安堵の夕暮れ 〜血の匂いが残る風の中で〜
ランカストは航太と絵美、そしてガーゴのやり取りを静かに見つめる。
その瞳には父親のような温かさと、どこか遠い哀しみが同居している。
「なんだよ、呆れそうなもんですけど? 楽しそうに見ますね」
航太がそう言うと、ランカストは遠くを見るような目で、静かに呟く。
「ヨトゥンが人間界に攻め込んで来てから、こんな風に笑い合える姿を見るのは珍しい。悲しく、辛い事の方が圧倒的に多いからな。だからこそ、貴重だと思うんだ。こういう瞬間がな……」
その言葉は、航太の心に鋭く刺さった。
戦場の血と叫び、倒れゆく仲間たちの姿。
脳裏に、次々と鮮やかに蘇る。
泥にまみれた旗。
途切れた呼吸。
名前を呼ぶ声が聞こえないほどの喧騒。
映画やアニメで見るような、胸踊る戦いなんて、そこには微塵もなかった。
誰かが「助けて」と呟き、誰かが何も言えなくなっていくだけ。
仲間の温もりが急速に冷えていく感触が、掌に残っているような気がする。
自分が何のために剣を握っていたのかすら、分からなくなるほどの虚しさ。
戦場は、ただ悲劇を生むだけだ。
その冷酷な真実が、航太の胸をぎゅっと締め付ける。
喉の奥が熱くなり、拳を自然と握り締めた。
もし、あの場に戻れたとしても……自分には、何もできなかったのではないか。
そんな思いが、静かに胸の奥を抉っていく。
「そうですね……戦場って、悲劇しか生まない。何の為に戦い、何の為に命を落とすのか? 敵を殺し、仲間を殺される。その繰り返しで、何も生み出さない気がする……だからこそ、笑い合える世界があるって忘れないようにしないとですね」
航太の声は静かで、どこか震えていた。
ランカストはゆっくりと頷き、同じように遠い目をしたまま続ける。
「そうだな……忘れてはいけない。戦争の悲劇に、飲み込まれてはいけないんだ。だからこそ、戦場で散っていった命を忘れてはいけない。その命があったからこそ、平和な世界が訪れたと戦後に胸を張れるように……」
ランカストの言葉は、戦場で生きる者たちの心の傷を……そっと、しかし確実に抉るようだった。
航太は何も言えず、ただその言葉を胸に刻む。
夕暮れの風が、戦場の土の匂いを運んでくる。
まだ血の匂いが完全に消えていない空気が、二人の間を静かに流れていく。
その瞬間、ガーゴが航太の顔面めがけて飛んできた。
そして、直撃……
「危なかったでしゅ~! もう少しズレてたら、危うく航太しゃんとブッチョさんするトコだったでしゅよ~! うえ〜、想像もしたくないでしゅ〜」
「おい、アヒル野郎! 今、めっちゃシリアスなイイ空気だったんだぞ! どういうつもりだ!」
航太はガーゴを再び捕まえ、怒りをぶつけるように振り回した。
ふわふわとした感触が掌に伝わるたび、さっきまでの重苦しい空気が少しずつ剥がれていく。
胸の奥に残っていた締め付けが、ゆるやかにほどけていくのを感じた。
「ガーゴ、ナイスタイミング! 航ちゃん、顔真っ赤! 最高~」
ガーゴを投げつけた張本人の絵美は、腹を抱えて大爆笑している。
その無邪気な笑い声が、周囲に小さな波紋を広げていた。
ランカストの口元にも、微かな笑みが浮かぶ。
戦場の余韻が一瞬だけ、遠ざかっていくようだった。
「まったく……楽しい時間も大事だが、いい加減腹も減ってきたな。航太……奢ると約束したし、そろそろ行くぞ!」
ランカストの声に、航太の心が再び弾ける。
「マジで奢りかよ! ラッキー!」
「ガーゴも飲むでしゅよ~。ヌイグルミに、尿酸値の概念は無いでしゅからね~」
いつの間にか航太の頭の上に移動したガーゴが、小躍りして騒ぐ。
ふわふわと揺れるその姿を見て、航太と絵美は心の中で同時にツッコんだ。
(ヌイグルミって、飲めるのか? スポンジに水分が吸い込むだけだと思うが……てか、絶対に無理だろ!)
「ガーゴが飲めるかは、よく分からんが……近くの村に、美味い酒と料理を出す店がある。ヨトゥン領だが、商売人は金さえ払えば分け隔てなく相手してくれるしな。是非とも、味わってもらいたいんだ」
ランカストの言葉に、航太の目は期待で輝いた。
戦場の重圧を、酒と笑顔で洗い流せるかもしれない……そんな希望が、胸の奥に小さく灯る。
長い戦いの後の、ほんの一時の安らぎ。
それが、どれほど貴重なものか……航太は今、身をもって理解し始めていた。
「ねっ、ゼークって結構食べるのかな? みんなの分が奢りだと、ランカスト将軍の財布がスッカラカンになっちゃうんじゃない?」
絵美が少し申し訳なさそうに言うと、ランカストは豪快に笑った。
「おいおい、ゼークはどちらかと言えば少食だぞ。財布がスッカラカンになる程の大食いだと思われてると知ったら、ショックを受けるんじゃないか?」
「ありゃ? ヤバい……今の話は、ゼークには内緒で!」
絵美は弾けるような笑顔で、ゼークのいるテントへ駆け出していく。
その背中を見つめながら航太はふと、仲間への愛おしさを強く感じた。
戦場で傷つき、それでも笑顔を取り戻そうとする姿が胸に温かく広がっていく。
「一応、一真にも声かけてみます。いいですか?」
航太が言うと、ランカストは少し難しい顔をした。
「航太の義弟クンだったな? 構わんが……ホワイト・ティアラ隊は、戦闘後の方が治療で忙しくなる。難しいかもしれんぞ?」
周りを見れば、ホワイト・ティアラ隊の隊員たちが慌ただしく動き回っている。
負傷者の呻き声と血と薬草の匂いが、風に乗って微かに漂ってきた。
忘れかけていた戦場の現実が、そこに確かにある。
包帯を巻く手。
薬草をすり潰す音。
魔法を詠唱する声。
息を詰まらせるような、痛みの叫び。
それらが、夕暮れの空気に静かに溶けている。
航太の胸に、開きつつある一真との心の距離が重くのしかかる。
ユングヴィ王子との会話や軍法会議を通じて感じた思いを胸に、航太は一真と腹を割って話したいと願う。
飲み会の席ならば、少しは絆を取り戻せるかもしれない。
しかしホワイト・ティアラ隊の忙しさは、予想以上だった。
声をかけても、一真は申し訳なさそうに首を横に振る。
「ごめん、航兄……今は、手が離せないんだ。でも、戦士には休息が必要なのは理解してる。気にせず行ってきて!」
その言葉に、航太の胸に寂しさがゆっくりと広がっていく。
義弟との心の距離は、少しずつ遠ざかっていくように感じられた。
治療の合間に忙しく動く一真の背中が、夕暮れの光の中で少し遠く見える。
それでも航太は、ランカストの誘いに乗って仲間たちと酒場へ向かうことを決めた。
戦場の傷を癒すため、ほんの一瞬の安らぎを求めて。
そしてこの夜、航太はランカストの悲しき過去を聞くことになるのだった……




