劫火の咆哮
ドォォォォォォンンッ!
天地を、粉々に砕くような……魂ごと引き裂かれる轟音が、三人の身体を瞬時に飲み込んだ。
大地そのものが、断末魔の悲鳴を上げている。
地球の芯までが震え慄くような、底知れぬ爆音だった。
空気が裂け、鼓膜が破れんばかりに響き渡る。
刹那……灼熱の暴風が、地獄の黒竜が咆哮を上げたかのごとく吹き荒れた。
三人の身体が、熱風に煽られる。
皮膚を焦がし、衣服を瞬時に熱せられた鉄板のように熱くした。
空気は溶岩の如き熱さを帯び、肺の奥深くまで焼き尽くそうと襲いかかる。
息を吸うと、喉を溶かすような熱さがあった。
汗が一瞬で蒸発し、視界が歪む。
「絵美、水で防御だ! 水の盾を……今すぐ、作ってくれ!」
航太の喉が裂けんばかりの絶叫が、凍りついた絵美の意識をようやく引き戻した。
呆然と立ち尽くし、瞳に映る炎の幻影に囚われていた絵美の視線が、ゆっくりと現実へと戻る。
「そ……そだね! 分かった!」
絵美は手に握る天沼矛を、神器として運命を切り開くかのように大きく振り回した。
瞳が炎で赤みを帯びながら、三人を守る為の透き通った水の障壁を紡ぎ上げる。
冷たい水の粒子が空気中に結集し、輝く半透明のドームを形成した。
轟々と押し寄せる熱波が盾に激突するや、水飛沫が白熱した蒸気となって爆散する。
周囲を、幻想的な天界の霧で包み込んでいく。
三人はその聖なる領域に守られ、焼け焦げる運命から辛うじて逃れた。
肌に残る熱の痛みと、肺を刺す蒸気の息苦しさ……苦しいが、逆に生きている実感を残酷に教えてくれる。
やがて熱風がわずかに収まり、霧が薄れていく。
その先に広がった光景は、まさに劫火の舞う地獄絵図だった。
超巨大な、太陽の欠片の如き炎の塊。
高密度の炎の塊が、ランカスト隊の全てを貪るように大地に叩きつけられていた。
太陽が自らの半身を墜落させたかのような、破壊の奔流。
炎は生き物のように貪欲に這い広がり、草木を一瞬で炭化させる。
武器を溶かし、鎧を赤く歪め……兵士たちの叫びを飲み込んで、黒焦げの虚無へと変えた。
焼けつく肉の臭い……
溶けた鉄の異臭……
焦げた土の煙……
それらが混じり合い、鼻腔を犯す。
絶望の悲鳴は、もう聞こえない。
轟音と熱風の只中で、三人はただ目を見開き言葉を失っていた。
魂が凍てつき、目の前の惨劇を凝視することしかできない。
消火などという希望の欠片は、悪魔の嘲笑のように虚しく響くだけ。
炎の海は地平の果てまで広がっているかのように感じられ、胸の奥に重く冷たい絶望が沈殿した。
燃え盛る業火の前に、生命の欠片など残されていないことは一目瞭然。
航太の心臓は激しく鼓動し、口に出すことすら躊躇われるほどの衝撃が胸を締め付ける。
智美の捜索も真面目にやらない、憎まれ口を叩いてくる奴らだった。
だが……仲間や友人を思う気持ちは、自分達と同じだと思った。
だからこそ、守ろうと決めた。
それが、何もできないまま……一瞬で、灰と化す。
涙も、叫び声も出ない。
やがて炎の猛威がわずかに弱まり始めた頃、航太の心に微かな余裕が灯る。
しかしその瞳は、依然として燃え盛る地獄から離れることができない。
「こんな……ことが……」
声の方に視線を巡らせると、隣に立つランカスト将軍の姿が目に入る。
その顔は、魂ごと劫火に焼かれ灰と化した亡霊のように見えた。
誇り高く不屈だった将軍の肩は落ち、瞳には絶望の色が濃く表出している。
部隊の全てを、信頼する騎士たちを……一瞬で失った悲しみは、航太の想像を遥かに超えていた。
まるで自らの人生の意味を、炎と共に焼き払われたかのように。
その瞬間……航太の胸を焼き尽くしたのは、抑えきれない怒りの炎だった。
おそらく、ガイエンが放った業火の極致。
この壊滅を招いたガイエンへの、煮えたぎる憤怒。
血管が溶け、心臓を握り潰されるような痛み。
「ガイエェェン!」
喉が熱と乾きで引き裂けんばかりに、航太は魂の全てを込めた咆哮を上げた。
視線を、ガイエンがいたはずの方向へ向ける。
だが……そこには、既に誰もいない。
炎の余波に揺らめく熱気だけが、冷酷な嘲笑を映す鏡のように揺らめいていた。
その声に我に返った絵美は、力尽きたように地面に崩れ落ちる。
天沼矛を握る手が小刻みに震え、動きを止めた瞳からは大粒の涙が溢れ出す。
頰を伝い焼け焦げた大地に落ちたその涙は、一瞬で蒸発して消えた。
「何なの、これ? 人の……命だよ? こんなに、簡単に? これじゃあ、智ちゃんの命だって……」
「絵美! 今は、余計な事を考えんじゃねぇ!」
航太は、あらん限りの声で絵美の思考を遮る。
「ガイエン! いくら人を恨んでるからって、ここまでやる必要があんのかよ!」
航太は天を仰ぎ、再び咆哮を放った。
それは、炎の熱量すら凌駕する……心の奥底から迸る、怒りと悲しみと無力感の爆発。
空を切り裂くその声は、失われた命への鎮魂歌にも聞こえた。
空を切り裂く声に、ランカストもようやく我に返る。
しかし先ほどまでの不屈の力強さは、影を潜めていた。
嵐に折れた古木のように、儚く弱々しく見える。
「航太、ひょっとしたら生き残った騎士が……まだ、助けを求めているかもしれん。探しに……行くぞ」
その声は絶望に押し潰され、掠れながらも微かな希望の糸を繋ぎ止めようとしていた。
しかしその言葉の裏に潜む虚無を、航太も絵美も痛いほど感じ取ってしまう。
ランカスト将軍の背中は部下を失った父親のようでもあり、指揮官としての責任に苛まれる戦士のようでもあった。
ランカストは震える足で一歩……また一歩と、惨劇の中心へと踏み出していく。
自らの心を鼓舞するかのように、灰の海を進むその姿は痛々しくも尊かった。
航太と絵美は、ただ黙ってその背中を追いかける。
同じだと、思った。
頭では、助けに行っても生きてる人などいるはずないと思っている。
そう……同じなんだ。
智美の捜索の一件がなければ、無駄な事だとランカスト将軍を止めていたかもしれない。
シェルクードも、智美の捜索に参加した兵士も……きっと、同じだった。
広大な戦場で、倒れた人間を探すなど不可能なんだと。
そう考えてる人に、真面目にやれと言ったところで……何かが変わる訳がない。
航太は、無意識にエアの剣を握る手に力を込めた。
足元の灰が風に舞い上がり、希望を嘲るように三人の視界を曇らせる。
(もし今、智美がいたら……何て、言うかな? 無理だとしても、全力で守って……そんで、今も全力で走ってるかもな。誰かが生きてるって信じて、全力で助ける為によ……)
航太の脳裏に、鋭い後悔の刃が突き刺さった。
智美の水の能力があれば、この業火を少しは抑えられたかもしれない。
騎士たちを、数人は守れたかもしれない。
皮肉にも、炎に呑まれた者たちの中には智美捜索に冷淡だった者もいた。
その事実が、航太の心をさらに抉る。
航太は、そんな考えを振り払おうとした。
しかし心の奥で燃え続ける後悔と怒りの炎は、決して消えない。
劫火の爪痕が残したのは、ただ灰と沈黙。
そして、果てなき絶望だけだった。
それでも、前に進むしかない。
安全な場所に隠れていたガイエンやヨトゥン兵が、生存を確認して追撃してくるだろう。
劫火の咆哮が響き続ける中、航太達の戦いはまだ続いていく……




