赤きペンダントの共鳴 〜姉の血と托された光〜
「お姉ちゃん、血が……たくさん、出ちゃってる! 早く、止めないと!」
ガイエンが炎の中へ姿を消すと同時に、ティアは倒れたエストの傍らへ駆け寄った。
胸から溢れ続ける血が、小さな手に滴り落ちる。
熱い……あまりにも、熱い。
けれどその熱は、瞬く間に冷たさへと変わる。
指先から心の奥底までを、凍てつかせていく。
「はぁ……はぁ……ティア、いるの?」
掠れた声が届くたび、世界が音を立てて崩れていく気がする。
エストの手には、ガイエンから贈られた赤いペンダントが握られていた。
血に濡れた指が微かに震え、宝石は真っ赤に染まっている。
もはや、何の輝きも残していない。
ティアは、その手を握りしめた。
冷たい……どんどん、冷たくなっていく。
生きていた温もりが、指の間からすり抜けていくようである。
そんな感触に、胸の奥が引き裂かれていく。
「ティア……この……ペンダントを……持って……行って……」
声は途切れがちで、血と涙に塗れて殆ど聞き取れない。
「このペンダントは、きっと力になってくれるって……ゲインさんが、言ってた! だから、お姉ちゃんが持ってなきゃ、ダメ! 私、助けを呼んでくるから! 待ってて!」
ティアは、精一杯の声で叫んだ。
それでも、声が喉に引っかかる。
生きてほしい……ただ、それだけだった。
お姉ちゃんがいない世界なんて、考えられない。
「ティア……待って……もう、私はダメみたい。だから、ティアが持って行って……きっと、ティアの力になってくれる。そして、ガイエンの力にも……きっと……」
エストの目から溢れた涙が、ティアの頬に落ちた。
熱い……なのに、胸が冷たい。
お願い、死なないで!
私を置いて、逝かないで!
一人に……しないで……
差し出されたペンダントは、姉の血で真っ赤に染まっていた。
宝石の輝きは、完全に消えている。
まるでエストの命そのものが、そこに閉じ込めてしまったかのようだった。
ティアは血まみれの手を握り、震える指でペンダントを受け取る。
冷たく、重い。
小さな宝石の中に、姉のすべてが閉じ込められている気がする。
その感覚が、信じられなかった。
「ティア、ここにいたら……炎が……お願い、ガイエンを追って……」
握る力が、みるみる弱くなる。
「ごめんね、ティア……私、もう……ダメみたい……」
声が、風に溶けるように消えた。
命が……指の間から零れ落ち、崩れ始めているのが実感できる。
止めたい……押し戻したい。
でも、何もできない。
「私……なんて酷いことを……許されないね……」
エストの手から力が抜け、ティアの手から溢れ落ちる。
瞳は涙で溢れたまま閉じられ、もう二度と開くことはなかった。
「お姉ちゃん!」
ティアの喉が、裂ける。
胸が締め付けられ、息が喉で止まった。
世界から、音が吸い取られていく。
姉の手の冷たさが、指の骨まで染み込んで離れない。
その冷たさが、私の小さな手に焼き付いてくる。
もう二度と、温もりは戻らない。
笑顔も声も、触れることもできない。
嗚咽が、止まってくれない。
泣くという言葉では、到底足りなかった。
魂が崩れ落ち、涙と一緒に何もかもが流れ出していく。
大粒の涙が地面に落ち、血と混ざって赤黒い染みを作った。
自分の中の何かが、音を立てて壊れていくのがわかる。
血まみれのペンダントを握り潰すように抱きしめたまま、ティアは立ち上がる。
足が震え、視界が歪む。
お姉ちゃんは、もういない。
お父さんも、いない。
自分の家族が……自分の世界が、すべて消えた。
涙で滲む視界の中で、ティアは受け取った赤いペンダントを見つめ……そして服で、ペンダントに付着した姉の血を擦る。
すると……まるで姉の命がそこに宿っているかのように、か細く脈打っていた。
「ペンダント……」
無意識に、その冷たい感触を確かめる。
命と涙で托された、赤いペンダント。
ペンダントを握っていると、ほんの少しだけお姉ちゃんがまだ近くにいる気がした。
それだけで、胸が押し潰されそうになる。
ティアはペンダントを握りしめ、廃墟と化した村の中を歩き出した。
あてもなく、ただ足が動くままに。
何も考えず、炎から逃れるために。
息することも、足を前に出すのも重い。
何も、見えない。
何も、考えられない。
ただ、前に進むことしかできなかった。
お姉ちゃんの声が、頭の中で繰り返し響く。
「ティア……お願いね……」
何を?
私に、何ができるの?
お姉ちゃんを救えなかった私に、何ができるっていうの?
ガイエン兄ちゃんを簡単に行かせてしまった私に、何ができるっていうの?
「私……これから、どうすればいいんだろう?」
父の優しい声も、姉の温かい手も……すべてが炎に飲み込まれ、灰になった。
小さな身体は、虚無感に震える。
心の中が、空っぽになった。
何も、残っていない。
何のために、生きているんだろう。
お姉ちゃんが死んだのに、自分が生き残っている意味なんてあるの?
生きていることが、苦しい。
そんな思いに沈みながら歩いていると、突然……頭に、激しい痛みが走った。
逃げ惑う村人の荷物が、頭にぶつかったのだろう。
膝をつき、視界が暗転する。
地面が、遠のいていく。
僅かに残った意識の中で、ティアは持っていたペンダントを咄嗟に服のポケットへ押し込む。
無くしちゃダメだ……これだけは、無くせない。
お姉ちゃん……助けて!
そして、意識は途絶えた。
そして、時が流れる。
記憶を失ったティアは、レイ・ノースランと出会う。
優しく手を差し伸べてくれた少年と共に大人になり、生きる場所と意味を与えてもらった。
大切な子供も生まれ、安らかで幸せな日々。
レイの力強い腕も、赤ちゃんの柔らかく優しい手も……
けれど、その人たちは……そんな日々は、もうない。
私を必死に守ろうとしてくれたレイは、一刀で切り捨てられていた。
そして私の大切な子も、私の腕の中で切り刻まれた。
憎悪が、心を支配していく。
胸の奥が煮え返り、喉までせり上がってくる感覚。
大切な人は、すべて奪われていく。
目の前にいる、この男に……この、紅い剣に!
そして、記憶が巻き戻る。
意識も、巻き戻っていく。
私は記憶を失ってから、ティア・ノースランとして生きてきた。
そして、ティア・ファンライトとして生きていく。
私の見てきた、全ての悲劇に関わった男!
胸の奥で、黒く粘つくものが煮えたぎっていた。
目の前の男が握る、紅い剣。
それが、私の全てを奪った。
恨みが、頭の中を駆け巡る。
許さない。
指先が、勝手に震える。
許さない!
その時……頭の中に、聞き慣れた声が響く。
『人間の命に、軽いも重いもない!』
激しく、それでいて優しい声。
いつも戦場で聞いてきた、今では馴染みのある声。
そう……私は、助けられた。
見ず知らずの、お人好しに。
敵だろうが、嫌な相手だろうが……お構いなしに手を差し伸べる、一人の男に。
その人はこんなにも人を恨む私を、どう思うのだろう。
「姉さん……私、どうしたら……」
意識が現実へと戻っていく不思議な感覚の中で、ティアは荷台の床に落ちている赤いペンダントを見た。
荷台の床で輝く、もう一方のペンダント。
赤く輝くペンダントが、心に直接訴えかけてくる。
痛いほどに、優しく。
「こころ……」
無意識に、言葉が漏れた。
喉が、震える。
「エスト姉さん、私……やってみます。ダメかもしれない……けど、精一杯。今まで忘れてて、ゴメンね。お姉ちゃん……」
すべての記憶を取り戻したティアの意識は、再び戦場へと完全に戻っていく。
涙の跡が、頬に残ったままで……




