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雫物語 Rewrite  作者: クロプリ
恐怖の炎
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赤きペンダントの共鳴 〜血の亡魂と黒い影〜

「お姉ちゃん! 何で、こんなことに! 早く助けないと、アリアさんもゲインさんも死んじゃうよ!」


 必死に叫ぶティアの声は、エストの耳を通り過ぎる。


 エストは、現実を直視できずにいた。


 自分の叫びが、村人達の最後の背中を強く押したのは間違いない。

 その結果、大切な幼馴染の両親が危機を迎えている。


 いや、もう手遅れかもしれない。


 お父さんが殺されて、混乱していた。

 思考が、麻痺していた。


 言い訳を頭の中で繰り返しても、事実は変わらない。


 しかし事態は、悪い方向へと進み続ける。


「ヨトゥンが、攻めてきたぞ! 門が破られた! 迎撃するぞ!」


 広場から、村人達の姿が一瞬で消えた。


 残されたのは、血の海の中で倒れる二人……ゲインと、アリア。

 そして、泣き叫ぶティアと……動けない、エスト。


「エスト、ティア……無事か? 無事なら……返事をしてくれ」


 か細い声……ぼんやりと見つめる先で、ゲインが残った力で腕を伸ばしている。


「ゲインさん! お姉ちゃん、ゲインさんが生きてる! 早く、助けないと!」


 小走りで、ゲインの側に向かうティア。


 エストは、立てなかった。

 罪悪感と、絶望感……喪失感と、虚無感。

 色々な感情が頭の中を駆け回り、一筋の涙が頬を伝う。


「ティア……これを、エストに渡してくれ。ガイエンも……同じ物を、持っているんだ。二つを合わせれば、きっと力になる。エストは、心に深い……本当に、深い傷を負った。負わせて……しまった。すまない……不甲斐ない、団長で……」


 ティアは血塗れの手で、血に染まった赤いペンダントを受け取った。

 ゲインの身体から流れる血が、命の欠片を奪い取っていくように見える。


「分かった。お姉ちゃんに、必ず渡す! ゲインさん、ヨトゥンが攻めてきてるって! アリアさんも連れて、一緒に逃げよう!」


 ティアの幼い瞳には、助かるか助からないかの見分けなどつかない。

 ただ、失いたくないと思う感情だけがあった。


「分かっ……てる。先に……逃げるんだ。少し休んだら、アリアを連れて……必ず、逃げるから。エストと……ガイエンのことも、頼む!」


 ゲインはティアの背中を強く押すと、その場に崩れて落ちる。


「うん……約束だよ! お姉ちゃんは、私が必ず連れて行くから!」


 ティアは全力で走り、そして仄かに光る赤いペンダントをエストの胸に押し付けた。


「お姉ちゃん、立って! ガイエン兄ちゃんを、探しに行かないと! ゲインさんとアリアさんの為にも、ガイエン兄ちゃんを助けないと!」


 ティアの声に応えるように、ペンダントから赤い光が溢れ出す。


「このペンダント、捨てたはずなのに……なんだろう、心の内側から温かくなる感じがする」


 赤い光に包まれたエストの瞳に、光が宿った。

 そして、ティアの手からペンダントを受け取る。


 その瞬間、エストの中で何かが弾けた。


「私が、間違ってた。ゲインさんは、ずっと正しいことを言っていたのに……きっと、お父さんのことも助けようとしてくれていたのに! 私が突き放して、敵の思い通りに動いてしまった!」


 ペンダントを握りしめると、少しずつ思考がクリアになっていくのを感じる。

 そして気付かなかった、幾つもの状況が整理されていく。


 ティアを誘拐して、お父さんを操った。

 そして、お父さんを救おうとしたゲインさんを罠にかけた。


 ヨトゥン……絶対に、許さない!

 これ以上は、思い通りにならない!


「ティア、ガイエンは必ず助けるよ! 私ができる、唯一の罪滅ぼしなんだから!」


 エストは、涙を拭う。

 そして、ゲインの元へ走った。


 ただ、謝りたかった……許されないことは、分かっている。

 それでも、謝りたいと思った。


「ゲインさん、私……」


 ゲインの血塗れの手を、エストは躊躇わず握りしめる。


「エスト……すまん。クレイサーを……そして、怖い思いもさせてしまった。こんなことを……言えた義理ではないが……ガイエンを、救って……やって……くれ……」


 エストの手の中で、ゲインの手は力を無くす。

 そして、地に落ちた。


「お姉……ちゃん?」


「大丈夫だよ……ティア。ゲインさん、少し休むって。だから、ガイエンをお願いって……行こう、ティア! ガイエンを連れて、村を出ないと!」


 大切な人の血を纏って、エストはティアの手を握る。

 そして、走り出した。

 絶望の淵にいる、ガイエンを救うために……




 ヘルギを握り締めたガイエンは、村の中心へと足を踏み出していた。

 その瞳からは涙の跡が消え、燃え盛る復讐の炎だけが宿っている。


 遠くで、ヨトゥン兵と争う村人の声が聞こえてきた。

 村の周囲から中央に向かって少しずつ炎が広がってきていることを、肌で感じる。


 村の中心に辿り着いた時、そこは地獄と化していた。

 教会と反対側の丘にヨトゥン軍の黒い影が迫り、雷鳴のような喊声が響き渡る。

 ゲインの死を知った敵は、躊躇なく進軍を開始していた。


 指導者を失った村の騎士たちは、まるで風に散る枯れ葉のように乱れヨトゥンの刃に次々と飲み込まれていく。

 規律なき彼らに、一対一で勝つ術などなかった。


 ガイエンは、その無残な光景を冷たく見つめる。


 村を救う意志など、ガイエンの心には欠片も残っていなかった。


 父と母を襲っていた村人たちは恐怖に顔を歪め、慌てふためいて四方八方へと散り逃げていったのだろう。

 切り刻まれた父の亡骸は冷たく横たわり、母は血の池の中で力なく倒れている。

 その無惨な姿を、ガイエンはただ立ち尽くして見つめていた。


 二人の亡骸を前にしても、ガイエンの瞳からは涙が流れなかった。


 悲しみは確かに胸を締め付け心の奥底でうねっていたはずなのに、その感情は表面に浮かぶことなく深い闇に沈んだままである。

 代わりにガイエンの内側で燃え上がったのは、復讐の炎だった。


 それは、薪をくべられた炉のように……激しく熱く、止めどなく燃え盛る。

 その炎はガイエンの心を焦がし、身体を突き動かすほどの力を持っていた。


 枯れ果てた瞳には、もはや温もりも哀れみも宿っていない。

 ただ冷たく鋭い光が宿り、復讐を果たす瞬間だけを見据えているようだった。


 やがて村の家々に火の手が上がり、赤い舌が空を舐めるように広がっていく。


 絶叫と煙が渦巻く中、二人の少女が炎の間を縫ってガイエンの前を駆け抜けようとした。

 エストと、ティア……幼馴染として、仲良くしていた少女達。


「おい!」


 ガイエンの鋭い声が、エストを刺した。


「ガイエン? こんなところに、いたの? 早く逃げないと……このままじゃ、炎に呑まれるよ!」


 エストはガイエンを見ると、恐怖と焦燥に震える声で叫ぶ。


 だが、ガイエンは燃え盛る炎など眼中にない。

 愛したエストの口から、後悔と悔悟の言葉を引き出したかった。


 エストの声に、わずかな救いを求めていたのかもしれない。


「エスト……なぜだ? なぜ、父さんは……母さんは、死ななきゃならなかった?」


 ガイエンは一歩また一歩と近づき、低く呻くように問いかける。


「それは……村を裏切ったと思われたんだから、仕方ないじゃない! 私のお父さんだって、同じように殺されたのよ! それより、今は逃げないと! 炎に呑まれたら、助からない!」


 その言葉は、ガイエンの胸に突き刺さる刃だった。


 期待が裏切られた瞬間……ガイエンの中で何かが崩れ落ち、代わりに灼熱の怒りが噴き上がった。

 エストはその異変に気付き、恐怖に足がすくんで後ずさる。


「お前は……オレの父さんと母さんが殺された時、何を思った? 守ってきた村人達に囲まれて、裏切られ……切り刻まれたんだぞ! お前の親父は、どうやって死んだんだ! 同じように? 裏切り者と、罵られて殺されたのかよ!」


 ガイエンはヘルギを抜き放ち、その冷たく光る剣先をエストへと突きつけた。


「やめて、ガイエン……お願い!」


 エストは尻餅をつき、足が震えて立ち上がれない。

 恐怖が心を支配し、涙をこぼしながら懇願することしか出来なかった。


「ガイエン兄ちゃん、何をする気? ゲインさんも、最後にガイエン兄ちゃんのことを心配してたんだよ! どうして、お姉ちゃんを殺そうとするの?」


 ティアは半狂乱で泣き叫び、恐怖に縛られた小さな身体で必死に声を絞り出す。


 しかし、ガイエンの耳には届かない。


 ヘルギが僅かに輝き、光がエストに迫る。

 復讐の炎が、ガイエンの理性を焼き尽くしていく。


「やめて……ガイエン。私は、あなたの事を……救いたかった」


 エストの声はか細く、絶望に呑まれた。

 もはや、抗う力すら残っていない。


 エストの声は、ガイエンの動きを僅かに止めた。

 好きだった人の、好きだった声。

 それでも、以前より心の中に入ってこない。


 ガイエンは、思わず胸元のペンダントに手を乗せる。

 母の温もりを残したはずの赤い石が、今は冷たく自分の指を拒むように感じられた。


 父の頼もしい背中、母の優しい笑顔が頭に浮かんでは消えていく。


 殺意が、再び支配する。


「父さんと母さんが、味わった恐怖……その身で感じて、死ねよ!」


 その瞬間、ガイエンの心の中で最後の鎖が千切れた。


 ガイエンは一瞬の躊躇もなく、ヘルギをエストの胸に突き立てる。


 刃が肉を裂く鈍い音とともに、エストの首元で深紅のペンダントが血に染まり一瞬だけ不気味に輝いた。


「いやぁぁぁぁ!」


 ティアの悲鳴は、燃え盛る村の中で虚しく響き渡った。


 ガイエンは、無慈悲に剣を引き抜く。

 エストの胸から、止めどない血が吹き出し始める。


 その血を浴びながら、胸元のペンダント……母からもらったエストとお揃いのペンダントを、まるで忌まわしい記憶を振り払うように首から引きちぎった。


 そして、好きだった女の子の血で汚れた冷たい地面に叩きつける。


 幼馴染の血で染まった顔で一瞬だけ笑ったガイエンは、エストが倒れ伏す姿を見ようともせず炎の海へ足を出そうとした。


「ガイエン兄ちゃん! これは……これだけは、捨てちゃダメ! ゲインさんが残した、最後の希望なんだよ! お願い、これだけは!」


 ティアはガイエンが捨てた赤いペンダントを拾うと、必死にガイエンのズボンのポケットに押し込む。


「ティア……貴様! 何をしている! お前も、死にたいのか?」


 ヘルギを振りかぶったガイエンは、村人達を止めようと必死に叫んでいたティアの姿を思い出した。

 あの混乱の中で、希望の光に見えた……あの姿。


「くそっ、面倒くせぇ! 貴様だけは、生かしといてやる。だが次にオレの前に出てきたら、殺す!」


 ヘルギを鞘に戻したガイエンは、歩き始めた。


 ティアの絶叫を背中で聞き、逃げ惑う村人達を次々と斬り捨てながら……


 やがてガイエンの身体は村人の返り血で真っ赤に染まり、まるで血の亡魂と化していた。

 その鬼気迫る姿を闇の中から見つめていたクロウ・クルワッハが、低く響く声で呼びかける。


「人間の醜さを、見ただろう? 綺麗事を並べるだけで、自分に害が及びそうになると保身に走る。恩人ですら、簡単に手をかける。ヨトゥンは、欲望を隠さない。その分、シンプルで裏表もない。どうだ、我々と共に来ないか? お前程の力なら、直ぐに我が軍の将になれるぞ。腐った人間どもを、共に駆逐しようではないか」


 ガイエンは言葉もなく、ただ頷いた。


 クロウ・クルワッハはゲインの息子であるガイエンの剣才を見抜き、狡猾な策略で手中に収める。

 厄介な英雄ゲインを葬り、その子を新たな駒として手に入れたのだ。


 ガイエンは深い傷を心に刻み、ヨトゥンと共に歩む道を選ぶ。


「しかし、ヘルギ……教会にあるという情報だけは、掴んでいたのだがな。レーヴァテインの炎でも、焼けないとは……まぁガイエンの手にある分には、憂いにはなるまい」


 ヘルギを見たクロウ・クルワッハは、完全に思い通りにならなかったことに少しの憤りを感じていた。


 それでも、概ね作戦通り……


 今回の出来事は全てクロウ・クルワッハの仕掛けた罠であり、その戦術によって引き起こされた悲劇であることにガイエンは気付いていなかった……

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