深紅の契約 〜投げ捨てられた絆と迫る陰謀~
森の中を切り裂くような、甲高い叫び声が周囲に響き渡る。
「きゃあああああああああ!」
エストの声は、まるで魂が引きちぎられるような悲鳴だった。
木々が震え鳥たちが恐怖に飛び立つ中、エストの目の前には信じられない光景が広がっている。
血に染まり、冷たく横たわる父……クレイサー。
そして……その傍らに立つ幼馴染の父親、ゲイン。
父を……切り裂いた男。
血まみれの剣を握るその手が、エストの心を凍てつかせる。
エストの瞳は焦点を失い、涙が溢れる前にただ茫然と揺れていた。
何が、起きたの?
なぜ、こんなことに?
理解が、追いつかない。
森の入り口で出会った、父の剣の弟子……グレイルさんの言葉が、頭の中で狂ったように反響する。
「裏切り者のゲイン団長に、師匠が戦いを挑んでいる」
ゲインさんは、妹の病気の事で父と話すだけだったんじゃないの?
助けになってくれるのでは、なかったの?
その一言が、エストをこの場所へと駆り立てた。
息が乱れ、肩が激しく上下する。
心臓が、胸を突き破りそうに暴れていた。
「エストか? 何が起きたのか、自分にも理解が出来ないんだが……そんな事より、クレイサーに応急処置を! まだ、間に合うかもしれん!」
ゲインの掠れた声が、エストの耳を通り抜けていく。
理解、出来ない?
自分が放った、斬撃を?
身体を斬り裂いたのに、間に合うかもしれない?
その言葉に、エストの全身が拒絶反応を始める。
そんなに、人の目が気になるの?
裏表のない人だと、思っていたのに!
エストの目には、頼もしい英雄で……幼馴染の優しい父の姿としては、映らなくなっていた。
人の皮を被った、裏切り者の化け物……
「いゃあああぁぁ!」
恐怖と憎しみが爆発し、エストは近付いてくるゲインに向かって赤いペンダントを投げつけた。
ガイエンに貰った時は、凄く嬉しかったのに……今は、凄く悍ましい物に感じる赤いペンダント。
ゲインが赤いペンダントを拾っている隙に、その脇を全力で擦り抜ける。
そして森の出口へと、逃げるように走り出した。
足がもつれそうになるたび、父の声が脳裏を掻き乱す。
「ティアの病気の原因は、ゲインかもしれない。この村を、ヨトゥンに売ったという情報もある。大丈夫だと思うが、ガイエンにも気をつけておいた方がいいだろう」
その言葉を聞いた時は、ティアが病気になった事で父の頭が混乱しているのかと思った。
その時は、父のことを嫌いになりかけた。
しかし目の前で起きた現実が、その言葉の信憑性を高めている。
もし父の言葉が真実なら、背後から追ってくる男は怪物だ。
村の中では敵う者がいない、最強の狂人。
恐ろしくて、たまらない。
赤いペンダントを投げつけた右手が、ほんの少し震えた。
だが、恐怖が頭の中を蝕み続ける。
次の瞬間には、完全に恐怖に支配された。
誰か、助けて!
ただその一心で、エストは走り続けた。
ゲインは、ヨトゥンに襲われた時の様な慌て方で逃げて行くエストの背中を呆然と見つめる。
そして、エストの捨てた赤いペンダントに視線を移す。
「これは、ガイエンがエストに贈ったペンダントか……すまんな、ガイエン」
ガイエンへの謝罪を呟いた瞬間、心臓が締め付けられるような不安に襲われた。
エストを追って、真実を話さなければ……そう思った瞬間、横からヨトゥン兵の剣が唸りを上げて襲いかかってくる。
「っ!」
拙い、一撃だった。
だが動揺が、ゲインの全てを狂わせている。
拙い剣が左肩を軽く抉り、鮮血が噴き出した。
その痛みが、ゲインを現実に引き戻す。
握り締めていた赤いペンダントが、僅かに輝く。
頭がクリアになり、心臓の高鳴りが少し落ち着いた気がした。
ヨトゥン兵の二撃目が、迫る。
遅い……身体が本能的に動き、剣を紙一重で躱す。
そして……一閃。
胴を真っ二つに切り裂き、ヨトゥン兵は派手に血飛沫を上げて倒れた。
ゲインの瞳に、冷静さを宿す光が戻る。
(ヨトゥンの……クロウ・クルワッハの陰謀だ! クレイサーも、オレも利用された! 友の死を偽造し、幼い少女に残酷の現場を見せた。許さんぞ、ヨトゥン!)
ゲインは、知っていた……敵の戦術家、クロウ・クルワッハの狡猾さを。
肩から滴る血を気にする余裕もなく、ゲインは村へと走り出す。
エストと、村を……この悪夢から、救うために。
ヨトゥンの陰謀に、立ち向かうために。
村に辿り着いたゲインを待っていたのは、氷のように冷たい空気だった。
普段は英雄としての扱いを受けるゲインに、今は村中の人が敵意の視線を向ける。
視線が突き刺さり、心が軋む。
(後手に回ってるな……展開が、早過ぎる!)
急いで騎士の詰め所へ向かおうとした時、仲間の一人が近づいてきた。
その目は既に、友のものではない。
「ゲイン団長……本当に、クレイサーを殺したのか? 村中が、その話で持ちきりだぞ! ティアが病に伏せって、悩んでいるクレイサーを……なぜ、殺した? 本当に、ヨトゥンに寝返っちまったのか?」
「オレが、ヨトゥンと手を組むと思うのか? こんな戯言こそが、ヨトゥンの陰謀だ! 村の結束を破綻させるのが、目的なんだ! その噂話、エストが言い回っているのか? それとも、他の村人が?」
ゲインの胸に、疑問と焦りが渦巻く。
エストが村に着いてから、まだ数分しか経っていないはず。
噂が広がるには、時間が足りない。
それなのに、なぜ?
「くそっ……オレだって、団長を信じてぇよ! けど……クレイサーを殺れる奴なんて、限られてるだろ!」
泣きながら走りだす、友だった騎士。
村の二番手の騎士であったクレイサーを倒せる者は、確かに少ない。
だからこそ、狙われたのだろう。
不信感が膨らむ中……突然、耳を劈く叫びが上がった。
「裏切り者の、ゲインがいるぞ! 味方の情報をヨトゥンに流し、ティアを誘拐してクレイサーに罪を着せた犯人だ! 我々を見限って、ヨトゥンに寝返ったんだ!」
村人の声に、ゲインの心臓が凍りつく。
民衆が集まる中、ゲインは声を上げる。
「騙されるな! クレイサーが殺されて、一番憤りを感じているのはオレだ! この村を崩壊させる為に、ヨトゥンが策を巡らせている! ここで結束が乱れれば、益を得るのはヨトゥンだけだぞ!」
叫びながらも、ゲインは耳を疑った。
話が、あまりにも歪んでいる。
いや……歪ませ過ぎだ。
これなら、綻びを付ける。
「オレがクレイサーに罪を着せるつもりなら、こんなタイミングで動かない! クレイサーに疑いの目が向けられるのを待って、行動するに決まっている! 今は、信じなくてもいい! だが、ヨトゥン如きに踊らされるな!」
ゲインの叫びは、村人の心に染み渡っていく。
ゲインに命を救われた村人は、数知れない。
その男が、必死に呼びかけている。
信じる心が、少しずつ広がっていく。
そんな中、フードを被った者の瞳が僅かに光る。
「ゲイン団長……クレイサーさんは、私の剣の師匠だ! 他の者が許しても、私は許さん!」
民衆の中から突然現れた騎士、グレイル。
突然……下段から上段へ、ゲインを狙ってバスタード・ソードが振り上げられた。
その時……騎士の姿が、ヨトゥンへ変わる。
間違いなく、ゲインの瞳にはヨトゥンに映った。
「舐めるなよ! ヨトゥンがっ!」
赤枝の剣が、バスタード・ソードを絡めとる。
そして、閃撃!
変則の剣舞が、ヨトゥン兵に叩き込まれた。
ゲインの、怒りを込めた剣撃。
無数に斬り裂かれたヨトゥンが、地面に倒れる。
ヨトゥンが、倒れた……はずだった。
「いやぁぁぁぁ!」
ゲインの足元……血の海に倒れているのは、村の騎士。
「そんな……バカな! いや、ヨトゥンが村人に化けている可能性がある! 気をつけろ!」
叫んだゲインの声は、虚しく村の中心地に響く。
信じた直後の、裏切り行為。
疑念の眼差しと、恐怖に歪む村人の顔。
その中で、ほくそ笑む一人の者。
「舐めちゃいないさ……むしろ、最大の評価をしているよ。ゲイン・ドーマ……お前一人の為に、私自ら出向いているのだからな。上級神聖魔法を複数使ったマジック、楽しんでもらえたかな?」
そう呟くと、フードを被った者は村人の中に消えていく。
神やヨトゥンが人間の姿を借りるこの魔法は、クロウ・クルワッハの得意技だ。
そして、その者の本来の姿を見せる魔法を一人の人間にかけるなど造作もない。
クロウ・クルワッハは、クレイサーを使って弟子の一人を呼び出した。
殺した弟子の名は、グレイル。
グレイルに化けたヨトゥン兵は、村に潜入した後は同じような生活スタイルで活動する。
家族と談笑し、騎士としてヨトゥン兵とも戦った。
上級神聖魔法は、その姿を変えるだけではない。
記憶も、性格も……人格すら、その者に成り切ることができる。
来たるべき時に備えて、村人に混じり合った偽グレイル。
使命を全うした偽グレイルは、血の海の中で満足そうに瞳を閉じる。
用意周到に動いているクロウ・クルワッハの策略の全貌を、ゲインはこの時まだ知る由もなかった。




