちを、見捨てるってコトなの?」
ゼークの声は、怒りと焦燥に燃え上がっていた。
すぐにでも剣を手にレンヴァル村へ駆けつけ、一人でも多くの命を救いたい。
その衝動が、ゼークの全身を駆け巡る。
しかしネイアの言葉には、総指揮官アルパスターの意志が含まれているのだ。
勝手に出撃すれば、軍規違反として裁かれる可能性が高い。
「ゼーク……今は、私たちを信じて。レンヴァル村は、大丈夫……だと、思うから」
ネイアの声は、まるで最後の希望を託すような祈りが含まれている。
ネイアの瞳には、ゼークがこれまで見たことのない深い決意と……どこか、諦めにも似た悲しみが宿っていた。
(レンヴァル村に、援軍を送る気はないってこと? それに航太にしか持てないエアの剣を、彼が持っていたのも理解できないし! もう、訳がわからないわ!)
ゼークは、満天の星空が彩る夜空を見上げる。
星々の冷たい光が、まるでゼークの混乱を嘲笑うように瞬く。
叫びたい衝動を必死に抑え、ゼークの心は嵐のように荒れ狂っていた。
そして今、レンヴァル村を舞台にした戦いの幕が上がる。
航太の知らぬところで、エアの剣を手に闇に消えた男によって……運命の歯車が静かに、しかし確実に動き始めていた。
読んで頂き、ありがとうございます!
前回は一真が「単独の決断」を下し、夜の闇に消えていきました。
そして今回は、その直後のゼークの視点です。
エアの剣を握ったフードの男を目撃したゼーク。
そんなゼークに気付いた、ネイアの必死の訴え。
「すべて航太がやったことにしてほしい」
その言葉の裏には、どんな想いが込められているのか?
秘密を抱えた男が、炎に染まるレンヴァル村で何を成し遂げようとしているのか?
その戦いが、遠征軍にどんな衝撃をもたらすのか?
ゼークの混乱とネイアの祈りのような声が、皆さんの胸に少しでも残れば嬉しいです!
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