灰の鏡に映る罪と命
焼け野原は、世界の終わりそのものを映し出す鏡のよう。
無限に続いているかのように、果てしなく広がっていた。
灰と焦土が乾いた風に舞い上がり、血のように赤く染まった夕暮れの空の下。
焼き払われた全ての命が、静かに死んでいくようだった。
焦げた大地の匂いが鼻を突き、微かな熱気がまだ足元から立ち上る。
時折、遠くで残った火の手がパチパチと音を立てていた。
踏みしめるたびに黒い灰が舞い上がり、靴や衣服にまとわりつく。
肌に染み込むような、不快感を与えてくる。
絵美は黒ずんだ地面をゆっくりと踏みしめながら、静かに俯いた。
指先がわずかに震え、唇が小さく動く。
喉の奥が熱く、言葉を出すだけで痛みが走る。
「私、ホントに……嫌なヤツだ。こんなんじゃ、ないハズなのにな……」
その声は風に掻き消されそうなほど儚く、灰の粒子とともに荒野の彼方へと溶けていく。
言葉の奥底に激しい悔恨と自責の念が渦巻いているのが、痛いほど伝わる。
胸の奥で何かがグチャグチャに絡まり、息苦しさを増していく。
ホワイト・ティアラ隊の、傷ついた者を等しく救う姿……必死に治療する姿を目の当たりにした今、絵美の心は激しく揺れ動いていた。
シェルクードのあの傲慢で尊大な態度は、今でも許せない。
しかし、その一方で……ティアやエリサが重度の火傷を負ったシェルクードの為に水を運び、治療を続ける献身的な姿を見た。
ホワイト・ティアラ隊の動きの全てが、「命」そのものを尊ぶ行為だったことに今さらながら気づく。
そしてその姿は、絵美の胸を熱く痛烈に締め付けてくる。
ただ怒りに突き動かされて取った行動が、今となっては重い罪のように心を苛む。
あの時、もし違う選択をしていれば……命の重さが、心を締め上げる。
智美が側にいてくれたら、叱咤してくれていただろうか……そう思うと、自然と涙が溢れてきた。
航太もまた、同じ葛藤の渦中にいる。
絵美の呟きが微かに聞こえ、航太は静かに頷いた。
苦渋に満ちた眼差しで、遠くの地平線を睨む。
義弟である一真への何とも言えない苛立ちと、拭いきれない複雑な思いが深い影を落としていた。
拳を握る手に力が入り、爪が掌に食い込む。
「オレも、同じ気持ちだ。けどよ、まだ複雑なんだ。一真の奴……智美の時は、冷たかっただろ? 命が危ねぇってのは、智美だってシェルクードだって同じはずなのに……目の前で傷ついてなきゃ、関係ねぇってのかよ!」
声が、震える。
言葉の端々に義弟への苛立ちと、幼なじみへの心配が混じり合う。
智美が敵陣の只中で消息を絶って以来、心を蝕む絶望がまだ消えない。
痛みの中で見せた笑顔が戦場の闇に飲み込まれたかもしれないと思うだけで、胸が締め付けられる。
そんな中で……一真が仲間を侮辱する者さえ懸命に救う姿は、航太の胸に暗く重い波紋を広げ続けていた。
理解は、したい。
理解したいのに、どうしても納得しきれない。
どうしても、頭が拒絶反応をしてくる。
納得できない深い矛盾が、航太の心を苛んでいた。
風が強くなり灰が目に沁みるが、拭うことさえ忘れさせる。
エリサは二人の言葉を聞きながら、そっと目を伏せた。
長い睫毛が影を落とし、指先が荷台の布を強く握りしめる。
エリサの心には航太や絵美への深い共感と、ベルヘイム国出身者としての重い負い目が激しく交錯していた。
異国で命を懸ける二人に、十分に応えられていないのではないか?
そんな思いが、常に胸の奥に巣食っている。
「航太さん、絵美……その気持ち、痛いほど分かるよ。戦場に出ている兵士の皆さんの中には、安全な後方で治療だけをしている部隊を快く思わない人もいるの。仲間を侮辱する言葉を投げつける人も、たまにいるのよ。そんな時はさ、もう知らないって思っちゃう。でもね、そんな人たちも仲間なんだよ。ヨトゥンの侵略から人々を守り、姫様を救い出すために命を懸けている仲間……それは、私達の大切な人達を守ることにも繋がると思うんだよね」
エリサの声は優しく、寄り添うように響く。
しかしその裏側で、エリサの胸は張り裂けそうだった。
航太にとっての幼なじみであり、絵美にとっての双子の姉……智美。
そんな大切な人が、戦場の闇に飲み込まれた。
それなのに仲間であるはずのベルヘイム兵たちは、十分に手を差し伸べようとしない。
異国のために戦う二人に対し、エリサは言葉にできない申し訳なさで息が苦しくなるほどだった。
もし、智美が……いや、考えたくない。
でも、考えずにはいられない。
「でも……一真さんだって、きっと辛いと思う。それでも、どんな時でも傷ついた人を分け隔てなく救おうとしてる。それなのに、大切な人に冷たくされたら……」
ティアは胸の前で手を固く組み、そこで言葉を飲み込んだ。
瞳には誰にでも伝わるはずの想いが溢れ、唇をきつく噛みしめている。
ティアの心にも、仲間としての葛藤と一真への信頼が静かに渦巻いていた。
そう、誰もが分かっている。
分かっていても、納得できない何か……理屈と感情の狭間で、心が引き裂かれそうになっていた。
ティアは、そんな葛藤を言葉にすることを諦める。
そして、握りしめていた赤いペンダントに視線を移した。
風がティアの髪を乱し、灰が白い頰に付着する。
「ティアさん、ありがとう。カズちゃんのこと、分かってくれて。本当は、私達が支え合わなきゃいけないのにね……」
絵美はティアにそっと抱きつき、小さな声で感謝を口にした。
その声は最後には掠れ、風に溶けるように消えていく。
ティアの温もりが、わずかながら心の凍えを溶かしてくれるようだった。
「私、ダメだな……分かっている、はずなのに」
絵美の瞳が、わずかに光る。
そして、絶望が迫ってきた。
「静かに! 何か、聞こえる! 嫌な予感がする……移動のスピードを上げるぞ!」
ランカストの鋭い声が、静寂を切り裂く。
将軍らしい、張りのある声が皆の神経を一瞬で引き締める。
空気が凍りつき、馬を走らせるスピードを上げていく。
そんな中でも、全員が息を殺して耳を澄ます。
風の音さえ、突然遠のいたように感じられた。
すると、遠くから……徐々に近づいてくる死神の足音のような、馬蹄の響きが聞こえてくる。
最初は微かな振動だったそれが、急速に……嵐の前触れのように、焼け焦げた大地を震わせ始めた。
地面が低く唸り、灰が激しく舞い上がる。
「将軍、こっちは七人しかいねぇぞ! しかも、四人は戦えねぇ!」
航太の叫びに、恐怖と覚悟が混じり合う。
その声で、皆の緊張が一気に頂点へと達する。
心臓の鼓動が、耳元で鳴り響くようだ。
灰混じりの冷たい風が唸りを上げ、肌を刺すような寒さが全員の背筋を凍らせる。
荷台に横たわるシェルクードの弱々しい息遣いが、余計に状況の深刻さを際立たせていた。
「将軍、航ちゃん! ホワイト・ティアラ隊の皆は、必ず守らなきゃ! それと荷台で倒れている人もいるから、全部で八人ね! もう、誰も……失わない。智ちゃんに胸を張って再会する為に、前を向き続けてみせるんだから!」
絵美は灰で汚れた腕で、頰を伝う水滴を乱暴に拭う。
荷台から繋がれてる馬に飛び乗り、天沼矛を構える。
瞳に決意の炎を宿し、ホワイト・ティアラ隊の背後……馬蹄と土煙が迫る方向へと、自らを移動させた。
足は重いが、決して止まらない。
「分かっている! 航太、絵美!」
ランカストの声が、荒野に力強く響き渡った。
「ホワイト・ティアラ隊の戦いは、見たはずだ! 自らの信念を貫き、一人の命を救った神聖な姿をだ! 次は、我々の番だ! ホワイト・ティアラ隊は、我々の最後の生命線……絶対に、守り抜くぞ!」
叫びながら、ランカストは絵美の前に躍り出る。
風にマントがはためく姿は、焼け野原の中でまさに希望の騎士そのものに見えた。
その瞳には、部下たちを守り抜くという強い意志が宿っている。
「私とエリサは、魔法でサポートできるわ! 一真は、ティアを守って!」
ランカストはネイアに向かって頷くと、素早く陣形を整える。
指示は的確で、無駄がない。
ネイアは、荷台の隅に取り付けられている松明に火をつける。
火の魔法でサポートできる様に、エリサと松明の横に立つ。
ランカストを中心に前衛に航太が立ち、全体を見渡せる位置に絵美を配置。
中心の荷台を守る形で、ネイアとエリサが魔法の詠唱を準備する。
魔法陣の淡い光が、灰色の世界にわずかな希望の色を添えた。
現状の人員では、これが最善だろう。
誰もが、言葉少なに自分の役割を果たそうとしていた。
灰の舞う焼け野原に立つそのシルエットは、運命に抗う最後の戦士たちのよう。
神聖で、儚くも美しかった。
夕暮れの赤い光が影を長く引き、まるで一枚の絵画のように見える。
陣形を整えたまさにその時、視界の先に騎馬隊の影が浮かび上がった。
馬蹄の音は雷鳴のように轟き、容赦なく近づいてくる。
土煙が巻き上がり、迫力を肌で感じられるほどだった。
そして靄を突き破り、先頭に立つ者の姿がはっきりと見える。
「ガイエン! てめぇ、何人殺したと思ってんだ! その境遇に、少しは同情してたがよ……流石に、やりすぎだぜ!」
航太の声が、怒りと憎悪に震えて響いた。
全身が熱くなり、エアの剣を握る手に力がこもる。
紅の鎧に、身を包んだガイエン……その姿は、地獄の業火を纏った死神そのものに見えた。
夕暮れの赤い光を浴びて、鎧が血のように輝く。
冷たい炎を宿した瞳が、航太たちを射貫くように見据えていた。
焼け野原に、不気味で圧倒的な影が落ち始める。
馬蹄の音が近づき、戦いの幕が再び上がろうとしていた。




