単独の決断 〜偽りの風の騎士〜
幕舎に足を踏み入れた瞬間、アルパスターの鋭い視線がガヌロンを見据えた。
薄暗い灯火が二人の顔を照らし、揺れる光が壁に長い影を落としている。
空気は張り詰め、息を呑む音さえ聞こえそうなほど静まり返っていた。
外では風が低く唸り、遠くで兵士たちの疲れた足音が断続的に響く。
アルパスターは、口早に切り出した。
「すまんガヌロン、遅くなった。早速だが、話を聞こう」
アルパスターの焦りを感じたガヌロンは、直ぐに姿勢を正し慎重に言葉を選ぶ。
地図を広げようとする手が、わずかに震えていた。
「はっ……しかし、ネイア殿に話を聞かれても大丈夫ですか? ホワイト・ティアラ隊の隊長だとしても、戦闘には関与しない部隊の長です。できるだけ、内密にしたいのですが……」
アルパスターは片眉を上げ、落ち着いた声で答える。
隣に座るネイアの気配を意識しながらも、声の調子は変えなかった。
「ホワイト・ティアラ隊にも、レンヴァル村の関係者がいる。我々の部隊と、同様にな。なので構わん、話を続けてくれ。レンヴァル村の状況は、どうなっている?」
ガヌロンは静かに頷き、レンヴァル村を中心とした地図を広げる。
羊皮紙の上に描かれた山々と川が、灯火の下で微かに輝く。
指先で村の位置を示しながら、低い声で報告を続けた。
「現在確認できている状況としては、部隊を率いているのはスリヴァルディ。そして、約百の軍勢でレンヴァル村を包囲しているようです。炎が上がっているとのことなので、もう制圧されている可能性もありますな……」
ガヌロンの言葉を聞きながら、アルパスターは眉間に皺を寄せる。
拳を机の上で握りしめ、静かに息を吐き出した。
「スリヴァルディは、確かロキの部隊の将だったはず。ロキ支配下の村に、なぜ攻め込む必要がある? 村人が反旗を翻したという報も、受けてはいないしな」
「逆に、スリヴァルディがロキから離反したと考える方が自然かもしれませんな。人間であるフェルグスより序列が下であることを、よく思ってないと聞いたこともありますからな……」
ガヌロンはレンヴァル村の地図を見ながら、続ける。
声に、わずかな焦りが混じっていた。
「仮にレンヴァル村が制圧されていた場合、我々が軍を動かしたと知れば村人が犠牲になる可能性が高いと思われます。スリヴァルディならば、村人を人質にするぐらいはやると考えておいた方がいいでしょう」
「人質か……その程度のことは、やりそうだな。だが、制圧地の民に……いや、そんな人道など通じぬ相手か!」
アルパスターの声には、強い苛立が混じる。
喉の奥で低く唸るような響きが、幕舎の空気をさらに重くした。
「将軍の言う通り、レンヴァル村はヨトゥン領とはいえ人間しか住んでいない村です。人道的な対応など、期待しない方がいいでしょう。それと、もう一つ……連戦で、我が軍の兵は疲弊しています。鎮圧部隊を送るなら、人質のことも考慮し少数精鋭がいいかと。村人が全滅する可能性もあります」
アルパスターは、無意識に隣に座るネイアに視線を向ける。
ネイアの横顔は静かで、灯火が長い睫毛に影を落としていた。
ネイアは神妙な面持ちで頷き、静かに立ち上がる。
椅子が、小さく軋む音がした。
「ホワイト・ティアラ隊も、準備を進めます。村人の治療が必要になるかもしれないし、ヨトゥン兵との戦闘も覚悟する必要があるわ。少数精鋭となれば、航太やゼークの力が必要になるでしょう。私から、伝えておきますね」
「分かった。よろしく、頼む。疲労のことを考えれば、オルフェに出てもらうのが一番だが……さすがに、難しいか」
アルパスターの声は重く、決断に迷いがあった。
戦いの疲労が癒えていない兵が大半を占めている。
疲労困憊の中、出撃するのはヨトゥン領……いくら人を救うとはいえ、敵の民だ。
そして、航太と絵美の力が戻っているか不明。
ゼークは負傷明け、オルフェは部隊に合流直後だ。
すべてが不確かなまま、時間だけが過ぎていく。
「将軍……迷っている時間は、あまりありませんぞ。犠牲を減らすには、迅速に動かなくては……」
「ガヌロン様、将軍も分かっておられる。だけど、焦りは判断を曇らせます。私達は私達で、できる限りの準備をしましょう」
ネイアはガヌロンに一礼し、幕舎の外へと出る。
重い布の入口をくぐると、夜の冷たい空気が頬を撫でた。
星空は雲に遮られ、遠くの山並みだけが黒い影として浮かんでいる。
そこに、一人の男が待っていた。
パーカーのフードを深く被り、顔を隠したその男が静かに口を開く。
声は低く、しかし芯が通っていた。
「ネイアさん……話、聞かせてもらいました。オレが、行きます。話を聞く限り、部隊を動かせば人質になっているであろう村人が危険に晒される。一人で行って、レンヴァル村を救ってみせます。村人を、一人でも多く救い……オレの顔を見た敵は、必ず仕留める。その覚悟で、戦ってきます」
ネイアは男の決意を感じ取り、幕舎の方を一度見る。
灯火の光が布の隙間から漏れ、静かに揺れていた。
そして、静かに頷く。
「あなたは、これからの戦いに絶対に欠かせない人。でもね、それだけじゃない。ホワイト・ティアラ隊にとっても、大切な存在なの。命も心も、絶対に無駄にしないで。何も失わずに、必ず生きて帰ってきなさい! これは、隊長命令です!」
「了解です、隊長。義兄の……風の騎士を、完璧に演じてみせます。そして、何事もなかったように戻ってきます」
男は深く頭を下げ、夜の闇の中へと消えた。
足音は、すぐに風に溶けるように聞こえなくなる。
フードの影だけが一瞬、闇に溶ける前に残った。
その背中を見送りながら、ネイアの隣に歩み寄ったアルパスターが呟く。
声は低く、ほとんど独り言のようだった。
「彼なら、大丈夫だ。戦う力も、心の強さも持っている。夜の闇が彼の秘密を隠し、レンヴァル村を救ってくれる。風の騎士か……伝説に、なるだろうな」
ネイアは小さく頷き、囁くように言う。
心配の色が、声の端に滲んでいる。
「その力は、信じているわ。でも、彼は優しすぎるの。無理に、力を使い過ぎてしまわないか……それだけが、心配よ」
アルパスターは、ネイアの言葉に静かに同意する。
視線は、男が消えた闇の奥を見つめたまま動かなかった。
「だが……救えるのに守れないまま待つより、ずっとましだ。今回は、自分の手で守れるのだからな……」
その声は、夜の闇に溶けるように消えていく。
レンヴァル村の空は血のように赤く染まり、戦火の炎が天を焦がす。
村人の叫びが響き、ヨトゥン兵の咆哮が轟く。
炎の熱が風に乗って届くような錯覚さえ、遠くの幕舎にいる者たちに感じさせる。
そんな中、小柄な騎士は運命に立ち向かう。
夜の彼方で、星々が静かに瞬く。
雲の切れ間から、わずかな光が地上を照らした。
小柄な騎士の戦いは、まだ誰の口にも上らない。
ただ……
彼の剣が……
彼の瞳が……
彼の翼が……
夜の向こうで、静かに動き出そうとしていた。
読んで頂き、ありがとうございます!
前回はネイアが初めて「凰の目」を目の当たりにし、希望と覚悟を同時に受け止める場面でした。
そして今回は、その希望が実際に動き出す瞬間です。
部隊を動かせば、村人が危険に晒される。
そんな状況の中で、彼は自ら一人で夜の闇に消えていきます。
「優しすぎる」というネイアの言葉は、ただの心配ではなく、凰の目がもたらす代償を予感させるものでもあります。
風の騎士として、秘密を守りながら戦う彼の姿。
その勇姿を、ぜひ見届けて下さい!
レンヴァル村の空が血のように赤いのは、絶望だけを意味するものではない。
奇跡すら超越する戦いが、そこにある!
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今後とも、よろしくお願いいたします。




