心の亀裂2
一真はホワイト・ティアラ隊のテントで、負傷兵の治療に没頭していた。
血と汗と泥にまみれた兵士たちの声が、昏く響く。
誰かの妻は、夫と長男を失った。
嗚咽を漏らしながら、絶望を口にする。
別の兵士は、親友の最期を看取れなかった。
悔恨を、震える拳に込めて吐露する。
そして、シェルクードもまた、親友の最期を看取っていた。
「シェルクード……オレは、ここまでのようだ。ランカスト将軍を……頼むぞ」
「ヴァレス! バカなことを、言うな! こんな擦り傷……お前なら、すぐに治るさ! 先月産まれたばかりの娘に、会わなきゃならんのだろうが!」
シェルクードの絶叫に近い叫びを、ヴァレスは目を閉じたまま静かに聞く。
そして……ゆっくりと、首を横に振る。
「この遠征軍に、参加した時から……いや、選出された時から、死ぬことは決まっていた。お前も、分かっているだろ? 最後は、バロールと戦う時の捨て石になる役割だ。少し先に行って、待ってるぜ。将軍と、みんなを……頼んだ」
そう言い終えると、ヴァレスは口から鮮血を吐き意識を失った。
「くそっ……発見が、もう少し早ければ!」
シェルクードは、拳を床に叩きつける。
乾いた音が、血の匂いの漂うホワイト・ティアラ隊の幕舎に響く。
「水の騎士の護衛任務など、付かなければ……あんな素人騎士の護衛など、命を捨てに行くようなものだったんだ! 戦場を勝手に動き回って、他の隊にまで迷惑をかける厄介者どもが! 神剣に選ばれただけの……死神野郎どもが!」
その瞳から、一筋の熱い涙が零れ落ちる。
冷たくなっていくヴァレスの手を握りしめ、シェルクードは最後の慟哭を放った。
それぞれの人にある、それぞれの確かな物語。
その喪失が……一真の胸を静かに、しかし確実に締めつけていく。
智美を案じる想いは、航太や絵美と何ら変わらない。
いや、それ以上に激しかった。
今すぐ敵陣に飛び込み、智美を連れ戻したい。
そんな衝動が、胸の奥で荒れ狂っている。
それでも、一真には役割があった。
ホワイト・ティアラ隊の治療者として、傷ついた者たちの命を繋ぎ止めること。
そして、航太たちを守ること。
あの冷たい言葉は、そんな責任の重さから絞り出したものだった。
誰もいなくなった、薄暗いテントの中。
一真は小さく、弱々しく呟いた。
「智姉、ごめん。助けに、行けなかった。今の俺は、本当に……なんて、無力なんだ」
声は誰にも届かず、闇に溶けていく。
開いた手の平が、あまりにも小さく見える。
瞳の奥に、押し殺した涙が熱く滲む。
その想いは、しかし航太や絵美には届かない。
ただ仲間を見捨てるような冷たい態度として映り、二人の心に深い亀裂を刻んでいた……
「あいつは、一真は……戦場に出てねぇから、分かんねぇんだよ!」
航太は唇を強く噛みしめ、フェルグスやスリヴァルディとの戦いを思い返す。
智美が、どれだけの痛みに耐えながら皆を癒し続けたか……
ゼークが、どれほど自分を犠牲にして戦ったか……
あの絶望的な恐怖と痛みを知らない一真に、何が分かるというのか……
「今は、カズちゃんと話したくないなぁ……」
絵美は深い溜息をつき、自分の頬を軽く叩いた。
瞳には智美への切実な想いと、一真への失望が複雑に絡み合っている。
しかし突然、絵美は明るく声を張り上げた。
「おーし、ネガティブタイム終了! とりあえず、智ちゃんを見つけなきゃ! そんで、元の世界に帰るかどうかは……それから、考えよ!」
その明るい声の裏には、確実に無理をしていることが透けて見える。
それでも……絵美の言葉に背中を押されるように、航太は前を向く決意を固めた。
「そうだな……まずは、智美を見つける。遺体だって、まだ出てきてねぇんだ。智美は、まだ死んでねぇ! 俺たちが信じないで、誰が信じんだよ!」
航太は気合いを入れ直し、馬を進める。
その背中には僅かな希望と、智美への変わらぬ想いが宿っていた。
そして心の底では一真への蟠りが、重く澱のように沈殿していく。
航太は思い切り首を振り、そんな思いを忘れ去ろうとしていた。
その頃、ホワイト・ティアラ隊のテント内で……ゼークはベッドに横たわりながら、胸を締めつけられる想いに沈み込む。
どうして、一真はあんなことを言ったんだろう?
智美は、大切な仲間のはずなのに……
航太たちの前でぐらい、智美を心配する言葉の一つも言ってほしかった。
指がシーツを強く握りしめ、熱い涙が頬を伝う。
「ゼーク、入るわよ。回復魔法、かけに来たわ」
看護部隊長のネイアが、林檎の入った籠を抱えて入ってくる。
ネイアはゼークの傍に腰を下ろし、優しく微笑む。
「ほら、少しでも食べて元気を出さないと。魔法だけより、食べた方が傷の治りが良いんだって。蜜がたっぷりの林檎、剥いてあげるから」
ネイアの穏やかな声を聞き、ゼークは顔を上げ震える声で想いを零した。
「ネイアさん……私、一真のことが嫌いになりそう。みんな、私たちのために命を懸けて戦ってくれているのに。智美を捜すのは、当たり前なのに。あんな言い方して……智美のことなんて、どうでもいいみたいに」
言葉は、心の底から絞り出される。
智美への想いと一真への怒りが、瞳の中で激しく揺れた。
ネイアは林檎の皮を丁寧に剥きながら、静かに耳を傾ける。
その動きは穏やかで、まるでゼークの乱れた心を宥めるように態度で示しているようだった。
「そうね……一真は、傷ついた兵士たちの話をたくさん聞いてるの。もちろん、戦場で大切な人を失った人の言葉も。戦場で失ったモノの重さを、誰よりも感じていると思うわ。だから、ゼーク……貴女たちの気持ちも、一真はちゃんと分かっているはず。ただ、言葉にするのが下手なだけかもしれないわよ」
ゼークは剥かれていく林檎を、じっと見つめる。
「それなら、どうして航太や絵美の気持ちを無視するようなことを言うの? あの四人は、どんなことがあっても……絆で、繋がってなきゃいけないって思うの。だって世界を救うために、四人だけで村から出て来たんだから……」
声は涙に濡れ、心そのものが零れ落ちるようだった。
ネイアは深く頷き、林檎の甘い香りを静かに吸い込む。
「一真も、きっと葛藤しているわ。航太たちの立場を納得してない兵士が多いのも、事実だし……なんとか、バランスを取ろうとしているのかもしれないわ。でも、それが誤解を生んでいるのかもしれないわね」
ネイアは林檎を切り分け、ゼークに手渡しながら静かに続ける。
「将軍にも、何か考えがあると思うけど……一真に関しては、少し放ったらかしよね。戦場で一真と話した後に、飛び出して行ったし……近いうちに、私からちゃんと話してみるわ。アルと……いえ、将軍と」
ゼークの目が、わずかに輝く。
「ネイアさん……アルパスター将軍と、上手くいってないんですか?」
ネイアは驚いて林檎を落としそうになり、慌てて手を振る。
「ちょ……ちょっと! ゼーク、何を言ってるの? 違うわよ! 最近戦闘が続いてるから、話す時間が少ないだけ! 距離ができたとか、そんなんじゃないんだから!」
頬が微かに赤らみ、普段の冷静な看護部隊長とは思えない……愛らしい表情が覗く。
その慌てぶりに、ゼークの唇にようやく小さな笑みが戻った。
「ふふ……ネイアさん、顔が赤いですよ! ありがとうございます。なんか、少し元気が出てきたみたいです!」
ゼークは林檎の甘い香りを胸いっぱいに吸い込み、蜜の滴る果肉に齧りつく。
「早く治して、戦線に復帰しなきゃ……そして、智美を絶対に見つけるんだから!」
声には、微かな希望が灯る。
しかし、その奥底には……一真への蟠りが燻り続け、智美を失った痛みは深く刻まれたままだった。
ベルヘイム軍の背後では、態勢を立て直したガイエン軍が静かに迫りつつある。
前方では、ロキ軍の殿を務めるスリヴァルディの部隊が牽制を始めていた。
戦場の空気は一層重く張りつめ、風は血と鉄の匂いを運んでくる。
新たな嵐が、すぐそこまで迫っていた。




